四文字屋 さんの感想・評価
4.9
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
思わず惹き付けられる、タイトルのインパクトの強さ。そして見始めてみると、本来なら、まるでアニメ向きではない筈の素材が見事にアニメ作品として結実していて、
「嘘」という強い言葉のインパクトが真に上手く生かされているのだけれど、「四月」そのものが嘘だ、というタイトルの意味は、第1話で、大体の視聴者には解ってしまう単純なこと。
それは、かをりが{netabare}実は、公生のことを好きで、「渡君を好き」だというのは、公生が好きな椿を仲立ちにして、公生に接近するための嘘なのだろう、ということ。椿本人は公生への恋心が無自覚なのに、周囲には完全にバレている、という微妙な仲良し3人組の中に入り込むためには、これぐらいの嘘は、何の罪もないとも思われること。
だが、「嘘」の、その真実の全貌が明らかになるのは、最終話での、かをりから公生にあてられた手紙での独白によって、だ。
かをりの「嘘」は、ひとつ目は視聴者が既に第1話で読んでいた通り、かをりが公生に好意を抱いて、椿を通じて公生に近づいたこと。これはそのとおりで、間違ってはいない。
ところが、最終話に至って、視聴者が初めて知るのが、もうひとつの「嘘」。
すなわち、かをりは、公生と中学で再会したあとも病気で休み勝ちで、眼鏡で、髪も服装も大人しく、何より行動が慎ましくて目立たない地味っ子だったのだ。が、自らの余命が短いことを知って、自らに「嘘」をつくことにした。それは、偽りの「宮園さをり」=“派手好きで、わがままで、奔放な宮園かをり”像を、公生たちの前で命賭けで演じる人生を生きることだった。
作品の中では、「公生の音楽」に託するかをりの想いの大きさと、同時にかをりのひたすらに一途な公生への恋心が常に描かれ続け、
一方の公生は、かをりとの出会いを通じて、それまでトラウマとなって忌避して来た、自分の音楽と対峙し対決し、理解し、音楽への思いを深め実らせて行く。その公生の姿が、途中では長過ぎるとも感じられる丁寧さで描かれている。そして同時に、公生のかをりに魅かれ続けて行く恋の一途さも丁寧に描かれる。
かをりによって演出された劇的な出会いと、音楽での対話を通じて公生とかをりは確かに結ばれた。そう信じることが出来る。
しかしその一方で、かをりと公生ふたりの姿を見続けることで、椿は、自分では気付いていなかった公生への恋心を知ってしまい、その想いはとどめようもなく大きくなってしまう。そしてそのことも、かをりには予測され、織り込み済みのことなのだ。
つまり結局は、かをりにとっては、自らの命の輝きすべてを費やして、公生がみずからの音楽を取り戻すことと、椿の公生への恋を実らせることしか出来ないし、それを知っていて、なお、かをりが自ら作り上げた「嘘」のキャラクターを演じ続けて生き急いでいくことが、自分の想いを実らせることであり、自らの生きた証の全部だったのだ。{/netabare}
そういう風に視聴し、理解してしまうと、とても切ない。
とても切なくて、そして全てが見事に結実した、
綺麗な作品だった。