kurosuke40 さんの感想・評価
4.0
物語 : 3.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
エンターテインメント性から純文学性への誘い
人はなぜ物語を読むのか。それはより良く生きるためだという。
人はなぜ物語を綴るのか。それはなんだろうね、という話。
物語には、作者と読者と被創造物の3つの主体がある。
この作品は3つの主体それぞれの関わりや、作者間や被創造物間の関係に言及する作品だ。
被創造物は作者の一部分の生き写し。
読者にとって被創造物は模範であり、反面教師。
被創造物から見て作者の関係は様々で、
神を敬愛し、世界を守るメテオラと壊すアルタイル。たとえ神だろうと責任の所在を問い復讐するブリッツに、
運命に人格のついたものと達観する弥勒寺。真鍳にとっては天敵だろうね。
などなど、広く浅く触れられている。
そして作者と読者の間では承認力がキーとなっている。
ただちょっと面白いのは、真鍳が最後にひっくり”返す”ことで、こちらがCREATORSへの返信だろう。
真鍳はチートじみた能力を持っているが、彼女はその能力で事を運ぼうとしたことはない。
あくまで自分の口先と行動力で暗躍している。
ピタゴラスイッチの球を手で動かすような、そんなつまらないことを彼女はしないのだ。
では、真鍳がどんなときに能力を使うかというと、基本的には暴力に対する防衛手段として。
いくら口先三寸で乗り切ろうが、力ずくには口での対抗は不十分だから。
そして、最後に真鍳がひっくり返したのは、承認力という読者から作者へのある種の暴力。
読者に認められないといけないというのは、明らかに作者に圧力がかかっている。
面白くなければ打ち切りという現実もある。イラストだったら上手くないといけないとかも含めてね。
原理上作者であるならば、どのような内容でも公式にできる自由があるはずだが、
読者の目によって、あるいは作者の中の読者の目によって、制限がかけられている。
だが読者に縛られることなく、
作者は「なんか最後に今まで見たことのないキャラ(シマザキ)が出てきて解決しちゃったぜ」展開にしてもいいのだ。
(作家の行動化というやつだろう)
書きたいことがこみ上げてくるから作品を作る。書きたいことよりも先に読者があるわけではない。
エンターテインメントは読者を楽しませるのが目的だが、純文学は自己探求を目的とする。
ただ糊口をしのぐために、読者に迎合して楽しませるだけになってないか?
作者の中にある熱い何かを忘れてすぎてないか? もちろん両立できれば一番いいのだけど、ちょっと寄りすぎでは?
そんなメッセージを感じる。
この作品はエンタメとしては正直イマイチなところがあるんだけど、エンタメ的に云々とだけ評価するのはちょっとズレた批評になると思う。
だってこの作品の主張が物語のエンタメ性のみを追求することを否定しているのだから。
とはいえ、それは多くの読者には関係ないことなのだけど。
題名通り、読者の中にいる作者層に向けた作品なのでしょうね。
ご精読ありがとうございました。
蛇足
この作品は物語というものについて広く浅く扱ったものだから、掘り下げは浅い人物が多い。
ちょうどちょっとした知り合いの距離感のため、苦労が垣間見れる程度で、なんとも物足りなさを感じた。
どうも私が物語の人物の求める距離感ってのがあったのだなと気づいた。多分私は登場人物の欲望が欲しいのだろうな。
物語をちゃんと閉じることに熱を入れすぎて説明が多すぎた印象。
他のところにもっと熱い何かが欲しかったなと。
にしても、ただただメテオラの一言一言が愛おしい作品でした。私の中のアニマに近い。
追記
返信先は作者だけじゃなくて作り手全般でしたね。