空知 さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
あえて「無題」。というか適切な言葉が見つかりません
原作既読
重たいテーマですから、観る人によって受け取り方はさまざまであり、賛否両論あって当然だと思います。
個人的には、とても良い作品だと感じました。
ストーリー構成、登場人物の心の動き、場面にフィットした音楽と美しい映像。
原作が非常に考えさせる作品ですが、その一つ一つを描いていては、
129分の尺には収りません。
それを上手にまとめた山田尚子監督の力量を感じさせた作品です。
{netabare}
二点ほど、思うところを述べてみたいと思います。
1. 「観る者を感動させるために、障がい者を利用している」、いわゆる「感動ポルノ」ではないかという点について
決して感動ポルノ作品ではないと思います。
単なる「お涙頂戴モノ」ではありません。
僕は、先天性聴覚障がい者を現実に知っており、身振り手振りや筆談によって意志を伝え、理解しあえることを知っています。
初めてその方と知り合いになった頃、大きな戸惑いがあったことは事実です。
ですが、今は「聴覚障がい者を特別扱いする必要はない」と考えるに至っています。
腫れ物に触るような扱いをする必要はありません。
単に耳が聞こえないということの違いがあるだけです。
この作品を観て多くの人が批判の声をあげると、
「批判される可能性があるから、障がい者の問題はできるだけ扱わないほうがよい」という萎縮した雰囲気が社会に醸成されてしまい、あらゆる形態の作品で障がい者のことが取り上げられなくなってしまうのではないでしょうか。
障がい者を利用するなという擁護論が、逆に障がい者を社会から追い出してしまうことだってある危険性を考えなくてはならないと私は考えます。
ちなみに、
原作オリジナル版は日本ろうあ連盟から「何も変えずにそのまま載せてください」とお墨付きを得たうえで別冊少年マガジンに掲載された経緯があります。
本作劇場版も、協力:「全日本ろうあ連盟」とクレジットされていることからも、脚本も含め、京都アニメーションや脚本担当の吉田玲子氏は、ろうあ連盟と何度も協議を重ねたうえで劇場版を作成したのではないかと思います。
障がい者を疎外したり、虐げたりすることがない社会になれたらいいねと思った人が半分以上いたとすれば、それだけでも作品としての意義はあったと思います。
2. あれほど虐められた西宮硝子が、虐めの主犯である石田将也を好きになることは不自然ではないか?
これは難しい問題ですが、人の心は理屈ではありません。
佐原と硝子を会わせて、二人の楽しそうな笑顔を見たとき、
俺は
俺が西宮から奪ったであろう沢山のものを
取り返さないといけない
(原作より)
と強く心に誓います。
硝子を虐めていた頃の自分を殺したいと思うほど自分を責めています。
将也は、自分がやったことの罪と向き合い、その罪を償おうと行動するのです。
多分、その気持ちが硝子に伝わったのだと思います。
人の心は、予測不可能なものであり、ありえないと思ったことが実際に起きることは多々あります。
少しだけ感想:
最終場面に近い、橋のところでの硝子と将也のやりとりは、泣いてしまいました。
将也は、ずっと過去ばかりを見つめています。
硝子は、小学校のときの友人達と再会し、過去と今を比較して、
今現在に軸足を置いているものの、歩を進められていない。
二人に共通していることは、未来に向かおうという視点がないために、
足踏みばかりして成長がないという点です。
そういう意味では、観覧車の中での植野が硝子に言った「謝ってばかりいる」という指摘は正しい。(原作では、植野の存在はもっと大きいのですけどね。)
硝子もまた、「私が壊してしまったものを取り戻したいと思います」と将也の友人に言っています。
将也がいなくなろうとしている硝子の悪夢。
その夢から目覚め、橋へと向かう焦燥感。
音楽とも相俟って、その孤独感、罪悪感が観るものにも痛いほど伝わってきます。
そして、硝子と時を同じくして、将也は目覚めます。
目覚めた瞬間、何よりも先に硝子の身を案じます。
橋の上で泣く硝子を将也は見つけ、
「君が無事でよかった」と語りかけます。
そして、将也は硝子に、過去のイジメを本心から謝罪します。
硝子が自殺しようとしたのは自分の責任だと将也は感じて、それを硝子に伝えます。
硝子は泣きながら、
「違う、私が変わらなかったから、あなたが落ちた。」と。
彼女は、泣きながら、必死に言葉を発して将也に謝罪します。
すると、将也から感動の一言が。
「西宮、俺、君に生きるのを手伝ってほしい」
硝子の手を、手話で「ともだち」の形にして、その手に将也の手が被う。
硝子は、小指と小指を力強く結び、「約束」と応じます。
魂と魂が繋がったお互いの愛の告白(表明と言ったほうが正確かもしれません)の瞬間です。
そして場面が橋下の川に移り、鯉が方向転換するときに、
水面に一滴水が落ちたような音がします。
何を意味するんでしょうね?
でも、感動的な「音」でした。
多分、これは硝子にも聞こえた音なんだと思います。
つまり、硝子の心の中の音なのかもしれません。
耳が聞こえても、聞こうとしなければ、聞こえないことがある。
目が見えても、見ようとしなければ、見えてこない真実がある。
これが文化際ラストで将也が感じたことなのだと思います。
長くなってしまいました。
本当はもう二倍ほど書いたのですが、長いと考え、短くしたつもりです。
ずっとレビューしたいと思っていた作品でしたが、難しいなと思ってしまい、気後れしていました。
やっと書けて、肩の荷が下りた感じです。
読んでくださった方に感謝です。
{/netabare}