岬ヶ丘 さんの感想・評価
3.9
物語 : 3.0
作画 : 5.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
結局のところ、正解とはなにか
「正解」という意味深な言葉に興味をもって視聴した本作。
圧倒的かつ独創的な世界観とそれにマッチした高クオリティーのフルCGで、これはすごいアニメが始まったなと度肝を抜かれた。特に人間をここまで違和感なくCGで描けるアニメはこれまで見たことがなかったので新鮮だった。
序盤でカドやヤハクィザシュニナ=異方存在という作品の舞台設定を説明して、異方存在が異方からの道具を人間に与え、人間が未知の道具とどう接するべきかという流れで設定をうまく使って物語を広げていった印象。この道具が非常に魅力的でその性質は実に非現実的なものでありながら、どこかリアリティを感じさせる不思議な道具。道具の形状や道具に触れた際の感覚をCGでしか表現できないだろう技法で演出していた点は、映像的にも見ごたえがあり素晴らしかった。
物語の終盤、ヤハクィザシュニナの真の目的や徭の正体が明らかになっていく。そして最終話で真道と徭の子供が登場するという、想像の斜め上をいく超展開が繰り広げられ、画面越しに思わず「はい?」と声をあげてしまった。そういえば「すべてがFになる」でも子供絡みで超展開はあったが、それを上回る超超展開だなと脚本担当の野崎さんの天賦の才能を感じた。
結局のところ本作における「正解」とは何だったのかと問われれば、人間を異方に連れていくことだったわけだが、それは異方存在側にとって都合のよい正解と言い換えることもできる。最終話の真道 幸花の言葉を借りれば、「進歩」とは「自分が途中だと思うこと」であるらしい。異方存在も、より高次元の幸花もまた、進歩の途上にある存在であるという言葉には不思議な重みがある。そういえば第1話で羽田空港がカドに取り込まれる直前、真道が花守と話していたセリフのなかに「何が正解なのか分からないけれど、分からなくても探し続けるしかない」といったような言葉があった。どうにも真道と幸花の言葉にはどこか共通する信念があるように感じてならない。
結局のところ本作における「正解」とは「我々は途中であることを知り、模索し続ける」ということだったのかもしれないと個人的に感じた。
終盤の超展開には賛否が分かれる部分が多分にあるとは思うし、自分も展開の全てに納得がいったわけではない。ただ唯一無二の世界観や、それを見事に表現しきったCG技術の可能性など様々な意味で魅力的な作品だったと思う。「月がきれい」と並んで今期のアニメの中では面白い試みで楽しませてもらった作品だった。