蒼い✨️ さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
演出の妙手と作画力の融合。
【概要】
アニメーション制作:京都アニメーション
2016年9月17日に公開された129分間の劇場版アニメ。
原作は、『週刊少年マガジン』に連載されていた大今良時による、
累計発行部数300万部の漫画作品。
監督は山田尚子。脚本は吉田玲子。
【あらすじ】
主人公・石田将也が小学6年生のとき、
生まれつきの重度の聴覚障害を持つ少女・西宮硝子が転校してくる。
最初は周りが気を遣って接していたはずだったのだが、
皆の足を引っ張る存在として硝子はクラスから浮いてしまう。
ガキ大将だった将也から見て、他の子と違う硝子は好奇の対象であり、
耳が聴こえなく発声が上手く出来ない事をからかうのを初めとして、イジメがエスカレートしていく。
クラスの皆もくすくす笑ったりと、積極的に手を貸さないまでも将也に同調する空気。
暫くしたある日、校長がクラスに来て事態は子供の話し合いだけでは済まない重たいものに。
そして、イジメの主犯格であり直接手出ししていた張本人ということで、
将也は学級裁判で吊るし上げを食らい因果応報ではあるが全部ひとりでやったこととされ、
その日を境に、それまで友達だと思ってた奴らから将也は、それ以上のイジメを受けて孤立。
そして苛立った将也は八つ当たりで硝子との取っ組み合いの喧嘩になり、その一ヶ月後に硝子は学校を去っていった。
硝子がいなくなった教室で将也は初めて気づく。
あれだけ散々にイジメ抜いていたのに、
硝子はクラスの誰よりも自分を気遣ってくれていたという事実に。
そして、悔し涙。
壊れてしまった関係は修復できず人間不信に陥り、
周囲と距離を置いて孤独な中学・高校時代を過ごしてきた将也。
高3の春。将也が壊してしまい母が弁償した硝子の補聴器代・計170万円を稼ぎ終わると、
将也は、硝子が通う手話スクールを訪れた。
自分には何もない。生きてる資格なんて無い。
最期に彼女に会って、せめて過去の過ちを許してもらうために。
これは、硝子と将也だけでなく、あのときのイジメに関わった者たちの物語。
「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」をテーマに描かれています。
【感想】
障碍者をフィクションで扱うのはデリケートな問題であり、
原作連載においては全日本ろうあ連盟の監修を得ているとのこと。
なお、作品のテーマ性としてはイジメの残酷さや絶望の世界を見せつけるのではなくて、
状況や価値観が異なるがゆえに当たり前のように気持ちがバラバラな人間同士が、
心の溝の存在を自覚してどう歩み寄って行くのか?という理想主義に根ざしていて、
そのためのコミュニケーションの難しさのお話であって、
イジメそのものは前提の状況を作り出すための舞台装置ですね。
アニメ化に際して上映時間129分間に原作全7巻全62話をまるごと全部入れるのは無理であり、
削られた細かいエピソードも少なからずですね。
その代わりと言っては細かい所作の数々で言外のメッセージが多く放たれていて、
原作単行本での該当箇所を映画のワンシーンと比較すると細かい違いが実は多いですね。
たとえば小学生時代に将也が硝子をイジメるシーンではチョークなどを投げる。
ろうあ者という珍しい異物は幼い将也にとっては彼が遊んでいたゲームのボスキャラと一緒であり、
物を投げるのはゲームの世界の弾丸と同じ、将也にとってはイジメとは遊びの延長であり、
彼自身の世界は子供特有の狭い視野で自己完結しており、他人の目に映る世界を想像できない。
精神的に子供だったということの現れで加害行為に罪悪感が芽生えていない。
その一方で難聴学級の女の先生が耳が聞こえない硝子が6年2組にいることから、
みんなで手話を習いましょうと提案した時、硝子をイジメていた張本人であったはずの将也が、
じっと自分の両手を見てるという、他の児童とは別に一人だけ違った反応をしている。
イジメっ子であるはずの将也が、障碍を持つ硝子との対話を実は無意識にも欲していたのだが、
精神的に幼いがゆえにはっきりと自覚を持てずに、
イジメという誤ったコミュニケーションをとってしまった。
と言語化を通さずにキャラの心がアニメーションを通して多々表現されていますね。
これが後に、硝子と向き合って会話するために将也が手話を勉強する伏線になります。
山田監督の持論として、人の思いから言葉として表に出るのは、ほんの一部であるというのがあり、
口に出さない部分のほうが遥かに大きい。口から出る言葉は、その時に気持ちから出るものであり、
だからこそ自分が手掛けた作品では説明的な台詞をできるだけ避けるというのがあります。
感情のウェイトを重視しているがゆえに言葉よりも人物の動きを意味を持ったサインにすることで、
そこにメッセージを置くのが京アニメソッドであり、業界から絶賛されているポイントですよね。
また、それは『聲の形』を映像で表現するにあたって無言の無意識のメッセージを用いていることで、
コミュニケーションをテーマにした原作のメンタリティに寄り添っているのではないでしょうか?
逆に全部台詞やナレーションで説明して絵で物語を見せない作品は、
それこそラジオドラマでやればいいじゃん?てなわけで、
予算やマンパワーの不足で厳しい制限がかかっている場合を除いては、
アニメ屋としては邪道であると個人的には思います。
仕草による多弁さが意識された指示の細かい緻密なコンテを作った山田監督、
そして監督の意図を理解して応えて見事な映像を作り出したスタッフ。
両者の仕事にお互いの信頼と連携の練度が伺えますね。
西屋太志さんのキャラデザによる原作のテイストに忠実であり、繊細な作画が見どころです。
作品に出てくる登場人物の間でのコミュニケーションの改善の物語であるのと同時に、
視聴者もまた、作品が投げかけてくる言葉にならない言葉をきちんと受け止められるのか、
試されているのかもしれません。
と、ひとつひとつの挙動に意図を込めた、
メッセージが多い映像から視聴者が汲み取ることを求められる作風、
キャラの動きから色々推察してみると、何かしら気づきがあるかもしれませんね。
なお、自分の感想としては、演出とは物語や登場人物を補うために存在していて、
決してクリエイターの陶酔的な自己顕示欲を満たす道具ではない。
その点で『聲の形』の演出は、社の教育方針であるアニメーションの基本動作の徹底に根ざしていて、
地道な仕事の集合体であると言えるでしょう。それは丁寧かつシンプルな仕事で物語と調和しています。
このことから、これは演出の勉強をする上で参考資料的な価値が非常に高い作品であると思いました。
これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。
↓以前に書いた文章。
一応、原作は全7巻を読んでいます。
『皆の気持ちは一緒だよ!』
心がバラバラだった登場人物が最終的には思いを一つにして物語の終息に向かう。
フィクションの世界では、これは友情を美しく描く黄金パターンであるといえますが、
実際にそんなことを言えば同調圧力に他ならず、
従えぬものは爪弾きか?との反発を招きかねません。
周りと同じ気持ちにならなかった人間は仲間はずれ。
集団の和を乱す存在として奇異に見られるのが、よくある話であります。
人間はコミュニティの中で生きる存在であり、
人間の多様性、個の尊重を謳ったところで、
集団を乱すものが、マイノリティとして疎まれるのもよくある話ではあります。
硝子は生まれつきのハンデキャップで、本人の意志とは無関係に追われていくのですが。
自分と人の差のあるがままを受け入れることが出来れば争いごとが起きないのでしょうけど、
区別して待遇に差を与えるのは、人間の心理として極々ありふれていることなのです。
『人の気持ちがわかる人間になりなさい!』
思いやりの気持ちの大切さが叫ばれることがありますが、
人は本質的には自分の事しか知らない。他人の心の中は察するしかない。
子供は、その能力において経験が足りず未発達であり、
行動原理は自分が楽しいかどうか?自分以外の世界に対する想像力が欠如しています。
だから、昔の将也のように子供は人をイジメるのにも歯止めが効かず、
ただ情動のままに他者を踏みつけにしてしまいます。
実際に義務教育期間中に自分が見た子供のイジメは残酷でしつこく、怖い世界です。
毎日、太ってる少年を泣かせるのを楽しんでる彼の同級生の集団を目にしたり、
知的障害ということでイジメられ毎日祖父が送り迎えしている少年がいたり、
父親が日雇い労働者で家が貧しいということでイジメられた娘がいたり、
小学校高学年になると、性格の悪い子供ってトコトンイジメを楽しんでて酷かったですね。
『イジメをやめなさい!』と先生から注意を受けても、
どうして悪いのか理解できないので笑顔で聞くばかりで口先だけで『わかった』言うだけで反省をしません。
子供が悪いのは確かですが、先生も十分な説得力のある話を子供に出来ないケースも実はあったり。
建前的な道徳論でなく、生命倫理や人生哲学を延々と論じても通じるとは限りませんが。
中学になると大抵はイジメ行為を卒業するのですけどね。大抵が面白半分で罪の意識が皆無。
そして大人になって、『あのときは、悪かったよな!』と加害者は他人事。
イジメに遭った人間は、心の壁が分厚くなっていて他者とは深く関われないようになってたりします。
自分が、そういう状況や他者の心中に無頓着で気にしない小学生でしたので、
イジメ行為を見かけても放置していたり、時には人を傷つける言葉を口にしていたり、
人に嫌がらせを受けることもあったり、そういう経験がありましたので、
高校生になって、過去の自分を悔やむ将也の感覚もわからないでもないですけどね。
あの頃に戻れたら、やり直したい!と。
世間体を気にするようになったものの性根が変わらないままに、
年齢を重ねていった大人も社会には普通に存在していまして、
心がタフでないと、その手合を相手にするのは生きづらい世の中なのかもしれません。
こんな話をしても読んでるほうも、つまらないでしょうけどね。
イジメというのは、他者に対する無理解に加えて自分にとっての快適な環境を阻害する異分子に対する攻撃性。
もしくは、それが排斥に向かうという一種の心理メカニズムでしょうかね。
徒党を組んで排斥の同志が出来れば、人とのつながりを実感できて安心するというのもあります。
ありていに言って汚くて薄い絆ですが、そんなものにすがりたい人間もいるのは確か。
『イジメは良くない!』
確かにそれはそうなのですが、本作では善悪の二元論の観念・抽象論に囚われずに、
人間同士の不和が起きる原因。そして、人の心理が丁寧に描かれています。
それだけに、建前的な道徳論よりも説得力のある秀作だと思いました。
デリケートな問題を観念だけで括ってしまうと嘘くさくなってしまうのですが、そんなことはありませんでした。
加害者と被害者の両方の問題を扱っています。
ヒロインの西宮硝子が将也を許すなど、綺麗な存在すぎるとも言えますが、
物語を追っていけば、西宮硝子がどういう人間であるか理解できるようになっていまして、
硝子は他者に都合の良い天使でもなく、どうやって周りとやっていけるのか悩んで考え抜いた結果、
意図的に努めて行動しているのが解ってきます。
しかし、そのことが他者に対して向き合っていない失礼な行為として、作中で詰られもするのですが。
もっとも、そこは原作のほうが解りやすく硝子の心の中が語られていまして、
アニメでは台詞が変えられているのが残念であります。
差別と身体的ハンデキャップが取り上げられていますが、
作品の本質的には、人と人がお互いに理解し合えないために生じる摩擦。
そして、それを乗り越える難しさという部分に力点が置かれていますね。
心がバラバラのままでも良い、ほんの少しでも歩み寄れたら?
そのためには、本当の気持ちをちゃんと伝えよう。
登場人物の誰もが心に問題があって、傷つけ合いながら向き合っていく。そんなお話。
原作のシナリオを100としたら、
アニメ映画では尺に収めるためにエピソードを削ったり台詞を変えたりで、90というところ。
代わりにアニメならではの作画の美しさとカメラワークはレベルが高いです。
人間について考えさせられるテーマ性をもってよく作られた作品でありますので、
オススメの一作であるには違いないとは思いました。