oxPGx85958 さんの感想・評価
2.1
物語 : 1.0
作画 : 3.0
声優 : 2.0
音楽 : 3.5
キャラ : 1.0
状態:観終わった
大傑作になるのか、轟沈するのか -> 沈みかけ -> 最悪に
最後まで見ての感想
放映開始から1年後にようやく最後まで見通しました。物語の結着のさせ方を含めて、当初の期待が完全に裏切られて終わった形。同時期のやはり急降下した『正解するカド』が、まだ陽気な破天荒さを持っていたのに対し、こちらは陰気な袋小路という感じでキツかったです。
本作のフィクション内キャラクターは、作中世界での「承認力」が高いが故に出現したわけですが、ほとんどのキャラクターについてその説得力が感じられませんでした。「本作の作中」というレベルでもそうなのだけれども、「本作の作中のフィクション内」というレベルでも、これらのキャラクターたちに人気があったという感じがしないのです。
これは実は「フィクション内での優れたパフォーマンスの描写」問題のバリエーションなんだな、と気づきました。「演奏を聴いたすべての人がただちに涙を流すほどの優れたサックス・プレイヤー」を描く映画において、その演奏シーンを実際に作るのは不可能とまでは言わなくても非常に困難なわけです。だから、演奏シーンをスキップして、演奏後の聴衆の反応だけを見せるみたいなテクニックがありうるわけですが、本作は無計画のまま勝負に出たという感じがします。
このメタ的な作品において、製作陣が当事者としての感情移入をした結果の甘えがあったんじゃないか、と推測しています。作り手が「これはこうだ」と提示したら、視聴者はそのまま受け入れるはずだ、受け入れるべきだ、という思い込みがあって、それを軌道修正する力も働かなかった、と。
これに限らず、とにかく「ちゃんと考え抜いていない」ことから生じたであろう欠点が、本作にはいろいろとありました。そしてこちらとしては、なぜ作り手たちはそこを考えなかったのか、ということからいろいろと想像を逞しくしてしまうわけです。
たとえば後の方で登場する美少女ゲームの主人公が恥ずかしい衣装でばかばかしいセリフを吐くことを恥ずかしがるという描写があるんだけど、本作に登場するフィクション内キャラクターはほぼ全員が(現実世界にそのまま出現したら)恥ずかしいありさまなわけです。変な服着て、安っぽいラノベのようなしゃべり方するわけだし。
ということは、作り手たちはあのセリフ群を恥ずかしいものと思ってないんじゃないだろうか。ここらへんの自己反省というか自意識の欠如からして、主人公の男の子のあのあり方は、まさに本作の作り手たちのものなんじゃないか。
主人公は事態を最終的に解決するために、{netabare}自殺した女の子を蘇らせ、再び自殺する状況に追い込むことで、悪役である被創造者に精神的圧迫を掛ける{/netabare}という戦略をとって特に疑問を感じていなかったわけだけど、作り手たちはこれとおんなじ地平にいるんじゃないか。
最後に、良かった点。水瀬いのりは後半でますます良かった。大橋彩香が見せ場をもらって見事にこなしていたのが良かった。音楽も全体的に良かった。澤野弘之という人ですが、参加作品に恵まれない人のようです。
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12話まで見た段階での感想
最初に書いた危惧が現実のものになってしまいました。5話以降から、「轟沈」というほどではないにせよ、船は沈みつつあります。『アルドノア・ゼロ』がこども向けのロボット・アニメになったのと同じように、本作はこども向けの能力者バトルものアニメになってしまいました。
個々のエピソードを単独で取り出せば、それでも今期のアニメの中では上位に位置する出来なのでしょうけれども、最初の期待が満たされなかったせいで不満が強くなるというのも『アルドノア・ゼロ』と同じ。大きな物語や設定を作る能力に欠けていて、2クールにわたる物語を維持できないという感じがあります。
そんな中で、水瀬いのりと日笠陽子の凄みを感じました。ライトノベル的な薄っぺらいセリフ回しが運命づけられているキャラクターを演じて、それに説得力を持たせています。特に日笠陽子のおかげで、本作のテーマの1つであろう「被造物の悲しみ」という観念がかろうじて描写されている。
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4話まで見た段階での感想
これは面白い。絵よし、音よし、演出よし、ごく一部を除いて演技よし。
一抹の不安は、『アルドノア・ゼロ』の制作スタッフであること。あれの最初の数話はハリウッドの大作映画に匹敵すると言っても過言ではない素晴らしさでしたが、それ以降はこども向けのロボット・アニメみたいになってしまった。その原因はシナリオ、さらに言えば世界観の構築能力にありました。本作も4話に入って若干それと同じ不安を抱かせるのだけれども、この先ダメになったとしても、最初の3話だけでも記憶に残る作品になるでしょう。
アニメやゲームの登場人物たちは、声優たちの素晴らしい演技もあって、強い説得力を持っている。一方、現実世界のキャラクターたちが、主人公を含めて、非常に弱い。というか、この2つの対照がうまく行っていない。この荒唐無稽な設定により説得力を持たせるためには、現実世界のキャラクターたちにリアリズムがあるべきだったのだと思います。これは演技・演出と物語・セリフの両面で。そのような俯瞰する視点がメタフィクション的な物語には必要だと思うのだけど、これをどこまで追求できるかが勝負。
水瀬いのりは、ちょっとでも間違えれば薄っぺらくなってしまいかねないセリフを、すごみのある風格をもって語っています。他の声優たちも素晴らしく、声優が二次元のキャラクターにいのちを与えている、という構図が、この2段構造の物語の中ではっきりと見えたという感想。