fuushin さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
大地から生(あ)れいでる日本の霊性と神性を賛美する作品
もののけ姫は、宮崎監督の作品にしては、珍しく空撮シーンがなく、また、広がる空をイメージさせない作品ですね。
冒頭、疾走するアシタカとヤックルに、耳障りな不協和音がまとわりつき、ただならぬ不穏な気配を漂わせ、物語は始まります。
エボシをはじめとする個性豊かな登場人物と、神秘に包まれた太古の神々が織りなす
彼らの共存と対立は、大変わかりやすく描かれています。
人々は、しぶとくも健気であり、実直であり狡猾でもある。神殺しすら畏れぬ高慢な者も。
シシ神の首。
サンは畏怖の念で。
アシタカは真摯に鎮魂の念を持って。
二人してそれぞれがまっすぐにシシ神に向き合います。この一瞬のシーンが堪えます。
破壊と再生の繰り返しのなかで、それでもやはり、人々は生命をつないで行く。
否、生きとし生けるものは、神も獣も人もひと柱も漏れ落つることなく、その理(ことわり)のなかで生き、その気(き)を身を委ねながら生き、その意(い)を、発露し体現していく。
生まれ、もがき、死ぬ。そして再び輪廻して、永遠無窮に繰り返していく。
この当たり前の生命の営みの根底には、生まれ変わり死に変わりするなかで、不断の「御魂磨き」が実践されています。
アシタカの生きた時代、私たちの生きている時代、スクリーンのどこかでつながっているのなら、「生きろ」と。
出会いのなかで、喜怒哀楽にもまれつつ、矛盾と葛藤をくぐり、発見と悟りを得る。
そうした魂のブラッシュアップを通じて、進歩向上を喜ぶ人生観を!
やがて肉体は衰え、病に倒れ、死を迎える。
それでも「生きろ」と。
だからこそ「生きろ」と。
ただ漫然と生きていくのではなく、一挙手一投足に志を立て、ひと息吸うごとに奮い立ち、命をかけて生きる目標を持てと。
AIやロボットが席巻するだろう近未来の時代となるとき、辛く厳しい労働は急速に人の手から離れるだろう。そのとき、人はどうやって生きがいを見出すのか。
平易で安逸、葛藤も慟哭もない安直な生き方も選べることはできますが、残念ながらこの現代は、それ自体が同等の生きにくさを内包しているし、私たちに強迫してきます。
それでも、「生きろ」と。
アシタカは、「吾、私、志、司、明日、高い (貴い、多価)」の意味ですから、「私の志をもっと高くする」という象意ですね。
サンは、「産、讃、山、SUN」の意味ですから、「母なるものを産み出す大地を讃える」「太陽の如くあまねく大地を讃える」という密意ですね。
人は、「霊止」という言霊。
霊は「ヒ」、止は「ト」と読みます。
霊は想念そのものであり、善なる想念、善ならざる想念の両方を意味します。
善なる想念は、善なる神霊 (心霊ではない)につながり、善ならざる想念は、悪霊につながる。
そうして霊線がつながり、霊流となって流れ込み、私たちの生き方に影響を与えます。
どちらの「霊」を自らの身体に「止」めるのかは、自らの自由な「意」に一任されています。
自分で選べるし、決められます。
それが人。それだから人。
人生は千変万化する。できる。
万物は流転する。
ちょっと、レビューが抽象的で重めになっちゃいました。勘弁です。
ですが、「もののけ姫」に限っては、大地に根ざし、タタラを踏みながらも、喜びと悲しみの汗と涙を流し、そうしてあなたの魂を磨いて行きなさいと。
宮崎監督のそんなメッセージが込められた作品なのかなぁと、感じる次第です。
そうした深い霊性、神性がモチーフとなって、ストーリーに織り込まれ溶け込んでいるからこそ、観る方たちの感性(神なる部分)にシンクロしバイブレーションを引き起こす。
だから、知らず識らずのうちに、わけもなく感嘆し、感動し、感激することにつながっていくのかなと思うのです。
もののけ姫を支持なさる熱烈なファンの方たちは、そうした体験をスクリーンから受けとったのかしら。
宮崎監督に感謝です。
長文、失礼いたしました。