fuushin さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
ロボット系アニメの一つの試み。うん、歌はいいですね。
この作品。発表されたのは「風の谷のナウシカ」と同じなんですね。(1984年)
マクロスが「男女の三角関係」を練り込んだ作品だということは知りませんでした。
変身ロボ系でありながら、大人の男女関係もしっかりと落とし込んであるストーリーはちょっと刺激的な雰囲気も漂わせています。
また、全シーン「手描きのセル画」での表現では、当時の最高水準ということにも関心を持って視聴しました。
もうひとつ、「人類の歌声が敵の異星人の戦闘意欲を消失させる」というあまり聞きなれないコンセプトにも注目しました。
それから、異星人が日本語を話さないものですから、「翻訳を字幕で示す」という斬新な技法でリアルさを丁寧に表現しています。
私は、三つめの「歌」について述べてみたいと思います。
「三角関係」、「セル画」、「字幕」については、ほかのレビュアーがとてもわかりやすく丁寧に解説してくださっていますので、そちらをお読みください。
「歌」については、広辞苑(第六版)で次のように解説しています。
「一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。」
万葉集では、「常陸さし 行かむ雁もが 吾が恋を 記して付けて 妹に知らせむ」という歌があります。
この和歌の意味はつぎのようです。
「常陸(ひたち)の方向に向かって飛んで行く雁(かり。がんの古名)がいてくれればいいなぁ。(そうすれば)恋しい妻への私の思いを紙に書き記して、雁に付けて(何とか)妻に知らせてやれるのに」です。
この和歌が詠まれた背景はつぎのようです。
西暦755年、常陸(ひたち、茨城県あたり)に住んでいた物部道足(もののべのみちたり、生没年未詳)が、防人(さきもり)として筑紫(九州北部)に派遣されたときに、故郷に残してきた妻を恋しく思い歌に詠んだものです。
このように、逢えなくなった恋しい人の面影を想い浮かべて、切ない思いと惜別の情を「五七五七七」の調べに乗せて、遠い空のかなたを見上げては詠んでいたのでしょう。当時は、それが男性の嗜(たしな)みでした。
この万葉の歌は、今でいうとメールといっていいものでしょう。
私の感覚では、新海誠監督作品の「ほしのこえ」のノボルとミカコ、といえば、ぴったりとフィットします。
一つのメールのやりとりが、数か月、数年という気の遠くなるようなスパンで心情を伝え合う二人。
相手を思いやる変わらぬ気持ちを、言葉を探しながら、慎重に選び選びして、祈るようにして文字におこしている二人。
待ち焦がれ、待ちくたびれ、それでも一途に待ち続け、永遠とも思える時間を、8光年(約76兆㎞)の途方もない距離を隔てた宇宙空間で、一文字も途切れることなく必ず届けられるようにと願って、わかたれた場所で淋しさに耐えながら過ごしているノボルとミカコの二人。
「ほしのこえ」は、いにしえの歌(和歌)のありようを、未来の男女の淡い恋心に乗せて、「声を待ち続ける切なさ、儚さ、心細さ」を最大限に強調して、映像化した名作だと思います。
このように、日本人の感性から見ると「歌」というものは、時間や距離を超越して伝わる、或いは、伝えたいとする「思いの結実」であることがわかります。
マクロスのシリーズの中でも、特にこの作品は「歌のはたらき」に焦点を当てていて、人類と異星人の闘争関係すら終結させる強力なエナジーを持つものとして位置づけられています。
また、作中では、「人類の遺伝子を操作し」、「異星人の祖先」でもある「太古の宇宙人」が登場し、歌を構成する「歌詞」と「メロディー」を記録したツールを、別々に作製していたという設定になっており、そのふたつを重ね合わせることによって、最も強力なパワーを発揮することができるようになっています。
地球人には歌を歌い楽しむという文化があるのですが、異星人には闘争に次ぐ闘争の連続のために、文化は廃れ、「歌」そのものも失われています。否、闘争の勝利のためには「歌」はむしろ邪魔であり、不要なのです。
異星人は、地球人の言葉を理解することはできませんが、リン・ミンメイが歌う、音曲から伝わるエナジーと、言霊から伝わるエナジーのハーモニーによって、闘争心がそがれていきます。そして、歌に込められた愛念の響きのシャワーによって、激しく動揺し戦士としての機能を失っていくのです。
日本でも、かつて、縄文、弥生時代より連綿と継承されてきた音曲は、手拍子や音声、打楽器、土鈴などが主でしたが、やがて大陸やシルクロードを経て輸入された各種の青銅器や弦楽器、管楽器などによって、厳かな神楽に使われるようになり、更にはたおやかで雅な宮中音楽へと移り変わっていきます。「歌」をはじめとする音曲は、こうした長い歴史に裏打ちされて私たち日本人の魂と結びついています。
ところが、先の世界大戦では、西洋音楽は敵性文化として、抑圧され大きく制限されたという歴史を持っています。
また、大方の国々では、従軍歌謡慰問団というものがあり、彼らは戦地に赴き、また巡回して、兵隊や傷痍軍人らに、歌や音曲を聴かせることで、慰め、励まし、希望を持たせ、戦意を高揚させるという目的を担っていました。(不本意ながら、という人もいたようです。)
マクロスでは、おおもとの宇宙人が準備してきた「歌」の意図が、「歌」を愛する人類によって、数万年の時をのりこえてリレーされ、再現され再演されます。
これによって、戦いに明け暮れる異星人に、文化の意義を再認識させ、異星人自らに、文化を守る側に立って、戦争をやめることを決断させるというストーリーになっています。
これが「新しいエッセンス」であると思います。
このシナリオは、当時も多くの視聴者の支持を得ていたようですが、今、観ても同じ感覚を持ちます。
「歌」にこめられた歌詞の意味、メロディーもとてもよいと思いますが、もっと言えば、コンセプトそのものへの評価ではなかったかと感じます。
その意味においては、「歌」が好戦的な側面に使われたという人類の戦争遂行のツールとしての有用性を強調してきた歴史観を継承するのではなく、むしろ、戦争への批判、破壊よりも文化による創造性に力点を置いた作品として評価するべきであって、平和国家だからこそ作れた作品として、平和を目指す日本アニメ界の一つのターニングポイントとして位置づけることに意義があるとみてよいと思います。
この作品の中核は、宇宙を舞台にして、相違(あいたが)わぬ存在だった異星人と地球人が、「歌」の持っている力の可能性として、「癒しと諭し、鎮静と安寧、歓喜と鎮魂、融和と友愛、相互理解と連帯」など、多様な価値観を導きだすツールとして、お互いに認め、取り入れ、やがて文化として位置づけていくという予感がエピローグに示されています。
「歌」の持つ未来志向性、平和賛歌へのパワーを、ストーリーのど真ん中に取り入れて、強く強くアピールして終幕します。
「歌」にこめられた「愛、おぼえていますか?」
このテーマこそマクロスの真骨頂。
なかなかどうして、現代でも十分通用する作品であると再認識しました。
三角関係もなんのその・・ん? ん??
最後に、1984年(約34年前)の作品なので、全体としてはさすがに古さは否めませんが、さまざまな要素を織り込み、ストーリー的にも無理は感じられません。
作画も、評価通りの細やかな計算とこだわり、そしていくらかの遊び心もちびっと盛り込まれていて、面白みのある内容でした。
まぁ、時代性もあって、視聴者層は、大方男性なのでしょうが、女性からのレビューも期待したいですね。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品が、みなに愛されますように。