狗が身 さんの感想・評価
4.5
物語 : 3.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
なんで隠したの…?
本作は10歳ぐらいの子供達の視聴を意識して作られた作品らしい。ということはつまり、主人公である千尋には監督の理想が色濃く反映されているということ。
千尋はこれまでのジブリ作品の主人公とはかなり変わったキャラクターだ。鈍くさくて頼りなく、かなり年相応の少女だ。
そんな女の子が、不思議な世界で一所懸命に仕事に取り組んでいくうちに大きく成長していく、というのが大まかなあらすじ。
また、両親もこれまでとはかなり異なるキャラ造形だ。
興味深いのが序盤のシーン。不思議な世界に迷い込んだところの台詞から察するに、千尋の両親はバブル世代なのだろう。で、どうやら駿氏はバブル世代をかなり毛嫌いしているらしい(笑)
千尋の両親の傲慢稚気っぷりが中々に酷い。母親は夫に寄り添って女の顔を見せるが、千尋に対してはややドライ。小川を通る時なんかも、後ろにいる千尋にテを差し伸べることもしない。
父親はというと、従業員のいない飲食店で無断で飯を食い出して「大丈夫だ、お父さんがついてる」ときた。こんなにも恥ずかしい「お父さんがついてる」って台詞は初めて聞いたわ…。
節度のない人間は豚も同然と言いたいのかもしれないね。
そんな両親に育てられた千尋は、最低限の常識は弁えているものの、挨拶やお礼の言葉といった礼儀はなっていないんだよね。
豚になった両親を救うべく必死に働くことで、彼女はどんどん成長していく。終盤、銭婆の家を訪ねた際にしっかり挨拶できてたのが印象的だ。
千尋が実直な姿勢で仕事に励んで大きな成功を収めるという中盤までの流れは完璧だった。
…のだけど、カオナシとの追いかけっこ辺りからなにかがおかしくなった。
どこにでもいそうな純朴な少女像が千尋だったんだけど、白のぶちまけた血反吐に怯えず、不気味な巨体になったカオナシに対しても顔色を変えない、超然としたいつものジブリのヒロインになってしまったのがすごく勿体ないと感じた。
他にもあれだけ執拗に追いかけられても見捨てなかったカオナシのことを別れの時にはガン無視していたり、千尋だけじゃなく、湯婆によって過保護に育てられた超我が儘な坊の精神が成長するのもかなり急だったし、物語を畳もうとする作り手の意思を感じずにはいられない話の運び方だったんだよな~。
対照的に、キャラクターが一貫していたのがカオナシだ。
あまり他者から認識されない日陰者で、存在自体が疎まれているカオナシにとって、自分を嫌悪感も示さず見てくれた千尋を求めるのは当然の感情だ。
でもカオナシは愛情表現が持ち合わせていない。日陰者で他者とコミュニケーションをとることなんて滅多にないからだ。だから、物を与えるということでしか他者と繋がっていられない。
どれだけ暴飲暴食をしようと、本当に求めているもの(たぶん、他者からの優しさとか愛情といったものだと思う)が手に入らないから、満たされないんだ。
たぶんカオナシにとって、あの列車での旅が一番楽しかっただろうな~。銭婆のところにとどまったのも、銭婆に必要とされたことでカオナシの求めていた物が手に入ったということなんだろうね。
たぶん本作を通して駿氏が言いたいのは「親を手本にしたってなんの意味もないから、若いうちから一所懸命頑張れ」ってことなんだと思う。だって千尋の両親が反省するといった展開がなかったから。これってつまり、バブル世代になんの期待も抱いていないってことでしょ?
ただ引っかかるのが、現実世界に帰ってきたらかなりの年月が経ってるっぽいということ。
父親の車が埃だらけって台詞から、かなり年月が過ぎてるっぽいんだよね。
千尋はこれから新しい土地で新しい生活を始めようとしているところだった。これを機に千尋が頑張るようになる、という締めにするのなら、むしろ逆に【不思議な世界で何日も過ごしたのに現実世界では全然時間が経っていない】にするべきじゃなかったのかな?
これのせいですごい後味が悪いんだよね…。