雀犬 さんの感想・評価
4.4
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
Endless Journey
ここは何もない世界
灰色の空に鳥はいない
虫の声すら聞こえない
瓦礫の街にかたかたと
ケッテンクラートの音が鳴り響く
人が作りしテクノロジー
行きつく先のカタストロフィー
チトは考える
人の生きる意味だとか
感情の生まれる場所だとか
今はもうなきコミュニティー
無から生まれるフィロソフィー
ユーリは思う
誰もいなくて寂しいんじゃなくって
二人じゃないから孤独じゃない
何もないから退屈でなんじゃなくって
些細なことでも楽しい
それが絶望と仲良くなるための心がけ
"終わるまでは終わらないよ"というトートロジー
More One Night 命ある限り旅は続く
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原作を最終話まで読み終えて、ようやく感想らしきものを書けそうな気がしたので追記します。(ネタバレありです)
{netabare}
少女終末旅行はチトとユーリ、2人の少女しか登場人物がいないことに大きな意味があると思う。道中でカナザワ、イシイの2人と出会うが、(アニメ版の)最終話でエリンギのような人工知能から「現在生きている人間は君たち2人しか知らない」と告げられる。この言葉通りならカナザワもイシイも既にこの世を去っている。残された2人が男女でないということは、子供を作ることはできない。つまり、チトとユーリの死はそのまま人類の歴史の終わりを意味する。
ストーリーにおいて、2人が上層へ向かう理由付けは特にされない。普通に考えると生きるために必要な水も食料も燃料も、上に向かうほど入手が困難になるだろう。なぜ上を目指すのか放送中ずっと気になっていたのだけど、実は2人が上へ上へと向かうのは天国に向かうことのメタファーだったのだと今は思う。
原作者のつくみずさんは第3巻のあとがきで、「生命も文明も宇宙も、ちゃんとどこかで終わっていてほしい。終わりがあるというのはとても優しいことだと思います。」と記している。滅びゆく世界を描いた物語なのに2人の少女から悲愴感を感じさせないのが少女終末旅行の大きな特徴だが、それは作者の死生観が投影されているからだろう。
本作を「人類のお葬式」と表現した人がいたけど、言い得て妙だなと思う。チトとユーリがケッテンクラートで移動しながら体験してきた出来事は第5話で音楽を「再発見」したように、文明の回顧録のようなものだった。人間は音楽を聴きはじめたり、宗教を作り出したり、ペットを飼い始めたり、料理をしてみたり、戦争をしてしまったり、神様の真似事をしてみたり。振り返ると色んな事をしてきたなぁ、と。そう、このアニメは「12話の走馬燈」だったのだ。
{/netabare}