fuushin さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
物語の背景への一考察。
いつしか結ばれた絆で惹かれ合い、突と千切られた契りに彷徨うラブストーリー。
★ この物語は、「星に宿る神々の別離と再会、その祝福の物語。」
「神懸かり」というテーマにレビューしています。神、星、神話など、スピリチャルな話題を盛り込みました。なお、『 』はウイキペディアより引用しました。(2018年6月24日、少し編集しました)
★ 新海氏のなかの「すれ違いとムスビ」
{netabare}
人類は数千年の時をかけて真理を探求し、知性の及ぶ領域を大きく広げてきました。ホーキング博士は、「一般相対性理論は、1億×1億×1億マイル(1マイルは約1.6㎞)の観測可能な宇宙全体の大きさにわたる尺度の構造を扱う。量子力学は、1インチの1兆分の1(1インチは約2.5㎝)といった極度に小さな尺度の現象を扱うレベルまで到達した。」と述べ、パラレルワールドの存在にまで言及されています。
科学の恩恵によって今では誰もが宇宙が膨張していることを知っています。地球は宇宙の極点(ビッグバン)からどんどん離れていますが、130億光年前の光を捉える目(望遠鏡)を持ち、あと10億光年ちょっとで極点に届かん勢いです。
地球から極点へと貫く直線を引けば、その極点から先には逆方向に遠ざかっていく星雲や恒星もあるはずで、地球と同じだけの距離にあるのが「もうひとつの地球」だとしたら・・・。それをパラレルワールドというのでしょうか?
極小から永遠無窮までの時空間で、取り持つ「ムスビ」と取り持たない「すれ違い」。私たちの身近にも起きている不思議さを思うと、実はどこかの異世界と繋がっていて未知の誰かさんの意志が介入しているのかもしれません。
さて、新海氏にインスピレーションを閃めかせたのは、そうした非物理的・非日常の次元界からの「ムスビ」の働きではないのか。であれば、その"意志と意図と目的を発信した人格的存在"がいるはず。私はあえて"神(≒宇宙意識)"と形容してみたいと思います。
また、「下流から源流へと遡っていくやり方で真理(理論・法則)を見出すスタイル」を科学技術の手法、「源流のひとしずく(真理)を下流に広く流布(済度救済・教導育成)するスタイル」を宗教的方法論と例えてみます。
両者に共通するのは真理への探究と修行の姿です。真理への「ムスビ」を求める意志の力です。科学者や宗教家が尽力する姿を、神が見定めて懸かり、時宜に応じて必要な叡智を賦与されるとしたら・・。
新海氏が時宜を得た理由を3つ考えてみました。
一つは、アニメーターとしての卓越した画力です。
これは過去作で多くが語られているので今更ですよね。源氏物語絵巻のように品格のある美しい"気"を感じます。
二つは、シナリオライターとしての才覚です。
兎角、男女の仲は上手くいかないのが世の慣わし。神代のゼウスとヘラ、アダムとイブ、イザナギとイザナミ(伊邪那岐/伊耶那美)。共通するのは「情愛、横恋慕、愛憎」。色と恋の愛すべき側面が語られます。
氏も、過去作で、夢、時間、距離、宇宙というキーワードを用いて、男女の気持ちの"すれ違い"のさまを、精緻で繊細、情感豊かな筆致(絵)で表現なさっていますね。新海氏の"意"ですね。
三つは、クリエイターとしての大きな台(うてな=台座、転じて霊的な受皿)がありました。熱烈なファンが氏を支持した結果、市場にシェアを、業界に影響力をもたらしました。社会的な"理"ですね。
氏を社会的に押し上げた意味で、初発からのファンの存在と功績はとてつもなく大きいと言えます。
こうした条件が備わっていた氏だからこそ、「すれ違い」の対としての「ムスビ」のインスピレーションを、神が懸かって「霊的に賦与した」のではないかと思うのです。
神懸かりとは、神と氏が「ムスビ」つくこと。ムスビは「はたらき」に、はたらきは「創作活動」に、創作活動は「作品」に、作品は「ファンと共有・共感」され、込められたメッセージは「展開・流布」されます。点から線へ、そして面へ。日本から世界へです。
本作は過去作のすべてを伏線にしたかのような王道のラブストーリーでもありますが、神秘的で不可思議な宇宙的シンクロニシティが幾重にもムスビ組み込まれています。(九つめの物語を参照してね。)
私は、本作が宮崎監督の「千と千尋の神隠し」に比肩するほどの「認知度を得た」という意味を考えています。つまり、社会(と個人)への影響度ということなのですが。
「千と千尋の神隠し」は、八百万(やほよろず)の神々の世界を舞台にした物語でした。彼岸と此岸という宗教的な世界観を持ちながらも、「湯屋」で得た印象は、勤行と労働の逞しさに垣間見える人情の温かさでした。それはとても身近なもので、だからなのか、千尋の体験が自分の生活の一部に「ムスビ」つけられてしまうかのような感覚を持ちました。
日本特有の神仏がもつ「八百万の多種多様な価値観とはたらき」をベースにしながら、宮崎氏のふくよかな想像力の賜物(たまもの)として、湯屋を切り盛りする勤労・労働の尊さと、神々からの労(いたわ)りと労(ねぎら)いを強烈に印象づけ、人と神を近しくムスビつけるのは「働きそれ自体」であることを明確に感じさせた作品でした。
また、千尋が、饒速日(ニギハヤヒ)~とハクの名前を呼ぶシーンがありましたが、これも「君の名は。」に通じていますね。
「名前」には歴史と未来が価値づけられているのと同時に、呪術的に縛り付けられる危ういものでもあり、名主の人格を支配する「言霊のちから」が含まれているようにも思えます。
日本のアニメを席巻した「千と千尋」と「君の名は。」に共通しているファクターは何でしょうか。果たして宇宙の意志(未知の神)は、この作品を通じて、どのようなメッセージを伝えたいのでしょうか。そのメッセージを探してみたいと思います。
{/netabare}
★ さて、この物語。
舞台に登壇する演者は、太陽、地球、彗星たちです。
その星々が織りなすのは、壮大なシンフォニー(交響曲)。
三葉と瀧はソナタ(奏鳴曲)です。
コンダクター(指揮者)は、宮水神社の「お山のご神体(主祭神)」。
最終楽章まで、ティアマトと三葉と瀧をエスコートします。
奏でられるテーマは、星の神々の奥深く秘められたラブストーリー。
三葉と瀧のガールミーツボーイ。そしてボーイミーツガールのストーリー。本作は・・・どちらともいえそうですね。
★ 一つめの物語。ティアマトへの"祝福"。
{netabare}
1200年前、ティアマト彗星は、ある日突然に、意図せず地球の引力に捕らえられ、砕かれ、力ずくで引き裂かれ、168億㎞というはるか遠くに分かたれてしまう。離れ離れになってしまった、いや、されてしまった彗星。
神話ではこうです。『ティアマト(tiamat)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)における原初の海の女神。 淡水の神アプスーと交わり、より若い神々を生み出した。彼女は原初の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される。』
推測すると、ティアマトの名を持つ彗星は女神。糸守湖を作った彗星は淡水の象意を持つアプスー。男神でしょう。遥かに離れ、思い焦がれ、招きあう二柱の神です。
つまり、この日は、ティアマトとアプスーの1200年越しの逢瀬だったのです。それは主祭神から「二柱の神への祝福」のシナリオでもありました。
もし、後日に本作をご覧になる時、このような見方で観ていただけると、まったく違う感覚で鑑賞していただけると思います。
アプスーに視点を当てたブログがネットにいくつか見られます。恥ずかしながら私もつい最近に読む機会がありました。何れも素晴らしい考察でした。もしよければご覧になってみてください。「ティアマト アプスー」で検索をどうぞ。
{/netabare}
★ 二つめの物語。人への"祝福"。
{netabare}
人の立場からみれば彗星の落下はおそるべき災禍厄難です。では人への祝福とは何でしょうか。
それは、主祭神が「宮水家を見出したこと」です。
宮水神社の祭祀に込められている意図は三つあります。
一つめは、宮水家と糸守町の人々の千年にもわたる御祭神に対する敬神の祭祀祭礼のお取り次ぎ。(人から神へのお取り次ぎ)
二つめは、糸守町の人々に功徳と恵みを与え、救い導こうとするもの。(神から人へのお取り次ぎ)
三つめは、三葉と瀧のすれ違う魂を救い、邂逅に導こうとするもの。(神から2人へ)
です。
まず、神社祭祀(さいし)について。
祭祀とは「まつり」。(六つめの物語を参照してね)
ひとつは、顕祭(けんさい。目に見える祭礼様式)。
人が神に奉る赤誠の表現です。宮水神社の場合は、伝統としての"組紐、巫女舞い、口噛み酒などの奉納・奉斎"がこれにあたります。
もうひとつは、幽祭(ゆうさい、目に見えない祭礼様式)。
神と宮水家の乙女との霊的な交流です。(ウケヒとも言います。誓約と書きます。約束ごとの意味です。)神が人に降臨し一体となり、取り交わされる不思議な約束ごと。乙女のわずかな時期にのみ許された 限られた能力こそが神からの"祝福"です。
次に、神懸かりについてです。
宮水家の女性がいてこその神懸かりです。三葉の先祖、宮水家は糸守町の守り人であり、1200年の歴史のなかで、連綿と後継者(救済者、またはメシア)を見出す役割を密かに担ってきたシャーマンの系譜と考えると自然です。
彗星落下の前日、三葉はふいに、東京行きを思いつきます。 ふいにとは、ふと思いつくことですが、"ふと"とは、太占(ふとまに)のことです。一般的には卜占(ぼくせん)の一種を意味しますが、言霊でいえば、「ふと思いつくもの、その感覚のまにまに」です。自分の意思ではない誰かからの意志。大仰に言えば「天啓」、一般的には「第6感」ですね。
三葉にいきなり湧き上がってきた感覚。それは疑いようのない確信、揺るぎない信念でした。この直情的で衝動的な感覚がどうして起きてきたのか三葉は語っていないし、物語でもその根拠も理由も明かされてはいません。
ただ、彗星の到来の時、いえ、ティアマトとアプスーの「逢瀬」のとき。
それに連動するかのように、三葉も瀧との「逢瀬」を思い立ったということです。
私は、この時、主祭神が三葉に神懸かったのだと思いました。この「天の時」を逃してしまえば、主祭神の二つめの意図が途切れてしまう。糸守の人々の救済がもう間に合わなくなってしまう。主祭神からみてもこの瞬間しかムスビのチャンスは残されていなかった。
三葉は迷いもせず行動に移していました。そうはいっても瀧に会えるなんて何の保証もないのに・・。三葉の不安は大きい。でも同時に、絶対の確信もありました。夢のような東京での夢ではない瀧との入れ替わりの日々。魂と身体が「ムスビ」ついていたからでしょう。
2人が四ツ谷で出会ったのは、主祭神の「幽のムスビ」の設(しつら)えがあったとしか言いようがありません。
次は三葉が瀧に「顕のムスビ」をつなぐ番です。主祭神は三葉の行動と言葉にすべてを託したのですが、「・・誰? お前」、「あなたは瀧くんなのに・・」。
この三葉と瀧のやりとりは、主祭神にはハラハラドキドキの展開だったでしょうね。
電車が揺れて2人は身体が触れ合いました。その瞬間。ふいに瀧は不思議な感情が湧き上がり、言葉に置き換えます。
「このおかしな女の子は、もしかしたら、俺が"知るべき人"なのかもしれない。(アナザーサイド版)」。
それは説明のつかない強烈な衝動。主祭神が三葉の霊線を瀧の霊体に直接ムスビつけた神懸かりの瞬間でした。
「あのさ、あんたの名前!?」
三葉は思わず髪に結った組紐を瀧に渡します。組紐の謂れを知っていたからでしょう。同じ時間、同じ場所で、三葉と瀧が出会った。触れ合った。三葉は瀧に名前を告げたのだし、瀧は三葉から組紐を受け取ったのです。とてつもなく大きなムスビの働きが成された瞬間です。
でも、三葉にとっては「忘れたい出来事」でした。その傷心ゆえに髪を切ってしまう。瀧にも「ささやかな出来事」にすぎず、いつしか忘れてしまうのです。でも、主祭神からは、幽から顕のムスビ、5次元世界から3次元世界へ、確かにムスビつながった瞬間でした。
とはいえ、そのムスビは2人には気づけない。主祭神にもその先はまだ関与できません。でも確かに2人への祝福も密やかに与えられていたのです。
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★ 三つめの物語。三葉から瀧へ。
{netabare}
ハイ!四葉です。こっから主祭神の三つめの意図のことを話すわ。この物語で最も大事なことやに。それはお姉ちゃんと瀧くんの救済のことやわ。
神さまは、1200年間もかけてティアマトとアプスーを導いて祝福したんやけど・・そのときはお姉ちゃんも糸守の人たちも救えへんかったし、しやへんかった・・。これが現実。神さまっていっても万能やないんよ。全てを"同時に"大団円にもっていくことはできへんのやわ。
でもな、うちの神様の神力のほんまに凄んいのは5次元のはたらき。えっと、人の魂と時間を自由自在にあつかえるっていうもの?入れ替わりとタイムループってことやね。うん、きっとそうやわ。
でも。いくら神さまの後押しがあったとはいえ・・。
お姉ちゃんには同世代の恋人がおらへんかったやろ。(ああっ、もう!! なんてハンディなん!! アホなの!!)それに、直に会ったときの瀧くんは中学生やったし。(年下っ!?)う~ん、こりゃ難題やに。2人とも「恋人はいないんじゃなくて作らないの!」だなんて・・まぁ、張り合ったり己惚れてたりするんは仕方ないわ。そやけどタイムループって荒技?を使ってもそうなんやから2人をくっつけるんは難しいわ。2人とも恋はシロウト、恋を分からせるなんて凹むわ、きっと。
この難題に挑んだ神さまもさぞかししんどい思いをされたはずやに。同情するわ。それになけっこう焦ったはずやわ。ティアマトはどんどん近づいてくるし。タイムループを仕掛けるにも、瀧くんがお姉ちゃんと同じ年になるまで待たなきゃあかへんかったし、瀧くんの画力が上がってくるまでもね。(絵心のある瀧くんでよかった!!)
2人の気持ちをムスんでくれたのは奥寺先輩がいてくれたからやわ。瀧くんは先輩に憧れがあったし、お姉ちゃんにしても同性の頼もしい先輩だったでしょ? 同じヒトを好きになるなんてちょっと微妙なところもあるけど、2人をムスビつけるために神様が連れてきてくれたヒトやわ、きっと。奥寺さんがいたから2人は心を通じ合わせる機会がたくさんできたんやもんな。
先輩は自分から身を引いたやろ。瀧くんに「別の好きな子がいるでしょ?」ってすごいメッセージを残してな。瀧くんも返事に困っとったわ! そやけどなんでお姉ちゃんみたいに髪を触るんやろ?わからんわ。
瀧くんは先輩の言葉で気づいたんやわ。お姉ちゃんに通じへん電話をかけるなんて瀧くんってば、かわいい!
あの場所ってお姉ちゃんが前に瀧くんに会いに来て電話をかけとったとこやろ? 先輩って、お姉ちゃんの残像を、心のどこかで感じ取ってたんやろかな? それで先輩のあのひと言が瀧くんの背中を押したんやわ。だからお姉ちゃんに会うことを決心できたんやよね!
奥寺先輩が2人の気持ちを括ってくれた。素敵すぎるわ!
主祭神もなかなかスパルタやったわ。乙女心?につけ込んで、というか追い込んで「来世は東京のイケメン男子にして~」って絶叫までさせたやろ。実は、それってちゃんとした「願立て」なんよ。
「願立て」っていうのはれっきとしたお作法にのっとったお願いの仕方やに。巫女の私が言うんやから間違いないわ。神様ってそうやって追い立てるんよ。やっぱり願立てがないと神様も動けへんからね。でもアプスーに向かって願立てするなんてお姉ちゃん、ちょっとずれとるわ。
けどな、神さまにとってはそんなお姉ちゃんでもかわいくてしょうがないんさ。だって1200年もかけて準備した救済の演出がやっと叶うんやから。なんや神さまっていうても、うちらと変わらんな。
お姉ちゃんはね、瀧くんの名前を失って「あの人」って呼ぶようになった時すごく慄(おのの)いとった。「あの人」との記憶はすっかり抜け落ちてまったけど、その約束を受け取ることがどれだけ大事なことかってことは残ったんやよ。「あの人」から直に聞いたから町の人たちを救うことができる。「あの人」が糸守のみんなを救う梯(かけはし)になってる。お姉ちゃんがやろうとしていることは「あの人」がやろうとしたこと。お取次ぎなんやってわかったん。あの手の文字は反則! でもそれやから余計に使命感と恋心がお姉ちゃんを満たしたんやわ。きっとそうやわ。
お姉ちゃんは「あの人」から「名前忘れないように」って言われたのに忘れちゃったやろ。あれはカタワレ時が終わったせいや。うちの神さまのせいやない。神さまもお姉ちゃんとウケヒはしてたから忘れさせへんわ。きっと。
神さまにとってもリベンジやわ。三つめの願立ては1200年間あたためてきたもんやし。だから最上のシナリオを作るわ。何年かけてでもお姉ちゃんをエスコートするはず。お姉ちゃんも忘れるはずあらへん。「あの人」に出会うまで頑張る。お姉ちゃんには宮水の血が流れとるんやから諦めへんはずやよ。
私な、お姉ちゃんと瀧くんがじかに喋ったこととか、組紐を渡したこととかは、神様のねらいとしてはこれ以上ないスマッシュヒットやったと思うわ。神懸かり冥利に尽きるっていうことやん、それ。
やっぱり、直に会って名前を明かして組紐も渡してっていうんは、はずせへんプロセスって思うんよ。
本当にすごいなぁと思うのは、2人がその感覚に素直だったからだと思うわ。(ちょっとお姉ちゃんを尊敬してる!正直、そんな2人がすっごく羨ましいわ! 内緒やに!)
気遣いのお姉ちゃんが東京に行く⁈ デートやって⁈ 瀧くんに話しかける⁈ こんなことは5次元の神様でもできへんことやに。だって神様は3次元の肉体を持ってへんやろ。 あくまでも"顕のムズビ"は3次元の世界に生きている人間にしかできへんことなんよ。そやからもうびっくりやわ!!
お姉ちゃんはティアマトにそっくり。糸守から東京へ彗星のように現れて、あっという間に瀧くんの目の前から去っていく・・。でも、それでええんよ。だってここから主祭神がもうひとつのシナリオを仕込んでいくわけでしょ。
それは、入れ替わる夢から入れ替わらない確かな現実。大団円に向けてのハッピーエンドのストーリーやに。でもなシナリオっていっても、5次元の世界を3次元のうちらの世界(時間は後戻りはしないし、魂の入れ替わりなんてのもない世界)に転写して、微に入り細に入り十分に機が熟するまでの仕込みに3年もかかるっていうんは・・・仕方あらへんわ。そんだけの時間をかけへんと口噛み酒も飲めへんし、瀧くんもお姉ちゃんと同い年にならへんもんな。
すれ違ってる時間の束をぎゅっと括って組み上げて、ドンピシャにムスビ目を持っていくには神様もご苦労がいろいろあったんやろなって思うんやさ。でも、そうしてティアマトとアプスーの逢瀬と、糸守の人たちを救う大団円のストーリーのシナリオが書けたってことやと思っとるんよ。
これが「君の名は」の第1のハイライト。お姉ちゃんと瀧くんに託された「顕のムスビ」なんよ。ね?やっぱりガールミーツボーイでしょ!
{/netabare}
★ 四つめの物語。そして瀧から三葉へ。
{netabare}
瀧の手元には、"組紐と、口噛み酒と、三葉の名前"があって。それはもうこれ以上は望むべくもない3種の神器みたいなもので。
瀧は、口噛み酒を飲み、三葉の死と生のストーリーを知り、彗星と糸守町の因果律を知ります。主祭神が瀧の「天眼を開かせて見せた」のです。
このシーンが第2のハイライト。
瀧が見たシーンは主祭神から負託された「天啓」です。彗星を見せ、三葉の生い立ち、入れ替わりの日々、髪を切った(失恋した)姿も見せました。そうしてついに瀧も、すべてが一つの時間軸に繋がっていたことを知るのです。不思議な入れ替わりが、宮水家と彗星との因果律によって生じていたことを感じ、三葉の未来に責任を負う者としての強い情愛の決意が生まれるのです。三葉のことを"失いたくない人"だと気づくのです。
ようやくようやく・・ようやく瀧の願立てが聞かれます。「三葉、そこにいちゃいけない。逃げろ!」と。
その瞬間、主祭神の神力も全力展開で発動するのです。瀧の魂が時空を超えて生きている三葉に入ることになるのです。ティアマトとアプスーの逢瀬の日の朝、瀧は三葉の身体をいとしく思って抱きしめ涙します。
瀧の目的ははっきりしました。三葉に会わなければ・・。伝えなければ・・。 まるでティアマトがアプスーに向かうように、瀧はご神体のある山に向かいます。太陽の光線はまだ強すぎて2人の間に光の壁を作ります。しかしそのとき、地球の神と太陽の神から、ドンピシャのタイミングで祝福が与えられるのです。糸守の人々に語り継がれてきた「カタワレ時」です。
大気は柔らかな桜色に染まり2人の心に沁み込んでいく。
それは忘れられない恋の色。忘れてはいけない戀の彩です。(須賀神社で三葉が同じ色の上着を着ていましたね)
このシーンが第3のハイライト。
カタワレ時は、惜しむべきほんのわずかな時間だったけれど、未来を作り出すとてつもない大きな意味を持つ時間として三葉と瀧に与えられます。
主祭神は、太陽と地球の神ともタッグを組んで、三葉には未来を見せ、瀧には過去へといざないました。町の救済は、主祭神の「願立て」でしたが、3次元世界では三葉と瀧が「始めたこと」、テッシーやサヤちんたちの協力と三葉の父の決断によってようやく成就します。
主祭神の願った二つめの意図、糸守町の人々の救済は確かに叶ったのです。それは主祭神から糸守の人々へのこの上ない大きな祝福となりました。
でも、三つめの意図を成就するためにの時間は、儚くも潰(つい)えてしまいます。主祭神が三葉と瀧の糸をムスビつけようとした祝福も、2人が「忘れないように」とペンを持った時間も、唐突に終わってしまいます。5次元の主祭神にも太陽と地球の運行までは変えることはできなかったのです。
カタワレ時の終幕とともに、祝福の余韻も2人の記憶も、薄闇のなかに溶け込み、かき消されていきました。それぞれの名前は「君」に置き換えられ、やがて「誰か・何か」となっていきます。
三葉と瀧は、大きな大きな代償を払うことになってしまうのです。
{/netabare}
★ 五つめの物語。逢いたい。
{netabare}
あとちょっとだけ、もうちょっとだけでした。
三葉と瀧の大切な時間は強引に分かたれ、別々の流れのなかに引き戻されていきます。
でも、ともかく2人は生きているのです。それが尊いのです。天上天下唯我独尊。天の上にも天の下にも、ただ私がこうして生きていることが何よりも尊いこと・・。三葉と瀧、テッシーとサヤちん、四葉と一葉ばあちゃん、町のみんな。みなが生きていることが尊い。生きているから「あとちょっとだけ」「もうちょっとだけ」だと感じられる。その感覚こそが生きている証です。記憶の糸は途切れましたが感覚の糸が残っています。お互いの身体の中に残された感覚、言葉に置き換えられない「名の知れぬ何か」です。
主祭神が三葉と瀧に残してくれたもの。
三葉には、瀧が書いた3文字。・・三葉は気づきます。「あの人」への恋心を。それは5年間、見ることのない夢の目覚めに燻(くすぶ)り続けました。
瀧には「赤い組紐」の残像と皮膚に残るわずかな感覚だけでした。まるで糸守湖の湖底深くに沈んだアプスーのように朧気です。
そして「カタワレ時」の空の色。奥宮から見渡した光景。
2人にとってはそれらが唯一の、そして絶対の拠り所です。もう一度、絆をつなぎ合せるための思いの強さが、三葉と瀧に試されます。
ティアマトとアプスーには取次ぐ巫女がいましたが、2人には頼りになる依代はありません。
三葉も瀧も、"夢の醒めどき"に感じる魂に刻まれた"名の知れぬ"記憶のかけらの扱いに戸惑いながら、それが「何か」と自問し、実感を埋められない思いを抱えて過ごさなければなりませんでした。そう、168億kmを旅してきたティアマトをアプスーが呼び続けたようにです。いったん切れてしまった糸をムスビなおすのはとても難しい。それに1200年も人間は待てませんしね。
2人にとっては出口の見えない年月です。思い出せない夢に悶々とするやるせなさ。まんじりとともせず時間だけが過ぎていく。ただ募るのは寂しさ、侘しさ、もどかしさ・・。あたかもノクターン(夢想曲)の調べに漂うようです。
繰り返される夢は、ロンドのようにも感じます。交響曲や奏鳴曲の終楽章にはロンド(輪舞曲)があるものですが、あたかも、2人のためのだけに主祭神が指揮しているようです。しかし2人は名前を取り交わせなかったことで、五線譜はまっさら・・・。
冒頭、「あの日、星が降った日、"まるで"夢の景色のように、ただひたすらに"美しい眺めだった"」と、2人はティアマトへの称賛と感嘆を見せました。天空のティアマトを寿ぎ称えることは、主祭神にとっても我が子を褒められるようで気持ちのいいこと。
"まるで"という言葉は、瀧から三葉にリレーされ、"美しい眺め"に同時に結ばれます。三葉の言葉に瀧のそれを重ねてつぶだてていましたからとても印象的なシーンでした。
主祭神が交響曲を指揮するさなか、ソリストだった三葉に、"唯一共鳴するメロディ(調べ≒言霊)"を発したのは瀧だった。糸守と東京で交わされたその微かなハーモニー(音楽的調和)は、主祭神の耳にも届いたのではないか。だから、交響曲に共時性(シンクロニシティ)を持つ演奏者として瀧に白羽の矢が立った。同時に三葉とソナタを奏じ合うパートナーともなった。と同時に三葉はティアマトに、瀧はアプスーに"シンクロナイズして結びついた"。そう感じます。
こうしたことから、三つめの救済のシナリオの成就には、ティアマトを寿いでから、三葉には5年、瀧には8年にもわたる"演奏の時間"が必要だったということでしょう。
{/netabare}
★ 六つめの物語。宮水神社のこと。
{netabare}
宮水神社は、二柱(ふたはしら)の神を祀(まつ)っているようです。お山(奥宮)の主祭神と、糸守湖の神様です。主祭神のご神名は焼失し明らかにはされていません。糸守湖には男神が坐(い)ます。アプスーがモチーフでしょうが、作品内では秘められた神です。二柱とも「名の知れぬ」神なのです。(アナザーサイド版には主祭神名のみ記されています。)
一葉ばあちゃんによれば、宮水神社の成り立ちは千年余前に創建されているようです。宮水家にとっての「ハレ」のお役目(三葉にとっては最悪のようですが)は、年に一度のお祭りです。
本来、祭りとは、「間、釣り」であり、神と人との関係性のことです。
顕・幽の2面性があることは前述しましたが、具体的にはご神魂をご神前に招き、舞と鈴と音曲でもって、厳かに、賑々(にぎにぎ)しく魂振(たまふ)りし、神に感謝と敬神の誠をささげるとともに、そのご神威をますます高めていただきコミュニティーの繁栄とご守護をいただくこと。また、地域の氏子らも社殿に参集して、神とともに祭りを楽しみ賑やかに直会(なおらい。宴会・食事など)を行ない、神と人とが仲良く近しく過ごすことを指します。
顕と幽の祭りに込められたものが、人から神にむけては"敬神"であり、神から人にむけては"祝福"です。
敬神は、初詣、月参り、お百度、お礼参りなど、日本人がごく自然に無意識にやっていることです。それらはぜんぶ、人が神に感謝し、寿ぎ、称えるという敬愛の思いが出発点になっています。祝福をいただくためには、まず人のほうから居ずまいを正し、誠の「心と、行ないと、言葉」でもって示す行為が先に立つのです。
神の祝福(神徳)は、残念ながら目には見えませんから、その代わりに例えば、お札だったりお守りだったり撤饌(おさがり)だったり、神前に御供えし神様の力が宿ったもの。"神籬(ひもろぎ)"や"依代(よりしろ)"ともいいますが、それを手元にいただいて、ご神霊からの霊線を近しくムスビ、祝福(ご加護といったほうが耳慣れていますね)をいただくのですね。
宮水神社の神楽は巫女神楽です。これは「女性による男性への魂鎮め」の意味がありますから、男神に向けて奉納されていると考えても良いかと思います。
また、二人舞いであり、その所作・仕草などの舞い方や装束などからは、彗星の分割と落下(彗星に宿る神々の離別)を暗喩するような表現になっています。三葉と四葉の舞う巫女神楽は、主祭神とアプスー神に向けて奉斎されるものとして理解できます。
神楽(かぐら)については、『一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場。』、『日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞。』、『巫女神楽は、神懸かり系・早乙女系』、『早乙女とは、苗を田に植える女性』とあります。
{/netabare}
★ 七つめの物語。神話の始まりと終わり?
{netabare}
紀元前4000年のメソポタミア神話に登場する神々が21世紀の三葉と瀧の関係に関わっている・・。とても神秘的ですね。
糸守湖を作ったのが1200年前のアプスーだとしたら、奥宮のクレーターは6000年前に作られていた?・・ということは・・メソポタミア神話の原典は、超古代の飛騨に落下した彗星が由縁なの?って、ええっ??
原典の一つは、「とりかえばや物語」。この作品は1180年以前に成立されたと言われています。(ウィキぺディア参照。ぜひご覧ください)
しかも、ティアマト彗星は、1200年周期で地球にやってくる・・。
とりかえばや物語の成立と、彗星の落下は、ともに約1200年前・・。
「君の名は。」のストーリーはどうやらこのあたりがスタートのようです。
宮水神社の主祭神は、三葉と瀧の 「心と体をとりかえばやと誘(いざな)うかのようにはたらく」この物語の核心をなすものです。
主祭神は、地球から宇宙の深淵にいるティアマトに呼びかけます。それはあまりにも密やかで微かな声。1年に1度だけ巫女に懸かり、舞い、鈴を鳴らしながら空に向かって呼び続けるのです。「貴女を恋しく想うアプスーは、ここにいます。忘れないでください。きっと、きっと、また逢いに来てください。」と。やがてティアマトは呼び寄せられるようにして、糸守に再来します。 私のもとに来てほしい・・「来い」と「戀」。いにしえの「通い婚」に通じる逢瀬の言霊です。
主祭神は、長い時間をかけて、そして寸分の狂いもなく、ティアマトとアプスーとの巡り会いを準備し実現させました。と同時に、宮水家にも三葉、四葉を誕生させました。しかも、タイムループと、入れ替わりという荒技?を使って三葉と瀧を結ばせたのです。なんという神の御技(みわざ)でしょう!!
2人の関係は、唐突に繋がり、そして切れました。しかも繋がったのはタイムループです。実はこの物語、始まりはボンヤリしてよく分からないのです。理屈をつかっては説明のしようがありません。でも、ここにも原典があります。それは古事記です。なんとなくですが予感はありました。 古事記に顕われる八百万の神々の息吹とはたらきをこの作品にも感じてしまいます。(拙述レビュー、レクリエイターズ、感想その1参照。)
紀元前4000年の神話ではしかし、文献は遺せるものなのでしょうか。壊れやすい粘土板に刻まれた文字よりも永く遺るのは、神話であり、口伝であり、舞であり、作法であります。そして純度の高さを保つには、秘伝として一子相伝にするか、後世に残すのであれば「名の知れぬ神、解きようのないご神名」と置き換えて謎の神として秘めおくことしか術はありません。
映画では明らかにされていませんが、アナザーサイド版で少し触れています。でも、なぜそこまでして秘め置くのかまでは解説されていません。(秘め置かなければならない理由は「千と千尋」で語られています。少しですが)
彗星は再び糸守に落ち、神社を、町を消失させました。「ティアマト彗星に呪われた町」ということは簡単です。でも、私は「そうなった」意図もまた主祭神に尋ねてみたい・・。
そこで一つの仮説を立ててみました。宮水神社が失われるということは、その祭祀の役割も終わるということです。確か糸守湖は一つから二つになり、それは「つながって」いました。ティアマトとアプスーはつながった。ムスビついたのであるのならばもう呼び合うことはないのかも知れません。糸守湖は無限のループを示す形(∞)に姿を変えていました。(よく見ると、ティアマトの作った新しい湖の方が大きいですね。いかにティアマトのアプスーへの思いが強かったのかを示しているようです。) さて、新糸守湖は二柱の神の二人舞いの姿として理解すれば、逢瀬の喜びがいつまでも永遠に続いていくという証としてみていいのではないかと考えました。なるほど、それならば主祭神の願立ては、正真正銘、完成成就ともいえるでしょう。となれば宮水家が祭祀を奉斎する理由も役割もその必要がなくなった・・。そんなふうに思いました。
これは6000年越しの神話の一つの終わりではないか。幕は下りたのです。
ところが、アナザーサイド版では四葉のストーリーもあって、実に興味深くて・・。
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★ 八つ目の物語。観終わったあとにのこる不思議な余韻。
{netabare}
新海監督の作品には、いずれにも主人公の"一途さ"が見受けられます。それはちょっと独特な味わいと、シュールな世界観を感じさせるものでもあるのですが、三葉と瀧の"一途さ"には、それまでの作品には見られない違った印象を持つのです。
全体をとおして、明るくて、軽やかで、温かいのです。動と静のリズミカルな展開もパワフルに伝わってきます。三葉は洗練された都会のビジュアルにしっかり溶け込みながらどんどんお出かけの予定を入れてしまうし、瀧も糸守の町や高校でなんだかんだで対応し、馴染みながら家族ともうまくやれてしまう。それぞれが夢のなかのことじゃなくて、入れ替わっていることだとわかったあとでも、全部ひっくるめて両足はしっかりと地につけている2人。お互いのためにと作ったルールもなんのその。ついつい脱線しがちになって、果ては開き直りあう2人は豪(えら)い!
このふわついたファンタジー感と、きつきつのリアリティー感が、ベタで鮮烈に表現されています。入れ替わりは非現実なのですが、それを現実のものとして受け入れ楽しめている2人を見ていると、カタワレ時のわずかな時間のはかなさにも似た危うさを感じながら、一瞬の今を生きている命の尊さにふと引き込まれてしまうのです。
新海監督の作品のなかには、いつも「すれ違い」が表現されています。三葉と瀧の大団円も、電車のすれ違い、神社の階段のすれ違いなどのシーンがありました。私は三葉が瀧を見おろす姿にティアマトの心情を、瀧が見上げる姿にアプスーの心情を思わず重ねていました。特に三葉が一瞬、戸惑いと期待を秘めた表情が好きです。主祭神は1200年越しの愛は成就させたのに2人の戀は結ばないのかなってドキドキして胸が詰まる思いでした。
私は、「君の名は」と問うべき対象は、生きている今に限られるものではなく日本人の精神性の中に見え隠れしている、忘れてはいけないもの、大切なものへの呼びかけのように思えます。
ムスばれたい人とムスビつきたいと願う気持ち。それを助けたいと願う氏神様のムスビの働き。「ムスビ」という言霊は血脈に溶け込みDNAに組み込まれ、お互いを寄せ合い結びつきあおうとする不思議な働きを持っています。なぜなら「魂の歓喜と安心の気」を生み出すからです。
それを感じさせ、呼び起させ、湧き上がらせてくれる源泉がこの作品の中に秘められていると思います。愛を生み出すチャクラは胸にありますから、観るたびごとに胸を撫で下ろして「ああ、よかった~」って思うのは、魂が愛の歓喜を胸に感じるからでしょう。
新海作品の通奏低音である「すれ違い」の歴史から、ついに新しい「ムスビ」のステージに移った、そう感じます。
心の交流も出会いも、みな神様が望む「ムスビ」。
自分も、親も、その親も、みな辿れば氏神様に行き着く。誰一人として欠けてしまっていたら今の自分はないですね。子や孫は・・「ムスビ」方しだいですね。
人の歴史が、今この瞬間から未来に紡がれてこそ、この国(コミュニティ)が賑々しく繁栄する大元であるし、それが神々の願いです。だって崇敬する人がいなくなれば、願立ても、祭りも、直会もなくなってしまうし、神社も廃れていくのですから。本来、人と神はとても近しくて、お互い様な存在なのですから。
前々前世からムスビ組み込まれた密やかな愛の祝福の象徴。それが「名前」。「君の名前は?」と三葉と瀧が呼びかけ合うことが、それぞれの氏神様からの愛おしさの表明であり祝福そのものです。
ムスビあう働きから生み出される幸せ。そのありがたみや、未来への希望の予感を、もう一度思い起こさせてくれるのが本作です。
毎日、毎回、初めて出会ったように、気持ちを込めて、名前を呼びあおう。そうして、友と語ろう。恋と愛を紡ぎあおう。人生を組紐のように組み上げていこう。それは奇跡の出逢いなのだから。
彗星が落ちる日、三葉と瀧がお互いに涙するのは、その名前をもう二度と呼び合うことができなくなる予感を魂が感じ取ったことが理由なのでしょうね。
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★ 九つめの物語。おまけ。
{netabare}
「暗喩・象意」について。
☆ 三葉
密葉(人に知られないように秘められた祈りの言葉≒願立て)。ラピュタの主人公シータの発する「リーテ・ラトバリタ・ウルス・・のような言霊の力です。
また、三の意味する象意は、「青春、若々しさ、躍動感、進歩性、発展性、活発」です。
” みつはめの神 ”(火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神のはたらき)の意もありますね。(有名ですね)
三葉は、3(みつ)と8(はち)。足し算で11になりますね。(数霊の項を参照してね)
☆ 立花
「橘」に読み替えると花言葉では「追憶」になります。橘は柑橘系の果実の一般名称(古語)。落日する太陽のようにも見えるでしょ?
☆ 宮水家。
水(密、秘密、密意)の秘め置かれている宮(尊い場所)の意ですね。
☆ 二葉の存在。
半月の明と暗。月を2つに横切る電線。扉の開閉。2に割れる彗星。2つに繋がった湖。さやかとたそがれ。極めつけは2本の茶柱。
このような「ふたつ」の象意ですが、「ふ」は「ふえる、生産する、育てる」の意味合いを持ちます。それが転じて「女性」の意味となります。
また、「ふた」は三葉の母である「二葉」の言霊の響きにも通じます。つまり、全編を通して亡き母の存在が影に日向に感じられるのです。
三葉が父親のいる役場に来て消防団の出動を要請するのは町長室でした。そこに掲示されていたポスターの「陰、陽」の文字は、まるで三葉の背後に二葉が見守っていて、三葉に寄り添って後押ししているかのように感じたのですが、いかがでしょうか?
魂の救済は、女性の感性と役割が主役だという意味なのでしょう。
☆ 三葉と四葉。
三+四で「七」。7は変化の数霊です。「葉の並び」は転じて「母」。二葉の母性のはたらきが感じられます。母のような情と愛を以っての救済がこの姉妹に託され動き出すという暗喩でしょう。
☆ 三葉の父
町政「≒まつりごと」に転身したのも、糸守町を守り発展させるという宮水の主祭神の願いでもある「町の救済」の一部を担っている縁だとも言えそうです。父は宮水の姓を名のっているので霊線がムスバれていますね。
☆ 糸守町。
彗星が「糸を引いて再来したとき守られる場所」。神社と祭りと敬神を「守り続ける意図の定着している場所」。また、神の「意図が洩れる」場所でしょうか。
☆ 組紐。
宮水家の系譜と伝統、DNAと血脈が幾世代にもわたって組まれること。また、地元住民とのムスビ・結び・産霊(産霊は生産・生成を意味する言葉)の証。「糸の声をよおく聞き。」とは撚り合わせることで人と人との思いや願いに耳を傾けること。組むことはお互いの意見や主張をしっかりと聞くこと。コニュニティーのなかに平和や調和、規律や信頼を効かせ、結びつけていきましょうという意味があると思います。そして主祭神と人との共同という働きの暗喩でもあるかもしれません。
☆ 女性の暗喩。
糸守湖も池塘のあるご神体のクレーターの風景も、ともに円形です。宮水、三葉という呼称、早乙女系、田植えなど、水に関わるのはいずれも女性の暗喩でしょう。また、組紐は女性の家内作業にも適していますね。
☆ 男性の暗喩。
巫女舞の装束にある前天冠(まえてんかん、頭につけるティアラ様の冠)と神楽鈴(かぐらすず、稲穂を象(かたど)り、鈴は米を表す)の龍のデザイン。煌(きら)びやかで美しい中にも凄まじい音を鳴らして落下する彗星の暗喩で、力=男性的ですね。また、言霊で解釈すると、龍(リュウ)は「立」、瀧(タキ)「立つ」に転じます。新宿の屹立するビル群も含めて・・男性の暗喩でしょう。艮(うしとら)の金神、国常立(クニトコタチ)ですね。
☆ 須賀神社。
神紋が「左三つ巴」です。巴は「ともえ」と読みますが、音読みすると「は」なので「みつは」の語呂合わせ?ちなみに三葉と瀧が出会った四ツ谷の総鎮守でもあります。
☆ カタワレ時。
古文のユキちゃん先生が、「黄昏時はたそ彼時」「誰そ彼時、彼は誰時」と述べ、生徒が「カタワレ時は」と揶揄する場面。「追憶の愛しいあの人との赤い糸伝説」の悲哀悲恋を彷彿とさせます。
カタい彗星がワレて糸守町に到来するトキの暗喩も。だからこの糸守町だけに伝わる方言ですね。
また、現実世界(現世・うつしよ)と夢世界(幽世・かくりよ)のふたつの別々の空間と時が存在している暗喩であり、僅かに生み出される時空の軛( くびき)を超えて、人ならざる者、つまり「救済者=メッセンジャー」が現れるという暗喩です。
また、女性(宮水家、サヤちん、ユキちゃん先生、奥寺先輩、太陽=アマテラスオオミカミ)と、男性(瀧、テッシー、司、町長、地球=クニトコタチオオカミ)のそれぞれのはたらきと、合一するはたらきの暗喩ですね。
☆ 飛騨。
文字どおり「飛行する馬」。つまり「天馬」であり「ペガサス=ペガスス」です。天翔けり国翔ける(あまかけりくにかける)白い馬でもあることから神様の遣いであり、その象意は「水、泉」です。(星座の項も参照してね)
☆ ⦿。
宮水神社の奥宮は、クレーターの辺縁の中心に巨石で形作られています。デザイン的には⦿です。
また、東京を象徴する新宿区は東京23区のほぼ中心で、新宿駅は新宿区のほぼ中心。⦿です。
また、2人がクレーターですれ違ったとき、見えない相手に恐るおそる手を伸ばしたとき⦿がほんの一瞬だけ表現されていました。この自然現象は太陽の神と地球の神の働きがあって初めて創れるものです。このシーンは時間軸が3年を隔てているにも関わらず2人に同時に表現されていました。神様が2人を守り導いたという証ですね。
☆ 2013年10月4日。
この日は天文学上で見ると、太陽、地球、天王星が一直線になる「衝(しょう)」という現象が見られました。
衝の学問上の概念では、一本の線に3つの天体が貫かれるのです。
また、『衝の位置にある天体は地球との距離が最も近』くにあることと、太陽の影響を受けないため、『視直径が最も大きく光度も最も明るくなります。』
つまり、一番明るくなり観測されやすい=人々の目にとまり意識に上がってくる=象意が強く表れる時です。
天王星は、『西洋占星術では、宝瓶宮(みずがめ)の支配星で、凶星である。変化を示し、改革、離別、不安定、電撃に当てはまる』という意味・象意がありますから、これらが一番強く表れてくる時なのですね。
なんだか糸守湖がみずがめ座を転写したかのようにも感じられませんか?アプスー、つまり瀧にとって強く作用する暗喩ですね。
☆ 星座の位置。
この日の天王星の遥か彼方の背景には「うお座」が位置していました。うお座は、『星図では「紐で結ばれた2匹の魚」として描かれます。うお座は古代メソポタミア文明に由来する星座とされ、恒星のα星:アルレシャ(Alrescha、「ひも」の意)は2匹の魚を結びつけるリボンの結び目にあります。この星は4.2等と5.1等の連星であり、それぞれはさらに分光連星となっています。』
さらに、『うお座はぺガスス座の南にあります。日本でも秋になると「ペガススの大四辺形」と呼ばれ月明かりがなければ比較的よく見えます。ギリシア神話ではこの四辺形を「神が地上を覗く窓」に「四辺形の中にある星は神の目」に喩(たと)えています。』
これらをつなげると、「遠い宇宙に坐す神の目(意図=糸)がペガサス座の窓を通じて飛騨の地に現れる。水にまつわる名を持つ2人をひもで括る。離別という大きな変化が生じるが救済へといざなう働きも運んでくる。それはやがて括られることになる。」という象意になります。(白山比咩神社の項を参照)
また、太陽の背景には「おとめ座」が位置していました。おとめ座の象意は「少女のような瑞々しさ、初々しさ、ピュアな気持ち」。太陽の象意は「数年かけて現実の世界にあまねく降り注ぎ、しっかりと根づき実現していく」。両者の働きが重ねられて三葉と瀧に現れる意味になるのです。
図式化すると、次のようになります。
おとめ座→太陽→ 地球 ←天王星←うお座←ペガスス座。
これらの星々が、カタワレ時に、衝として、一直線に並んでいるのです。
また、4.2+5.1=9.3となり、この数霊を言霊で解義すると、「キュウ、サン。=救済」という象意を含んでいます。
このように西洋占星術を参照し、数霊・言霊解釈をしてみると、「君の名は。」という作品は、「深宇宙から幾重にも重ねられた要素が、組紐のような複雑さをみせながらも美しく組み上げられ、三葉と瀧に大きな変革をもたらす。2人はピュアな気持ちを保ちながら、その願いは数年のうちに必ず実現して幸せを手にする」という奇跡のようなストーリーが、おのずと組み立てられるかのように思えます。
そう考えると、指揮者は主祭神ですが、プロデューサーはどなたなのか興味がわいてきます。その神様が新海氏に神懸かった?そんな思いに駆られてしまいます。誠に不思議ですね。
☆ 数霊。
2013.10.4を足し算すると合計は「11」になります。
『1は、一白水星。象意は水、流動性、始まり、忍耐、交わり等』、ぞろ目ですから意味合いが強調されます
「11」は・・十一面観音といえそうです。『伝承では、奈良時代の修験道僧である泰澄(たいちょう)は、幼少より十一面観音を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山(はくさん)を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得した。』 白山は、長野、岐阜、石川各県にまたがる霊峰。その一宮は白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。
☆ 白山比咩神社の奥宮。
2013年10月4日の日没。宮水神社の奥宮から夕日が沈んでいった方向には、白山比咩神社の奥宮があり、先ほどの「衝」の一直線上に、同じく並ぶのです。
三葉と瀧を隔てていた光の壁を消滅させ、一瞬にして2人の魂と身体を入れ替え括ったのが白山比咩神社の主祭神、菊理媛神(くくりひめのかみ)です。この神の本地仏は十一面観音なのです。数霊と言霊の不思議な符号ですね。
☆ メソポタミア文字(紀元前8000年~)。
楔形(くさびがた)文字とも呼ばれています。象形文字、つまり形を見たまま写し取るという技法です。いわばスケッチですね。 漢字(紀元前1300年~)やヒエログリフ(古代エジプト、紀元前3200年~)もその仲間と言われています。
メソポタミア文字の『米』(すみません環境依存文字で表現できません。ネットで「ユニコード、12020、D」で検索してみてください)。星の形をそのまま使っています。この楔形文字の「米」の意味は「神・天・宇宙」なのです。ホントだよ。
そして、私たちに身近な漢字の『米(こめ)』。
是非メソポタミア文字と比較してみて下さい。「星」「米」「神」にまつわる不思議なシンクロニシティですね。
「口噛み酒」は、「米=神」を「噛み=体内に取り入れ」、「大地と宇宙エネルギー」と巫女のDNAとをムスビつけて、星の神に奉納するという大切な「依り代」だったのです。言うなれば「天、地、人」が統合した供物なのです。
御神酒(おみき)もお米から作りますし、軽く飲んでほど良いトランス状態に入れば、神様とのムスビがいっちょ上がり、ですね。
一葉ばあちゃんが丁寧に解説してくれていました。私はばあちゃんの説に賛成です。お米やお酒をいただくことは星のパワーと神様の神力を取り入れることなのです。事実、玄米(5~7分づき)はデンプン、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル、食物繊維の6大栄養素をバランスよく含んでいるんです。食べるとき小声で「ムスビ」って呟いてみて。元気が出ますよ。
☆ アポフィス。
2004年に発見された小惑星です。
NASAの評価によれば・・・2029年4月13日に地球に最接近します。どれくらい接近するかというと、32500㎞。地球約2.5個分、近いです。
大きさは325m程度(イメージとしては東京スカイツリーの半分くらい)。重さは7200万トン。明るさは3.3等級(北極星が2等級ですから少し暗いですね。)
その影響は、NTN火薬で510メガトン。被害範囲は数千㎢。(広島は15キロトン、長崎は22キロトン。凡そですが広島型原爆の34000倍。私の街なら愛知県ごと消えてなくなります。)
地球に衝突する可能性は、100万分の1以下(あくまでも現在の評価)。
そして「君の名は。」のシナリオで語られていた「科学者が想定していなかった現象としてのティアマトの核分裂」という言葉がアポフィスにダブります。
最接近まであと11年。
{/netabare}
★ 十でとうとうお終いです。ホントだよ。
{netabare}
不思議なデジャヴを感じていました。三葉や四葉の姿に、「君の名は」と問うシーンに、神社に、お祭りに、代々木駅に・・。ブラックラグーンのThe Second Barrage(2006年作品)の東京編に登場する鷲峰雪緒がそれでした。
{/netabare}
長文をお読みいただきありがとうございました。
この作品が皆に愛されますように。