めいろ* さんの感想・評価
4.4
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
近づきたいのに、そばにいたいのに。
随分と時を超えてレビューをし始めました。
さて、本作品が話題の波に乗ったのはいつだったでしょうか。
そもそも二期までやって、なんで今更一期のレビューをするんだと僕は僕を叱咤してみるわけですが、どうにもタイピングが止まらずにこうしています。
本作品の事はさておいて、"厨二病"という言語が一般的に認知されたのは果たしていつだったでしょうか。
という、全くさておいていない疑問は今度こそさておき、何が言いたいかというと、"厨二病"という言語が広く知れ渡ったのは本作品の影響なのか、あるいは認知された直後の絶好時期にこの世に本作品が生まれたのか、気になったのです。
実はどうでも良いような振りをして、本質的なお話をしています。
というのも、本作品は"厨二病"作品なのか、"恋愛"作品なのか。
一期は厨二病色が非常に強い印象でしたが、二期からは一新してその厨二病というジャンルをほぼ取っ払ったように思います。
それでは、もし本作品が"厨二病"を題材、あるいは他の同じような種類の作品との差別化にしているのであれば、二期の作り方はなんとなく本質にならないのです。
では、題名に回帰します。
「近づきたいのに、側にいたいのに
恥ずかしくて、怖すぎる。」
正直、僕自身も本作品がどちらを重きに置いているのか最後の最後までよくわからなくて、しかし恋愛作品にしてはそういう類が苦手な僕がよく見れているなという印象で、じゃあ厨二病という色を前面に出した時代の波的な作品なのかという憶測は、上記の台詞で吹っ飛んだ次第です。
だって、余りにも恋愛の本質を突いているじゃないですか。
どう考えても、これが本質でないなんて思えるわけもなく、本作品を上手く締めくくったなんとも絶妙な表現だったと思います。
厨二病という特異的なコンプレックスというか、体質というか、性格というか、なんとなくその主張のせいで本作品が”厨二病”に埋もれてしまっているような、そうだとしたら、それがなくなった本作品は本質を失うのかというと、全く見当違いな話だと思うのです。
たまたま、偶然に奇遇に、僕が中学生の時に恋愛をして、そのまま時を経て結婚をした経緯があるので、なんとなくこういう学生恋愛が「どうせ数年で終わる」とか、「いつか嫌いになる」とか、そういった悲観的なリアリティが通用しないのもあって、かなり肯定的に、あるいは好意的に捉えている節がもしかするとあるのかもしれません。
だとしても、伝えたいのに、伝えられない。
近づきたいのに、近づけない。
そばにいたいのに、そばにいれない。
願望と行動が矛盾するような、なんとも恋愛的な心地の良い本質が垣間見える素晴らしい作品だったと、僕は思うのです。