「中二病でも恋がしたい!(TVアニメ動画)」

総合得点
88.3
感想・評価
6223
棚に入れた
29115
ランキング
119
★★★★☆ 4.0 (6223)
物語
3.8
作画
4.2
声優
4.0
音楽
3.8
キャラ
4.1

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ネタバレ

RTF さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

子供と大人の狭間の葛藤

OPがいい。
勇太になにかを追及されたときの六花が素に戻る瞬間がよい。
赤崎千夏はとりあえず叫ぶ役がはまる。

自分も中二病のときがあったなあという共感を呼ぶ(そして顔を覆って指の隙間から見ることを誘発する)というだけでなく、思春期の子供と大人の狭間で悩む年頃の心理に関する話でもあると思う。

自分は後者に魅力を感じたし、「話らしい話はない」というのはあたらないのではないかと思う。

また、「シリアス要素が余計」という意見もあるみたいだけれど、物語の起伏のためにとってつけたシリアスではなく、「大人になる」ということを真摯に扱ったよいシリアス(よいシリアスとは何だ)だといえると思う。

以下詳細。

{netabare}
中二病が社会の一員としての大人と対照をなしており、社会の一員となるために折り合いをつけなければならない部分を維持しようとするのが中二病である、という描かれ方をしているように思う。

第一に、「自分らしさ」の確立に躍起になる中二病に対し、大人はそれほどこだわらず、社会の一員としてその規範に従う。
規範にこだわる人間としては、六花の祖父がその象徴であるように思う。あと、最終話で出てくる警察も。
中二病は、そのような規範に従順な社会の歯車になることへの違和感からくるという側面がある(にもかかわらず、中二病同士は六花と凸守のように徒党を組むことで独自の「社会」にアイデンティティを求めることがあり、そこに自己矛盾がある)。
中学時分の勇太のように、人並みに友達を作って遊ぶにしろ、大人の期待に応えて勉強に邁進するにしろ、そこにある規範を疑わず社会に加わろうとする人間を目の当たりにしながら、何よりも「自分」でありたいと周囲より少し強く思ってしまった子供は、中二病に突き進む。

第二に、中二病は大人が「ない」と思うものが「ある」ということを疑わない。
成熟した大人は「客観的な視点」を持っており、限られた人だけがあると思う(思いたいがゆえにあると考える)ものがあると認めない。
しかし、中二病は、子供が知識をつけていく過程で無邪気に「世界はいま知っているより限りなく豊かであるから、ないと思うものもどこかにはあるかもしれない」と思うような、そういう種類の思考を維持しつづける。
特に何かを失うような辛いことがあった場合、辛さを受け入れる口実として「世界はいま分かっているより豊かなのだから、無くしたものも遠くに行ってしまっただけで探せば見つかるはず」と考える。まだ見つかっていないことは「ない」ことを意味しない。どこかには「ある」のである。
失ったものは、六花にとっては父であった。そこで六花には「ない」と思えるものを振るい、「ない」と思えるものに働きかける勇太を見た。そして彼女はないものなど何もない中二病の世界観を手に入れ、辛さを受け入れた。

考えてみれば、日本神話や聖書なども、「ある」とはいえないものの集積であるが、これは無邪気に信じる大人も一定数いる。中二病と何が違うのだろう。
結局、「ある」ものが客観的にあるという保証などなく、ただ社会の構成員の多くがあると信じている以上のものではないということではなかろうか。

そういうわけで、中二病というのは大人と子供の狭間でさまよう思春期の葛藤の産物なのである。
大人になるにあたって「大人になる」必要があるのかといえば、自分はそうではないと思う。社会生活が可能な範囲で最低限の規範を守っておれば、大人になっても自分らしく生きればよい(社会の規範に従うこともそれはそれでその人の自分らしさにはなると思う)。中学二年生が図体だけ大きくなっても、それはそれでひとつの自分らしい生き方である。
彼らも中二病は必ずしも捨てるべき記憶ではなく、自分らしく生きるため、障害を乗り越えるために今まさに実践して何ら恥ずべきことはないものだと思い(モリサマーはより早くそう考えたようである)、ラストシーンに至ったのではないだろうか。

ちなみに、六花は勇太のおかげで中二病という生き方を手に入れたのと同様、凸守も辛い時期をモリサマーの中二病のおかげで乗り越えているという対称が設定として細かくあるんじゃないかと思うのだが、その辺は二期に期待すればよいのか。
{/netabare}

こう考えると、主題はあくまで「中二病」であり、「恋がしたい」にあたる部分はおまけ感が強い感じもする。そのへんも捉え方次第かもしれないけれど。

余談であるが、全体としてユリ熊嵐の「スキを諦めない」人と「透明な嵐に巻き込まれた」人という対立に近いものを感じた。
勘違いされやすいが、あれは百合が主題というよりは異性愛と友愛の境界をぼかすために百合の世界の物語にしているという体のものなので、「生き方」という主題で含蓄ありげなことを比喩的に表現する話か好きであれば、百合を求めていない人も見てみてほしい。
ここの点数は低いが、このアニメに対して上のような着眼点を持ってしまう人に自分は強く視聴を勧める。

投稿 : 2017/07/17
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サンキュー:

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