退会済のユーザー さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
近年稀にみる傑作恋愛アニメ
原作、アニメ共に視聴済み。
1クール目はコメディ寄りに作られており、
それは登場人物達のコミュニケーションで
距離を縮めていく物語。
2クール目は、1クール目のラストで各々が自覚した、
想いが交錯し、よりお互いの関係性に踏み込み、
答えを出すシリアスな展開が主軸になっていく。
物語の入り口、掴みの部分で、
視聴者は
『物語を自分の世界観でしか測れないか?
それとも違う世界観を受け入れられるか?』
という振り分けをされる事になる。
それは第一話の
ぶっ飛んだ大河のキャラクター性だ。
『ありえねぇ』と笑いながらも受入れられるか
『現実的にありえませんね』とこの物語に蓋を閉じるか、だ。
※自分としては、物語を楽しむことにおいての
基準の1つであるリアリティとは、
『キャラクターの感情や背景から生まれる表現として
リアリティがあるかどうか』で
判断すべきであり、
『現実的にこんな行動はありえないとして判断する』
とするのはいささかつまらない見方だなと思う。
この作品は、やや人物の行動やや突飛な所があるものの、
登場人物の感情の移り変わり、考え方、心理描写は実にリアルだ。
特になぜ自分勝手な大河と世話役の竜児が、離れられないでいるかの
繊細な心の動き、ちりばめられた互いの補完が
わざとらしくなく、自然に描かれている。
なぜ大河がここまで嫌われ、また好かれるか分かれるか?は
各視聴者が上記で述べた
『自分基準の常識やルールと違った世界観を受入られるか』
つまり評価者における、
『客観性を持ち合わせて評価出来るか?』の
基準を持ち合わせているかどうかによって変わってくる。
大河というキャラクターは
「自分が主体で、自分の信念の為には顧みない」という
能動的キャラクターだ。
後先なんて考えない、行動行動行動。
この手のタイプが共感を得られない層が一定数存在するのは明白だ。
なぜなら多くの日本人、国民性が
遠慮し、同調圧力に屈し、
自分より他人の価値観を優先する傾向があるからだ。
『普通』『目立ちたくない』『逸脱したくない』『嫌われたくない』
等々を処世術としている。
もっと言うと
『最悪を想定し、最もマイナスな行動をしない事が最善策と妄信』し、
行動における結果など自分次第であることを理解していない層だ。
※だからこそこの物語には意味があり、魅力に溢れているのだが…
顕著なのは特に生徒会長に打ち入りするシーン。
大河『間違ってるかどうかわからないが、わかることはこの足が止まらないという事だけ』
からの
会長「馬鹿になれたらどんなにいいか」
という場面だ。
このセクションストーリーでは
人生の選択において
人に迷惑をかけるかどうか、正解か不正解が重要ではなく、
こうしたいと思う事を決断し、行動する事の美しさ、
その狭間での揺れを、10代の感傷たっぷりに描いている。
ここで、否定的な視聴者は
「木刀なんか当たったら下手したら死ぬかもしれないのにありえない」
と判断する。これは完全な主観的批評だ。
視点を変えれば
・大河は会長が竹刀を持ったのを確認してから殴りかかっている
・そもそも会長は運動神経抜群、頭脳明晰という説明がある
・『下手したら○○』は何に対しても言える=大河は体に当てる瞬間には竹刀を止めるつもりだったとも言える。
つまりどちらも仮定の域を過ぎないからだ。
第一話の大河が竜児の家に忍び込むシーンも同様。
否定する人は「違法だ」「ぶつかったら死ぬかもしれない」こんなことする人は居ない。と否定する。
しかしそれも、主観的批評である。
・物語は冒頭であり、導入箇所で説明領域である。
・犯罪行為であったとして=実行しないとは言えない。
・小さい同級生の女子に夜に忍び込まれ
木刀で殴りかかってくるのはリアリティが無いとするなら
『生まれた時から隣の家に可愛い幼馴染がいる』
『兄弟で宇宙飛行士を目指して近くに居たおばちゃんは有名学者』
『双子のイケメンでどっちが野球やってもプロ級』
『空から女の子が降ってくる』
これらの作品はリアリティがあるのか?
もしこれらにリアリティが~等同じ批判をしていないなら
その批判は好きか嫌いかの主観的判断である。
評価におけるリアリティとは上記に説明した様に、
この現実への再現性で判断するものではないという事だ。
※仮定の域を過ぎない事柄への批判、好き嫌いの主観批判、
これらは短絡的な批評で見受けられる
よくある例であることを追記しておく。
そして、とらドラはこういった突飛な表現を用いたかと思えば、
しっかりと一つ一つの手や、口の動き、寄りだけでない
映画的な遠目からの引きの画だったり、
繊細な手法で、丁寧に感情豊かな映像表現を駆使してくる。
そして魅力あふれる、人間味に溢れたキャラクター達、
大河の性格や、みのりの二面性、亜美の立ち振る舞いは
それぞの背景が次第に描かれ、なぜこういう人物になったのか?が
納得感をもたらしながら説明されていく。
またそれが女性原作者ならではの言動や行動で表現されていて
とても生々しい一面もある。
最後みのりと大河などの教室でのやりとり等、
少々行き過ぎた表現も見られるがそこはご愛敬としてw
見て損はない。一時の青春を体感できる、
切なく、おかしく、泣ける、至極の一作だ。
2021/04/01
低評価レビューを読んで追記…
とらドラ愛伝われ笑
以下、とらドラ嫌いの方へのきっかけとなれば
自分なりの解釈での解説
{netabare}
批判的内容の主な評価に対して
①大河が暴力を振るうのが嫌、許せない
このアニメはラブコメである。
コメディなので、デフォルメされているという前提を視点を
持って見ると許容範囲には収まらないだろうか?
好評価をする人は、いわゆる漫才でいうツッコミ程度でしか
認識していないのである。
②大河は北村が好きだったのに乗り換えた
これは第1話の終わり方をもう一度視聴することを奨める。
この1話ですでに大河は竜児を好きになり始めている描写がされている。
また、2話以降、大河が北村へ寄せる思いは恋愛感情ではなく
感謝と恩返しで描かれている。
③竜児に感謝しないのが嫌
大河は言葉にこそしてないが態度で示し、
それを竜児が受け取って納得してるシーンが沢山描かれている。
炒飯を綺麗に食べる、偽乳パットが完成するまで起きている等々。
そして竜児自体が感謝を目的に世話を焼いていない。
どこかたどたどしく生きる彼女に、自分を重ね、
魅力を感じ、支えようとしている。
感謝を口にすることに重きをおかず
お互いの関係性のあり方に着目してみてはどうだろうか。
④女性三人が良くわからない。
大事なのは関係性の読み解き。
各話の描写や台詞を注意深く見直してほしい。
まず大河と美乃梨の関係性
仲良しの様に説明はされるものの、
物語の冒頭では実は希薄。
なぜなら父親の件では不可侵で終話し、
大河は美乃梨の前では猫をかぶっている事がわかる。
その後も美乃梨が物事に踏み込んで
話をするシーンが描写されるのは
竜児か亜美が殆ど。
故にこの二人は竜児を中心に、
友人としての深い関係性を築いていく事になる。
これがこの物語の1つのサブストーリーでもある。
またそれぞれの行動をひも解く為の
各恋心始まったタイミング
大河→竜児 1話
竜児→美乃梨 物語の開始前からの憧れが19話で打ち消える
竜児→大河 21話
美乃梨→竜児 9話
亜美→竜児 7話
⑤大河がなぜ会長に怒ったのか
まぁこれは大河が説明してるいるのだが
北村が全校生徒の前で好きだと告白したにも関わらず
振ることも受止める事もせずに逃げた事で
整理もつかないまま途方に暮れてしまうことになった。
救ってくれた北村への恩返しに、
その答えを出させるために会長へ殴り込みに向かったのだ。
そしてそれに対して会長は
『好きだけど、受け止めた結果、ついてきてしまい
北村の人生を変える責任を取る覚悟はなく、
好きという感情を突き通す勇気がなかった』という
切ない事実が明かされた
⑥なぜキャットファイトになったか
美乃梨が誰にも隠していた感情を、初めて他人に踏み込まれた。
亜美は竜児の恋愛対象にもなれてない事実と
臆病なまま大河と竜児にも、自分にも嘘をつく
美乃梨に終始苛立ち、許せなかったのだ。
そして自分の本音をさらけ出し、踏み込み、踏み込まれたからこそ
最後、美乃梨が頼るのは亜美になっている。
以上6点、気分を害したら申し訳ない。
好評価した自分の視点を気づきとして受けてめて
いただけたら幸いです。
{/netabare}