静御前 さんの感想・評価
1.0
物語 : 1.0
作画 : 1.0
声優 : 1.0
音楽 : 1.0
キャラ : 1.0
状態:観終わった
「笑い」とは
笑い(わらい)とは、楽しさ、嬉しさ、おかしさなどを表現する感情表出行動の一つ。
笑いは一般的に快感という感情とともに生じ、感情体験と深くかかわっている。また、笑いは感情表現の中でも極めて特殊なものであり、すぐれて人間的なものである。一般的に動物の中で笑うのは人間だけである。怒り、悲しみなどの表現は動物にもあるが、笑いがすぐれて人間的である理由として、笑いには「笑うもの」と「笑われるもの」という分離があり、何かを対象化するという心の働きが必要となる。※1
一番コミカルな、ベタなボケから離れようとすると、それはシュールとなり、さらにそこからまだ追求し、深めていくと、それはどんどんと「ホラー」に近づいていくからである。逆に言えば、「笑い」を追求し、深めようとすると、それは自ずとホラーとなるということである。すなわち、「怖い」と言われているネタというのは、シュールからさらに突き詰めた結果生み出された、水準の高い笑いであることが多いのである。※2
笑いと恐怖の境界線については以下のような考察も見られる。
「笑い」は、人間がある程度予測できる行動から少しずれた、少し逸脱した反応や行動に対して生まれ、「恐怖」は完全に理解&予測不能なものに生まれるのではないか?
理解できる逸脱→笑い
理解不能の逸脱→恐怖※3
この作品は「笑い」なのか「恐怖(ホラー)」なのか
この作品の逸脱は理解できるのである。それは、登場人物全員が馬鹿だからである。否、愛すべき馬鹿なのである。馬鹿の行動というのは理解できる。なぜなら、彼らはふざけているからだ。極限に見える状況に置かれていても、ふざけているのだ。それを視聴者に嫌というほど見せつけてくる。次第に、視聴者は馬鹿達の行動を期待するようになる。
つまり、この作品は「ベタなボケ」と「シュール」を往復する「笑い」といえよう。
「笑い」には緊張と緩和が重要である、といった説もある。緊張が大きいほど、緩和つまり「笑い」が大きくなる。緊張の大きさで比べると、「シュール」>「ベタなボケ」となろう。
この視点に立つと、本作品の前半は「シュール」、後半は「ベタなボケ」と言えるのではないか。ちなみに、筆者は本作品の前半では含み笑い、後半では大笑いをした。このことは、「シュール」とは質の「笑い」、一方の「ベタなボケ」は量的な「笑い」を生み出すことを意味している。
この作品を「シュール」たらしめている要素は枚挙に暇がない。ぜひ本作品を視聴し、感じ取ってもらいたい。※4
※1 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E3%81%84
※2 http://d.hatena.ne.jp/ncat2/20090620/1245511186
※3 http://mandara-dara.hatenablog.com/entry/2015/06/11/170428
※4 本作品のグロ描写は、アニメ界TOPであり(普段グロ描写を見ても特段何も感じない筆者だが、屍鬼が日光に焼かれる描写は鳥肌が立った)、生理的嫌悪感を催す可能性が高いので注意されたし