まっく さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
現実味が帯びてきている現代だからこそ
ガラスの花と壊す世界の舞台は、人類滅亡後にコンピュータ内で繰り広げられる物語である。近年、AIが進化し人の仕事に代われる存在として大いに注目されている。この作品の要旨はまさにこのような現代社会における末路とも言えよう。
物語の始まりは不気味であるが、リモが帰ろうとする「お花畑」はリモの使命であるきれいなものが集まった場所であろう。この時点で既に「Mother」は人間によって削除されており、それは即ち人類滅亡後の話ということになる。
デュアルとドロシーはVIOSの一部であり、リモは「Mother」から2人のアルゴリズムを書き換える権限を享受している。デュアルとドロシーの言うアップデートファイルはこれにあたる。デュアルとドロシーがアンチウイルスソフトとして動作するのはきれいなものを抜き取った残骸が活性化しそれを取り戻そうと動作するために、リモがアルゴリズムを書き換えたことに依る。しかし、ラストシーンでの「お花畑」での戦いでデュアルが行ったのはスミレの言った「自分の意志」を持つことであった。リモによるアルゴリズム書き換えを受ける前のデュアルとドロシーの姿に戻って行った。即ちこれは、リモ所謂「Mother」の管理下から外れることを意味した。デュアルとドロシーにはユーリスティックエンジンが搭載されており、人間のように意志を持つ。しかし、理想の人間を作り上げようとする「Mother」にとってこれは脅威に値する。これが活性化し、「Mother」の意志と逆行することが起きた場合に「Mother」は備えていた。それが、リモの中に内包していた「強制フォーマットプログラム」である。これでは、今までデュアルやドロシーが守ってきた世界や第二階層にあるバックアップデータをも削除してしまう。それを守りたいと思ったリモは、自らをデュアルやドロシーにウイルスとして検知させ削除させるという選択をしたのである。
自らの意志によって削除されたリモ。その後に残ったのは、他のデュアルやドロシーのVIOS、そして第二階層のバックアップデータである。人類が滅亡した今、人類が生きているのはこのバックアップデータの中だけなのである。
これらの出来事の根底には、人間がプログラムしたものがあり、それが学習し膨張。まさにAIなのである。人類は全てを「Mother」に一任するという極端な例ではあるが、現実起こりうる話なのである。世界を平和にするために作り上げられた「Mother」。しかし、その「Mother」が人類を滅亡させるという逆説である。
人類皆平等、世界平和を掲げる今日であるが、それが実現された場合を人類は考えたことがあるのであろうか。世界平和が訪れれば、人類は幸せになれるのだろうか。人類皆平等の世界で価値が生まれるのだろうか。価値は差異と言われる。差異がなくなった世界はどんなものなのだろうか。まさに、この物語に描かれるように、人類の進化の停滞・衰亡による人類滅亡の一途をたどることも考えられるだろう。人類が抱える理想に人類は必要とされていないのである。意思決定をすれば差異が生まれ、またその差異によって争いが生まれる。これは当然のことである。これなくして、人とは呼べない。まさに、劇中でドロシーの言う「そんなの人間じゃないじゃん。」である。
近年コンピュータが急速に発展し、AIも目覚ましい進化を遂げている。これは喜ばしいと思える一方、コンピュータに対する脅威を感じている人も少なくはないであろう。今回のガラスの花と壊す世界はまさにその脅威の一例を描いた作品とも言える。一見すれば、よく分からない不思議な話であるが、リモの説明を詳しく紐解いてみると、現在の我々の状況下にも少なからず当てはまることはあったはずだ。100年、200年後、人類はこの地に立っているのだろうか。はたまた、コンピュータに内包され人格データとして生きているのか。果たしてそれが生きているといえるかどうかは疑問であるが。