雀犬 さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
思春期のメロディ
「ここさけ」はミュージカルを味わう映画だと思う。僕はこのアニメのミュージカルの場面を見るたびに泣いてしまう。
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主人公の成瀬順はうまく喋ることができないボブカットの女の子である。順は小学生のとき父親の浮気現場を偶然目撃し、図らずもそれを母親に告げてしまった結果、成瀬家は崩壊して離婚することになる。この時のショックで以降順は言葉を口にすると腹痛に襲われることになる。順がおしゃべりを封印してしまう流れは玉子の妖精に呪いをかけられれしまうという奇妙なアニメーションで表現される。
もちろんこれは順の妄想に過ぎない。順が頭の中で作り上げた玉子の妖精のおとぎ話は高校生になっても信じ続けるにはいささか幼稚な妄想である一方で、その空想は両親の離婚やひとりぼっちの孤独といった辛い現実から卵の殻のように成瀬の心を守ってくれていたものでもある。
しかしもう一人の主人公、坂上拓海と出会い彼に心を惹かれていき、彼女の心は変わり始める。自意識の殻に閉じこもっていた状態から外の世界に向かう気持ちが芽生えるのである。この心理的ベクトルの変化とそれに伴う葛藤が本作の主題となる。
ミュージカル制作にあたって、温厚な性格で自分に優しく接してくれる坂上に順は妄想を膨らませ、乙女チックな王子様像を作り上げる。けれども生身の男である坂上は、当然のことながら順の頭の中で思い描く幻想の王子様とは様々なズレがある。なかでも決定的に異なるのは彼が恋愛対象として見ているのは自分ではなく元カノの仁藤だということが、残酷で切ない。
因縁の場所であるラブホテルの跡地で、坂上に促される形で自身が抱え込んだ違和や恋心を彼に言葉で思い切りぶつける。この後坂上の口から自分が好きなのは仁藤だと言うことを告白されて順の恋は終わるのだが、ラブホテルの廃墟というシチュエーションが否応なく観る者に破瓜を連想させ、たとえ男であっても生々しい痛みを想像せずにはいられない。この場面は単なる失恋にとどまらず、彼女が現実を受けれる時であり、「卵の殻」が割れる瞬間であり、子供の純粋さの喪失であり、少女が女になるための通過儀礼を表現するものでもあり、ひどく心に残る。
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その後順は学校に戻り舞台に立ち、心のままに歌い上げる。揚羽高校のイベント「地域ふれあい交流会」で上映されるミュージカルで使用される劇中曲、「心が叫びだす」はベートーベンの「悲愴」とディズニーの「Over The Rainbow」、2つの名曲のマッシュアップ(2つ以上の曲を重ね合わせる音楽手法)になっている。この組み合わせの発案はクラムボンのミトさんで、ご本人も発見したときは興奮気味だったそうだが、確かに2つのメロディは絶妙なマッチングを見せる。
メロディに乗せて、様々な相反する思いが交錯する。悲愴はそのタイトルから想起される通り悲しみやネガティブな感情を、Over The Rainbowには前向きな感情を。2つの楽曲は順の心に寄り添うように奏でられる。
外の世界への恐怖と憧れ。
今の自分でいいやと思う気持ちと、変わりたいと思う気持ち。
理想の王子様像を守りたいという気持ちと、生身の男の子を受け入れたいという気持ち。
父親がいたあの頃に戻りたいという気持ちと、今の母親との関係を修復したいという気持ち。
考えてみればこのメロディは子供と大人の狭間で揺れ動く、思春期そのものといえる。思春期とは相克の繰り返しであり、様々な矛盾する気持ちが混じり合い複雑なグラデーションを成している。記憶の引き出しを開ければ、そんなグチャグチャな状態は誰しも心当たりがあるのではないかと思う。懐かしい痛みを味わえる名シーンである。
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ミュージカルを無事終えた後、野球部の元エース田崎が順に告白するという意表を突く展開で締めくくられる。やや唐突な印象があるこのラストはあまり評判がよろしくない。僕もかつては否定的で、母親との関係の修復を描くべきではないかと考えていた。しかし本作の脚本を務めた岡田磨里の自伝『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』を読んだ後、少し違う感想を持っている。
この映画で最後に見せたかったものは自分の殻を破り外の世界に飛び出した成瀬順に対する「新しい世界からの祝福」だと思われる。田崎はスポーツマンで男くささや荒っぽさ、義理堅さのあるキャラだ。坂上とはかなり性格が違う。順にとってみれば、かつて夢想していた王子様像とはまるで重ならない彼と付き合うなんて事は想像力の及びもつかない事態である。だからこそ現実は面白いし、勇気を出して外の世界に出る意味があるのだと。
自伝書を読むと、秩父を抜け出した後、ゲーム専門学校で今の旦那さんと出会い、自分と外の世界を繋いでくれたこへの感謝の気持ちがこの結末を作らせたのではないかと想像してしまう。だとすれば、もうこのアニメに対して批判する要素はない。
実際のところ、反対の色の絵の具を混ぜ合わせると汚い色になるように、思春期の心の内は決して綺麗なものではないように思う。それをここまで美しく見せられるアニメーション表現の素晴らしさを称えたい。