カンタダ さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
中二病は卒業すべきか
中二病は卒業すべきか、すべからざるか。この二点に要約できるだろう。
中二病を作中でも定義しているように自己の特別視であるなら、特に自我意識が芽生える思春期の若者らの、避けては通れぬ道だろう。
そのような時期には周囲からの評価や自己評価を高く見積もる、あるいは低く見積もり、対外的にも対内的にも正当な評価を自分に下せることはできない。無論、これは大人とて容易に下せるものではなく、生涯の悩みのタネでもある。
したがって、中二病は卒業するしないの問題ではなく、一生をかけて闘病する問題であり、容易な卒業などできはしない。自意識が過剰でも過小でも周囲の評価と大きな食い違いがあれば、いわゆる「痛いやつ」認定をたまわり、他人との円滑な関係構築が困難になることは想像に難くない。
{netabare}作中では六花は、最終的には、中二病を患ったままでも友人を作っている。{/netabare}つまり中二病を一つの個性として消化して、自意識の過剰を抑制し、妄想への逃避を回避しつつ現実を見失わずに、他人の評価との食い違いを防ぐこと学んだ結果だろう。これは順当な成長といえる。
中二病を「黒歴史」として封印して、自意識と周囲との辻褄を合わせるのも、一つの成長であるし、一個性として受け入れ周囲との食い違いを修正するのも成長の一つだ。
中二病が中二になって初めて患うのであれば少年のひとつの成長表れでもあるし、それが次の成長を促すきっかけであれば「卒業」も「完治」も、する必要はないということだろう。