fuushin さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
全国への筋道って、こういうものなんだって初めて知りました。吹奏楽ってすごい!
原作既読後に視聴しました。
原作では登場人物がより多彩になりストーリーに深みと厚みがみられました。なのでアニメーションの中でキャラクターがどんなふうに演じてくれるのかすごく楽しみに鑑賞しました。そして期待にたがわず素晴らしい内容でした。
前作同様、鉄板で泣かされました。全国を目指すリアルな展開に一気見してしまいました。
印象的だったシーンがふたつあります。
ひとつは、関西大会の舞台で、久美子が演奏中に見ていた映像です。久美子は滝のタクトの向こうに、走馬燈のように浮かび上がってくる心象風景を見ていました。吹部にかけてきたすべてのできごとが、降り注ぐようにあらわれては、次々に消えていく。
すべての時間が、今、久美子とともに舞台の上にある。
もうひとつは、卒部会での演奏。久美子があすかにアイコンタクトをしていた映像です。あすかと交流できる最後の部活動。久美子はあすかへの感情がまとまらないまま演奏する。あすかと過ごした日々に、もうひとつ確かな手応えを感じられない気持ち。いったいあすかは久美子にとってどんな存在なのだろうか。久美子はあすかを見つめながらその答えを探そうとする。あすかは優しい微笑みだけを返している。
久美子のもどかしい感情が切ない。
甘美で、ほろ苦くて、かけがえのない青春そのものの象徴のようなシーンに胸が熱くなりました。あ、ジーンときた!ジーンとしてきちゃった~!
今回は、葉月とあすかと久美子に絞ってレビューしてみたいと思います。どうぞよろしく。
葉月のこと。
{netabare}
「私を全国に連れてって!」
やっぱりそれを言っちゃうよね~。そうそう、いつしか葉月と同じ気持ちになっていましたよ。
「全国大会出場」。春先にみんなで決めた目標。チューバと格闘する初心者の葉月には、たぶんよくわからないシチュエーションだったかもしれません。葉月にとっての日常は、全国を目指すことがどういう意味を持つのか、どんなことをすればそこに近づいていくのか、葉月自身の中にいったいどんな化学変化が起き始めていたのか・・、推し量ることは難しいですが、メンバーとしての最大級の応援メッセージですね。
「未来を見せてほしい。」なんてステキな言葉でしょうか。
葉月は初心者だったけれど、だからこそ彼女を通じて全国を知ることができました。吹奏楽のことは知らないことばかりでしたが、葉月の目線で観られたのはすなおに嬉しく思えました。舞台のそでで、しゃがみこんで祈っている彼女がとっても健気にみえました。
技術レベルや気持ちの持ち方は、皆、人それぞれだけれども、葉月にとっては久美子や緑輝や麗奈たちが身近にいて、いつも声をかけてくれる。しかも高い目標に向かって一緒になって支えてくれるっていう点では、素晴らしい仲間ですよね。「徒然草」の一文に、「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」(些細なことでも、案内人は欲しいもの)とありますが、葉月にとってはこの3人がそういう貴重な先達にあたるのでしょうね。
お叱りを受けるかもしれませんが・・、目指す場所と目的が定まれば、そこには”道”ができます。和風にいえば”道を究める”と言いやすいのですが、芸術系ではどう呼ぶのでしょう。同じように呼んでいいものであれば”道を極める”は許されますか?
・・「極道」。えっと、やっぱりよくないかな・・。
高校生活の部活に割くことのできる期間って実はそんなにないんですね。例えば、朝ご飯を毎日食べて1000日ちょっとです。(たとえが変!)
1000日間、ユーフォニアム〇道、チューバ〇道、コントラバス〇道、トランペット〇道を、引退や卒業まで一段ずつカウントアップしながら登っていくのですね。てっぺんに行ったとき、どこまで極められたか、納得できるか、後悔しないか。
真剣勝負の1000日修業。やっぱり〇道でもいいのかもしれません。(ダメ?)
全国大会。
それは”道”を選んだすべての高校生が歩むひとつの目標。
与えられている時間は平等。
あらゆる努力を尽くすのが上等。
それを支えるための尽きない情熱も必要。
本物の音に近づくための切磋琢磨ができたら最高。
厭わず、腐らず、軽んじず、やりとおす強い覚悟が必定。
その先に見えてくるのが・・・金賞。
ユーフォニアム2は、その道のりがいかなるものかを示してくれるステキな作品でした。
葉月が言ってくれた言葉に感謝です。全国に連れて行ってくれて本当にありがとう。葉月にも全国の舞台で吹いてほしい。そうして最高の笑顔を見せてほしいって思わず願ってしまいました。
{/netabare}
実は、葉月に思い入れてしまったわけがもう一つありまして・・。
{netabare}
コンクール会場が地元なものですから。 (人''▽`)☆
名古屋国際会議場、大ホール。通称は”白鳥センチュリーホール”。(しろとりと読みます)
私が客席から観ていたあの舞台のうえで、北宇治高校吹奏楽部が演奏している。そして、久美子が舞台から見上げた空間、麗奈が告白した2階席、吹部が記念撮影をした中庭、葵が歩いた階段、久美子が麻美子を追いかけた玄関前アプローチ・・。ちょっと嬉しい。
ごめんなさい。ちょっと宣伝させてくださいね~。
白鳥センチュリーホール。
『1989年(平成元年)に名古屋市制100周年を記念して開催された世界デザイン博覧会で建設・設置された”白鳥センチュリープラザ”を再利用して1990年(平成2年)に設置された。
設計としては、施設が設置されている白鳥公園にちなみ、地上からは白鳥が水に浮いている姿、空中からは、白鳥が翼を広げている姿がイメージされており、平成2年度名古屋市都市景観賞を受賞している。
客席数3,012席を備えるセンチュリーホールのほか、イベントホール、国際会議場、3つレストランを備える国際都市名古屋の中核施設である。中庭にはレオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品であるスフォルツァ騎馬像がある。』(ウィキペディアより)
騎馬像って、いつ行っても真っ白なんですよ。どんなメンテナンスしているのかしら?
ちなみに私のお気に入りは春(3月下旬~4月上旬)です。ようやくあたたかさも感じられる頃です。桜が美しく咲き誇る名古屋市民の憩いの場所です。10分ほど南東に歩くと熱田神宮へも行けますよ。
ハイ、宣伝終わり~。ありがとうございました~。
全国の吹部のメンバーがこのホールをめざし、精魂込めて磨いてきた魂を発表する夢の舞台なんだと思うと、一視聴者であっても身震いがします。葉月にもみんなにも、心からエールを送ります。ぜひ金賞をとってほしいです!
{/netabare}
久美子のこと。
{netabare}
ほんっとに久美子の周りには、個性の強い人が多すぎる。腕前は図抜けているんだけど、めんどくさい人ばっかり。
あすかを筆頭に、麗奈、みぞれ、希美、麻美子・・。
久美子はなぜか巻き込まれていくし、受け止めてしまう。まぁ、希美の時は自分から首を突っ込んでいくんだけど。よくいえば実直で正直。裏表も打算もない。損得計算もしない。素直すぎて底が見えない。真っ直ぐすぎて青天井。
お人好しっていうのかな。受容する力、包容する力、久美子はそれが図抜けている。だからみんなが話をしたくなる。話を聞いてほしくなる。久美子の声、久美子の瞳は、相手を変える力がある。強い感化力がある。
久美子の強みに気づいているのは、あすか、香織、夏紀、優子ぐらいです。麗奈は「ちょっと引っかかる。全部見透かされているような・・」レベルですね。
4人の先輩は、久美子がいると安心して前に進める。久美子の前ではどんなに飾っても裸にされてしまう。素にされてしまう。こざかしい駆け引きは久美子には通用しない。だから「困った時の神頼み(久美子頼み)」「お願い!」って言ってしまう。みんな、久美子ならなんとかしてくれるって期待してしまう。
特にあすかは、久美子の一番近くで、一緒に息を合わせて、いつも高め合ってきたから、そのことを一番よく知っていた。(だから、家に呼んだのですね。)
全然、小賢しくない緑輝と葉月は、久美子にあまりに近いところでいつもいっしょにいるから、あまりにも自然に感化されまくっている。まぁ久美子はあまりにもぽ~っとしているように見えるので、2人とも久美子の凄さに気が付かない。(もちろん、久美子自身も気づいていないってのがオチだけど)
久美子は、努力を努力と思わない努力ができる。あまりに好きすぎてそれにさえ気づきもしない。愚直なまでに一生懸命に取り組んでいる。どんなに朝が早くても夜遅くまで練習しても、少しくらいの熱があっても気にならない。自分のことは全部気にならない。ただひたすらに上手くなりたいのだ。
久美子のパワーのみなもとは麻美子の存在。
麻美子への憧れ、演奏への憧れ、吹奏楽への憧れ。ユーフォニアムという楽器への憧れ。そしてお姉ちゃんと一緒に吹きたいという憧れ。
マウスピースで音階を吹けたとき、お姉ちゃんから「うまくなってきたね」って褒めてもらえた久美子の喜びと嬉しさは一入(ひとしお)だった。
忘れられない歓喜の記憶が、久美子を育て、久美子に力を与えた。
ところが、久美子には欠点もある。
それは「評価の定めどころを知らない」ということ。麗奈やあすかのような「明確な価値基準」を持っていない。良し悪しとか善悪とかの判断がとっても苦手。だから、目の前で起きていることをどうさばけばいいのかわからない。線の引きどころを知らない。感情の落としどころを見つけられない。だから上手く言えないしうまく立ち回れない(と久美子は思っている)。でもそれでいいとも思っている。だから葵が「あすかには悩むとかないと思っていた」と言ったことに反発したのである。
{/netabare}
久美子と麻美子のこと。
{netabare}
久美子は、麻美子の本当の思いを知らなかった。知らないまま、姉は当たり前のように久美子から離れていく。久美子には、姉が離れていってしまうことの意味がまだわからない。(姉が美容師を目指すってことは知っている)久美子は、姉をどう受け止めればいいのか分からない。姉にどう振舞えばいいのかわからない。やがて、姉が「淋しい」と言った意味を真正面から受け止めたとき、姉への気持ちの正体も同じ「淋しさ」だと気づいた。姉が離れていくことは「淋しさ」を抱えることだと知った。伝えられなかった。伝えたかった。それは全国大会での姉への告白へとつながっていく。
とうとう久美子は麻美子を見つけ出す。姉妹は姉妹であったことを伝え合い、変わらぬ姉妹でありつづけることを確かめあう。久美子の憧れだった姉は、妹の生き方に憧れる。妹を応援している。それぞれの旅立ちのためのエールの交換。2人はそのことに気づいていたでしょう。
{/netabare}
久美子とあすかのこと。
{netabare}
卒業式の日。久美子は、入学式で初めて出会った階段で、ふたたびあすかと出会う。「別れが苦手」と言い合う似た者同士の2人。あらら~。
久美子はあすかにどうしても別れを告げられない。「好きなんです!さよならって言いたくない!」と放言する。そんな久美子に、あすかはあまりにも優しい。久美子のわがままが、子どもっぽさが愛おしい。だから久美子を気遣って「じゃ言わない。またね」って久美子から離れていく。
あすかは、父親からもらったノートを久美子に手渡し、「今度は後輩に聴かせてあげて」と託していく。あすかの心に寄り添い支え続けてきたノート。あすかへの思いを奏でつづけた父親の曲。それをあすかは久美子に引き継ぐことを選ぶ。久美子の心を満たしてきたあすかの音を、今度は久美子自身が紡いでいくことになる。
あすかが一人で響かせてきたユーフォニアムの音が、久美子の手によって北宇治吹奏楽部のユーフォニアムの音に広がっていく。別れはつないでいくこと。それを久美子に気づかせてくれたのはあすかだった。
もう一度、全国へ。みんなで。
ノートはユーフォニアム奏者のバトン。
北宇治の一つの伝説、伝統の始まりを観させてもらったような感じです。
あすかの先輩愛は久美子をしっかりと包容していたし、久美子はあすかの思いをしっかりと受け止めていました。お互いにつよく感化されあい、一緒に大きく成長し、ともに変わることができたかけがえのない珠玉のストーリーでした。
この体験は久美子の宝物になるでしょう。久美子はきっとへこたれないでしょう。あすかから受けついだ先輩愛は、あすかへお返しすることはもうできません。だから、あすかからもらった愛も、久美子があすかに求めた愛も、そのまま後輩への愛へと応用していけるはずです。そして新入生ともども「全国大会での金賞」へと導いていく役割もしっかりと果たしていけるはず。きっとやってくれる。そう思います。
{/netabare}
あすかのこと。
{netabare}
あすかは、母親の起伏の激しい感情に辟易としているところがありますね。でも、育ててくれたことに恩も感じています。だから「義理立て」の概念でようやく親子関係を維持している感じですね。
あすかにとって、好きとか嫌いとかの感情は、母親のそれを追随するように思えてしまうみたいです。だから、あすかはあえて感情を扱おうとしていませんね。「面白い、おかしい、かわいい」など当り障りのないものの言い方でさり気なく線引きしています。
自分の演奏の不利益になるようなこと(個人的も、部活動的にも)は敏感に反応するし、そういうときは割とストレートにものを言っていますね。あすかの言い分はまったくの正論でわずかなスキも見せませんね。
あすかにとってユーフォニアムを吹くことは、よい成績をとりつづけることが担保だし、交換条件でもあるようですから、どこかに「ねばならない」というナーバスな要因を抱えながらの部活です。葉月の失恋とか、みぞれの人間関係とかで、部活動が乱されることに鋭く反応してしまっています。「遊びでやってるんじゃない。」というのは、目的のために自分のできることとできないことを明確に線引きするっていうことですね。それがあすかの判断の基準なのでしょう。
あすかが一番あすからしくいられるのはユーフォニアムを吹いている時間だけのようです。彼女は明るく振る舞うけれど、人を見下すようなものの言い方もし、面白おかしく話すけど、決して一線を踏み込ませようとしない。そんなアンバランスな姿に、久美子はいつももどかしそうです。それに先輩だから無理も言えません。部員のことを「どうでもいい」と放言する先輩。「こわい、わからない、嫌い・・」つかみどころのない先輩の姿に久美子はモヤモヤと悶々でいっぱいいっぱいでしょうね。
もしも、部活動が夏休みで終わっているなら、母親も口を出すこともなかったはずですし、あすかもまた引退で幕引きができていたはずです。
でも、関西大会を突破し、全国を目指すことになって、どんどんと変わる状況にあすかも困っていたと思います。母親との義理を立てて生きる道を選択しようとするあすかには、母親が否定する吹奏楽を否定しなければならないわけですから。しかも、父が審査員であることも知るところになり、ますます四面楚歌になっていく・・。
父親にユーフォニアムの音を聴いてもらえるところまで来ているのに。
あすか最大の危機って感じですね。
あすかは久美子を自宅に招き、自分の内面を語り、母との関係、父との関係を久美子に語ります。それはあすかの家庭内の事情です。
それをさらけ出して、なお、父の曲を「こてんぱんに否定してもらいたかったのかも」と言っています。
ユーフォニアムへのこだわりは、結局は父へのこだわりです。そのこだわりを久美子のことばで断ち切れないかとあすかは思っていた節があります。
家庭内のやむを得ない事情を久美子に理解してもらえれば、たとえ吹部を辞めることになっても、先輩としての肩の荷も、当り障りなく下ろせることができる・・そんな意図があったように感じます。そんなやりかたで吹部との線引きを図ろうと考えていたのも私は理解できます。
でも、わざわざそういうことを久美子に語ろうとした背景には、あすかはぼんやりとですが「自分の正しさの決めどころを自分では決めかねていた」。そういうことだったのでなないのかなって思えるんです。
吹奏楽を否定する母親への義理を選ぶのか、ユーフォニアム奏者として父親への憧憬を求めるのか。二つの感情の選択への迷いがいつもどこかにあって、決めきれなかったのでは?と思えます。
平静を装うあすかの目論見に反して、久美子は「父親の曲も、あすかの音も、どちらも好き」だと言うのです。この後輩には一切の迷いがない。何の疑いもなくそのまま受け入れてくれている。しかも、この後輩は「今ここで吹いてほしい」とも言い放つのです。それは、あすかには望外のこと、嬉しいことだったでしょう。
後輩の勉強の指導にかこつけて話をしたかったあすかは、主導権を握っていたはずでした。
ところが、思いのほか久美子の圧力は強かったですね。先輩の自宅という土俵ですらも物怖じしない久美子の真直ぐな思いに、あすかの中の秘められていた感情が、掘り起こされてひょっこり顔を出してしまったようです。
あすかは自分自身の感情を「弱さ」に置き換え、「欲が出た」と言い換え、おまけに「罰当たり」だなんて神様のせいにしてけむに巻く作戦だったようでしたが、もうこの時点であすか自身の論理的な思考も説明も破綻していましたね。
あすかは久美子に追い込まれてしまっていましたが、そんな久美子が愛おしかったでしょう。後輩の求めに応じるあすかの笑顔はとても晴れやかで生き生きとしていました。やっぱりユーフォニアムが「好き」なんでしょうね。
同じ楽器ならではの通じ合えるものがあるのでしょうね。「黄前ちゃんはホント、ユーフォっぽいね。」なんて最高の誉め言葉ですよね。
久美子は、ちょっと地味目で自己主張はあまり見せないタイプ、一線を越えずに傍観者然としているけれど、それを強みとして見れば、自分よりもまわりのメンバーの音をきちんと聴けていることだし、出しゃばらずに気配りや下支えに回れる存在ということでしょうか。
それに我欲や我執に囚われることのない素直な性格は、まさにユーフォニアムのはたらきにぴったりなのでしょう。(よくわかんない、ほんとかな?どうなのかな?)
損も得も欲にもとらわれない素直なままの久美子の姿に、ユーフォニアムのポジションを重ねたのでしょうか。
2人のユーフォニアムとのお付き合いは、それぞれ小1と小4から。だから、あすかは学年の壁なんて必要のないことだって思ったのかもしれません。
ただ縁があって同じ高校で出会った。だから、同じ奏者として、一人の人間として胸襟を開いて心情をかわしたかったと思っていたのかもしれません。
久美子はあすかがイメージする望ましく思える奏者。それがあすかの呼ぶ「ユーフォっぽい黄前ちゃん」なのでしょう。
あすかは「本当に聴きたいと思ってる?」って、横目で久美子の真意を窺うように尋ねます。
あすかにとってはいくらか不本意で恥ずかしい気持ちがあったのかもしれません。
もしかしたら、後輩に今どう思われているのか、それを楽しんでいるのかもしれません。
後輩から言われて、絆(ほだ)されて、自分から「吹きたくなっちゃった」なんて言たのですから。いったいどっちが上級生?って感じですね。
母親と父親とのはざまに立って感じていた相剋。様々な葛藤や悩みがあっただろうあすか。そんな個人的な事情を久美子に話してしまった。決して表に出さなかったあすかの秘密。
「いつもと違うのは先輩ですよ」って黄前ちゃんにあっさりと言われてしまいました。あまりにも自然な久美子の切り替えし!
久美子にとっては、あすかにどんな事情があろうとも、良いものは良いというシンプルな価値観です。それは、あすかが部活で久美子に伝えてきたもの。ブーメランのようにあすかに戻ってきてしまいました。あすかの心根は久美子に完全に見透かされていました。あすか、完敗ですね。
あすかの「本当に聴きたい?」という問いかけに対して、久美子の返事はあまりに素っ頓狂で、ストレートで、裏も表も打算もない返事でした。
あすかは父親を誇りに思っているし、その音を愛している。
あすかは久美子の先輩として、ユーフォの奏者の先達としている以上、父親の作った曲は、久美子と共有したい音であり、伝えたい音だったと思います。(聴かせたくてたまらなくなっちゃった~っていうところが本音のあすかさん。)
あすかさん。黄前ちゃんの力を見抜いていましたね。彼女の前で吹けて良かったね。本当にユーフォっぽい後輩だったね。
・・とは言え、あすかは、久美子の思いに絆されても、価値観を共有してもなお、練習には参加しません。あすか、いよいよ崖っぷちです。
ついに久美子はあすかとの一線を踏み越えます。久美子は後悔したくない。あすかにも後悔してほしくない。大好きな麻美子のことばが、久美子の背中をつよく押しだしてくれました。
久美子はあすかにお姉ちゃんの失敗を繰り返させたくなかった。
個人の事情も、きれいごとも、大人のふりも、我慢も、自己満足も、全部が一切合切、「後悔する元」だと分かっていた久美子。そう主張する久美子、グイグイふみこんでくる久美子。
そんな久美子の言葉を遮り、心を測るあすか。久美子を決意を試し、自分のこだわりを守ろうとするあすか。
久美子は自分の言葉を信じる。自分に託してくれた部員の思いを信じる。自分の言葉を語る。
父親の音を「大好き」といってくれる後輩。あすかに「吹いてほしい」と懇願する後輩に、ついにあすかは陥落する。「嬉しいよ。」そう笑う。
同じポジションにいる先輩と後輩って、やっぱり「特別」なものだと思います。スポーツ系でも芸術系でも、同じなんだなぁってつくづく思いました。
卒業式の日、あすかは、ふたたび久美子の言葉に絆される。もう抵抗できないことは知っている。容易に陥落させられる。黄前ちゃんに取り繕う必要なんてなんにもない・・。笑って久美子にノートを渡して、「またね」って卒業していきました。
あすかにずっと寄り添い支えてきたその楽曲は、もうあすかには必要なくなりました。あすかの奏でた音は、父親の耳に届き、父親の言葉があすかの心を救ってくれました。父親が認めてくれた。父親に褒めてもらえた。それがあすかの宝物。
目の前で泣いている黄前ちゃんが運んできてくれた宝物。あすかは途方もなく嬉しかったでしょうね。
{/netabare}
おまけ
{netabare}
今作は、優子や夏紀の掛け合いも捨てがたいです。とても真剣でとても面白く表現されていました。(とくに優子のデフォルメな表情がgoodでしたね)、この2人だったら北宇治の吹部は発展していくのかもしれないなと期待してしまいました。
2人とも、歯に衣着せぬ物言いのできる人ですから、いささか物議を醸しだすかもしれませんが、同時に、人のために骨を折ることを惜しまない性質も持ち合わせています。そういう陰と陽の二面性を持ち合わせているリーダーシップもまた、多くの部員を抱える吹部にとっては必要不可欠な役割になってくると思います。優子や夏紀の熱い活躍がすごく楽しみです。
こうして振り返ってみると、できればスポットライトの当たらないままに卒業していった3年生の物語も観てみたかったし、卒業後も北宇治を応援してくれる姿を観てみたいなとも思いました。
瀧先生の目利きが部員の力をどんなふうに引き出していくのか、それも興味津々です。もっともっと高みへ。もっともっと深い表現で。もっともっと厚みのある演奏で。部員をてっぺんに連れて行こうとしてくださるのでしょう。
いささかもぶれることもなく、謙虚さと大胆さを使い分けて、久美子たちを磨き上げていくのでしょう。もう、目が離せません。
{/netabare}
響け!ユーフォニアム2
歓喜が伝わってくる。悔しさが伝わってくる。ひたむきさが伝わってくる。
そんな印象でした。次回作にも期待大です。
吹奏楽のこと、全然知らないので、ピントの外れたレビューになっていたかもしれません。ご気分を悪くさせてしまっていましたら申し訳ないことです。ごめんなさいね。
長文をお読みいただきありがとうございます。
この作品が皆に愛されますように。