北山アキ さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
観光情報と観光振興について思うこと
最後まで観て
この作品の現実からあまり飛躍しないスタンスは好印象だった。
PAお仕事シリーズとしても「花咲くいろは」のようなメロドラマにしないことに意味があったと想像する(二番煎じ感が出ちゃうから)。
お仕事シリーズの良さは、高校生しか存在しないかのような世界観とは一線を画し、過去、現在、未来があって、それらを人の思いが繋ぎ、繋がっている世界を描くことにあると思う。
この作品もその意味でお仕事シリーズらしかったと思う。
各論で言えば、問題提起を盛り込んだ野心作だったと思う。
商店主が集まった商店街について言えば、東京でも寂れて行ってる。
だから、これは東京と地方で対比できることではなく、日本全体で流通構造が変化したとみるべきだろう。
だから、商店街活性化物語に行くと見せかけて、問題はそこじゃない、商店街の役割は終わった、と進む後半のプロットはもっと評価されて良いと思う。
全国の地方自治体では賑わいの創出という行政目的を掲げていて、その必要性は理解できるけど、その手段として商店街活性化を掲げるのは違うんでないかい?
という自治体の商業振興策への異議申し立てと言っては言い過ぎか。
また、地方には「コミュニティ」が存在するという神話をご都合主義で持ち出さない点も良かった。
東京でも地方でも、山を切り拓いて造成した住宅地に地縁・血縁なんて存在しないし、生業のうえでの協働作業も存在しない。
そういう場所に「コミュニティ」を創造するためには、行政が町内会の区割りをするだけでは十分ではない。
目的設定をしたうえでの、意識的で継続的な努力が必要になる。
要するに、地域の一体感なんてそうそう簡単に生まれてくるものではない。
関係無いけど、今時で言えば、町興し(というか町づくり)のメインに据えるべきテーマは、観光よりも保健(健康づくり、介護も含む)だろうなと思う。
万人の関心事だし、雇用も産むし。
13話まで観て
今のところ面白い。
由乃も、終わりも無ければ、回答も無い戦いだということに気付いてしまったか。
まあ、仕事ってそんなもんかもしれないが。
何かしたから盛り上がるとは限らない。
でも、何もしなければ、盛り上がる可能性が更に低くなる。
という想定のもとで「観光振興策」を存続させているケースが多いのが現実じゃなかろうか。
市場原理から言えば、その土地の観光市場の規模に見合った観光インフラ(宿泊施設や交通機関等)に落ち着くはずで、それが小さな市場である場合は、その利害関係者は自治体や地域の人口のほんの一部に過ぎないだろう。
その一部の人々の利益を代表したり、中の人同士の利害調整をするのが観光協会の役割であるから、通常はそこを起点として町全体にインパクトを与えるような町興しなんてすごく難しいだろう。
観光協会は無力で、NHKの連続ドラマやJRのキャンペーン頼みのほうが現実的だと気付いてしまい、次には「だから諦める」とも言えないことに気付くのかもしれない。
そこからどう動くかがドラマの見せどころだろう。
ビターに振り切られても受け入れる心の準備はできているが、オレタチノタタカイハコレカラのループに陥る前に、カタルシスが得られるような展開も来て欲しい。
せめてビタースウィート程度でも。
5話を観て {netabare}
少しうるっとくる良い回だった。
主人公とそのパーティーの役割分担も次第にはっきりしてきた。
これからも主人公の思い付き(無茶振り)を周りの人たちが現実的なレベルに落とし込んでゆくというチームワークの妙味を見せてくれそうだ。
観光協会というのは地元自治体の外郭団体だったり、役場からの金(基金や補助金等)で運営されているのが一般的だと思う。
だから、一般的にお役所的であり、必然的に役所的な問題も抱えている。
例えば、役所と民間の仕事の大きな違いは予算の硬直性である。
民間でも請負等予算管理が必須な仕事はいろいろあるが、役所の予算は前年に議会の承認をもって固定化されており、基本的には法令(あるいは例規)と同じく厳守すべきものとなっている。
このことから、役所には予算ありきの発想しかできない人間が増える(役所が同じテーマについてコロコロと、よく言えば柔軟に態度を変えることは制度の安定性と予見性を損なうことでもあり、硬直性が一概に悪いこととは言えず、むしろ役所的には良いことなのだけれども)。
だからこそ、そういう枠に囚われていない、由乃のような自由な発想ができる馬鹿者が必要になる。
協会の職員ではなく「国王」という設定もその辺りがあるのかもしれない。
観光産業は、人の移動を勧奨し、そこで消費活動させることで地域に金を運ばせる産業と言えるだろう。
突き詰めれば、その場所に金をもたらすことが目的だ。
ならば、クラウドファンディングで金を先に集められれば、目的は達成したようなものでもある。
今回のような場合、出資した人はそれを(もちろん体験として)回収するために現地を訪れるだろうし、上手くいけばリピートもあり得る。
ネットを介することで、ファンドのアレンジが安上がりにできるようになり、このような観光振興モデルが登場したのだろう。
観光地が準備・提案したものを、客が消費する点は昔と変わらないが、準備時点で観光地に金が入るという点は変わっていて、リスク管理上も良い変化と言える。{/netabare}
4話を観て
追加観光情報としては、舞台のモデルは木彫が有名な南砺市の井波。
「去年行ったとこだ」と思って観てたので、ちょっとテンション上がったが。
僕は1時間くらいしか滞在せずに金沢行きのバスに乗っちゃったが、逆に言えば金沢からもバス一本なので、アクセスは悪くないと言えるだろう。
{netabare}
地場産業として伝統工芸を取り上げ、ジジイとババアの口論を通してかなり率直な現状が語られた点は良かった。
個人的にはジジイ寄りの考え方だけど、ババアの言うことには否定しきれない面もある。
こういう木彫の顧客は寺社仏閣がメインかと想像するが、宗教が公権力的な力を持つ時代がすぐに来るとは思えない中で、別の市場を開拓しないと廃れるのは目に見えている。
しかし、寺社仏閣相手の商売という時点で高級品なわけで、簡単にほかの顧客が見つかるとは考えられない。
ならば廃れるままに任せれば良いかと聞かれると、それも言えない。
例えば、熊谷市に歓喜院聖天堂という建造物がある。
国指定重文だったが修復の結果、国宝になった例だ。
重文という時点で相当に価値が評価されているわけだが、国宝ともなれば更に格が上で、観光資源としてのインパクトも全く異なると思う。
このランクアップを実現させた修復というのは、要するに伝統的な美術・工芸の技術なわけだから、伝統を蔑ろにしていてはあり得なかったことだ。
つまり「伝統工芸を守れば観光振興できる」とは言えないにしても、「伝統工芸を守らなければ観光振興もない」というケースはあり得るのだ。(京都の例は極端としても)
これは卵が先か鶏が先かみたいなところもあり、難しい。
また、役所が指定文化財>登録文化財>それ以外の文化財みたいなヒエラルキーをつくっていることを肯定したうえで、その中ですでに上位にカテゴライズされている場合は既得権益が保護されているという見方もできるわけなので、ババアが言うように、その権益を放棄する所業は愚かだと言える。(作中の行動がそうだとは思わないけど)
美術や芸術はたいてい高級品であり、パトロンを必要とする。
そして、宗教勢力の権力が完全に世俗勢力にシフトした現在では、役所がパトロンとなるべき位置にいる。
しかし、直接的な金銭支援は限界があるから文化財保護法のような制度を作って格付けすることで、間接的かつ選択的に観光客が小口パトロンとなることも期待しているんだと思う(国宝いっぱいなのに拝観無料な西本願寺って金持ちだなと思う。有料でいいからいつでも飛雲閣を見せろと言いたい)。{/netabare}
とにかく、この作品の難しいテーマに踏み込む意欲を僕は見守りたいと思った。
3話まで観て
観る前は難しい題材を選んだなと思ったが、1話目は良かった。
ここから少し観光情報になるが、ネットで調べたら間野山駅のモデルは城端駅だった。
言われてみれば、なんだ去年のGWに行った場所じゃん!とようやく気付いた。{netabare}
岐阜県側の白川郷だけじゃなく、富山県側にも世界遺産の相倉集落などがあり、城端はその山間部の五箇山合掌造り集落に至る入り口的な町。
あるいは「true tears」の町だが、僕には合わず3話くらいしか観ていないので、聖地巡礼というわけじゃなかった。
長野からアルペンルートで富山に入りたかったのと、金沢に行きたかったのがあり、その中間地点に五箇山があったからルートに入れたというのが正直なところだ。
そして、ルートを決めた後でP.A.WORKSの「恋旅〜True Tours Nanto」というのを知り、福野夜高祭を知った。
そのクライマックスは毎年5月2日だというので、そこから日程を調整した。
城端の町は城端曳山会館の裏通り側(善徳寺山門まえから横に入る)はフォトジェニックでよいが、バス通りの古い町並みもどきの無理矢理小京都感は違和感があったな。
福野夜高祭は小規模ながら粗野な喧嘩祭りで、期待に違わず面白かった。
生まれ故郷の退屈な大規模七夕より何倍も良い。
(もっと全国的に有名になってよいと思うくらい良いのだが、福野の町には宿泊施設があまりないので要注意。僕は福光に泊まったが、意外と離れている。)
ほかに特筆ものだった光景として、城端線の車窓から見た、田植え前の入水した田に夕日と山影が映り込む景色の美しさが挙げられる(住んでる場所によっては珍しくないのかもしれないが)。
言うまでも無く、観光振興というのは産業振興という大テーマの下部テーマである。
だが、その観光メインでの町おこしというのは、(もちろん一部の例外は認めるし、多分に独断と偏見を含む意見だが)、工場誘致ができない条件下での追い詰められた末の選択肢だとさえ思う。
観光資源が狭い地域に集中してる場所など日本中探してもほとんどないのだから、観光で町全体を活性化することなどできるわけがない。
例えば、祭りが有名になって観光客が押し寄せたとしても、それは1年のうちのたった数日の季節的な賑わいに過ぎない。
その瞬間最大風速だけで1年分の潤いを得るのは無理な話のだ。
年間を通して観光客を引き寄せるためには、例えば稲は無いけど水が入っている田んぼも期間限定のものだしとか、利用できる限りの様々な資源を組み合わせて集客の仕掛けをする必要がある。
それは明らかでみんな分かっちゃいる一方で、そんな豊富な資源を提供できる地域がどこにあるだろうか?(反語)
よって、観光振興は地場産業との連携を前提として展開する必要がでてくる。
さらに言えば、地場産品の側面支援(宣伝とか)の仕事と割り切ったほうが良いことも多いと思う。
例えば、農業の6次産業化と言われるものが注目されたりするが、その中での観光振興の領域って、サービス産業部分のさらに一部に過ぎなかったりすると思うのだ。
同時に、周辺の地域を組み合わせて旅行した僕の考えるところだが、単独でのコンテンツ不足は克服できないのだから、それを補うために隣接した地域間で広域的に連携する取り組みが必須だろう。
以上のようなことは、農村に限った話じゃないとも思う。
本作の舞台は農村だが、日本の総人口と人口構成の未来を考えると、地方都市のみならず、地方の県庁所在地のほとんどでも「衰退」という共通のテーマに向き合っている最中というのが現実じゃないだろうか。
普段は東京に住んでいても、出張や旅行、帰省の折にそれを感じている人は多いと思う。
だからこそ「観光」を通して抗い方を描くのは大賛成である。
でも、それ一辺倒になって、折り合い方や下方硬直性という幻想へに対するオルタナティブの提示というものが抜け落ちた視野の狭い物語になってしまうと、ご都合主義と言われてしまうだろうな。
{/netabare}