蒼い✨️ さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
ごきげんよう そして ごきげんよう 。
【概要】
アニメーション制作:NUT
2017年1月 - 3月に放映された全12話+総集編1話のTVアニメ。
原作は、カルロ・ゼン(日本人)による(辞書のように分厚い)ライトノベルです。
小説投稿サイト「Arcadia」のweb小説が雛形であり、
書籍版(エンターブレイン) = web小説をリメイクして、篠月しのぶのイラストがついたもの。
漫画版(KADOKAWA) = 東條チカ・作。書籍版に忠実に、そしてキャラの描写を膨らませたもの。
アニメ版 = 書籍版を大幅に編集して3巻の3/4までを全12話で纏め上げたもの。
と、KADOKAWAグループのテコ入れでメディアミックス展開されています。
漫画版は、月刊コンプエースにて連載中です。
アニメ版の監督は、上村泰。
【あらすじ】
一人の男がいた。子供の頃から勉学に励み進学校から名門大学へ。
そして都心の高層ビルに本社を持つ一流企業で大過なく粛々と自分の職務をこなしている。
部長の席まで将来的には見えているのだから、世間の尺度で言えば勝ち組だろう。
彼は自分と本物の天才の差を実感していた。
本物は学問や研究などの分野で新たな一歩を踏み出すのだ。
学歴社会を勝ち上がった勉強ができるだけの凡人に過ぎない自分は、
社会のシステムとルールに逆らわず、
出世を約束されたレールに上手く乗って豊かな老後まで計算しつくされた、
実りある人生をつつがなく過ごすのが合理的であるのだと。
だが、しくじった。人事部で首切り役をやっていた彼は、
職務に纏わりつく人の恨みというのを失念していたのだ。
原作に詳細が書かれているが、
常識的に考えて解雇されて当然のクズ社員に自己都合退職勧告を通達したところ、
帰路の駅のホームにて、そいつの逆恨みで線路に突き落とされた。そして、挽肉へ。
さようなら、西暦2013年の東京。
はじめまして、統一暦1914年(アニメでは1913年)の帝都。
地球にそっくりな異世界。ヨーロッパに酷似した大陸。
プロイセン国王をドイツ皇帝に戴く帝政ドイツにそっくりな軍事国家。
統一暦の世界では第一次世界大戦(1914-1918年)が勃発していなく、
その影響でドイツ革命が起きてないのでヴァイマル共和政もナチズムも存在していない。
周辺には、ノルウェー、スウェーデン、フランス、イギリス、イタリア、ルーマニア、ソビエトとは、
名称は異なるが西暦の地球に似た該当国家まで存在。
更には大西洋の向こうには世界一の物量と工業生産力を誇るアメリカに該当する超大国がある。
日本に該当する東洋の島国もあり日露戦争に似た戦いがあったが、今作品では触れられず。
人類の神への信仰心が薄れているということで、
神の奇跡を信じるようにと神の恩寵によって目に見える形で魔法が復活した世界。
それは近年のことであり、科学と魔法が両立している。
そして世界各国は魔法を軍事技術に用いている。
これまた第一次世界大戦を経験していない影響で戦術ドクトリンの発達が西暦の世界より遅れている。
帝国は領土問題で衝突しており、周囲諸国との火種を抱えている。
戦争の匂いが充満した世界に、男は身寄りの無い金髪の女の赤子として転生した。
何故?輪廻の狭間で神を自称する存在Xに無信仰さを咎められ、更に口答えをした神罰だという。
国民皆兵制で男女平等主義。魔力を持つ者は例外なく徴兵されるという軍事国家で、
経済的自由のない孤児、貧相な幼い女の身体、そして魔法の才能というプレゼント付き。
歳月が流れて統一暦1923年。主人公は、ターニャ・デグレチャフ。10歳前後の金髪碧眼の少女?幼女?
職業・軍人。魔法の力で空を飛んで敵を倒したりするのがお仕事。
シカゴ学派とブラックコーヒーを愛する彼女に子供らしい愛らしさは皆無。
自らの魔導師適性を国家から認定されて軍隊入りを避けられなくなり、
孤児の立場で学問を修めることが可能な唯一の選択肢が士官教育であると鑑みた結果、
志願兵となって軍学校で勉強する →軍人として戦功を立てる →出世コースに乗る
→安全な後方勤務に転属 →経済的にも社会的にも満たされた状態で快適な人生を送りたい!
という自己目標があり、ひたすら自分のために一生懸命頑張るのですが、
自己評価の低さに由来する勤勉さ、上からの査定を気にして手を抜かない仕事ぶり、
そして、相手に自分の意図を察して欲しいのに、
勇壮な建前ばかり口にして本音を人に見せないがために墓穴を掘り、
上層部からも部下からも戦意旺盛で有能で勇敢な「戦争狂」と判断されて、
最前線をたらい回しにされてしまうというディスコミュニケーションを楽しむ、
ブラック・コメディ作品では本来ではある。
そして、統一暦1923年。帝国西方方面フランソワ共和国国境の激戦区・ライン戦線から、
アニメ版の幕が開ける。
【2022時点での追記的な感想】
劇場版を観る前の復習と、2期の制作が発表されているのにあたり、
5年も経てば以前とは自分の受け取り方が変わってるだろうと再視聴。
でも、やっぱりアニメのキャラデザは酷いかな、比べて全体的に美形度が高くて、
帝国の皇帝陛下や皇女殿下が登場したりで登場人物が格段に多くて、
物語が丁寧な漫画版のほうが何倍も面白いという意見は、レビュー初稿のころと変わりませんが、
こちらは、1クールアニメとしてわかり易く情報が整理されてテンポの良さとシナリオ構成が上等。
昭和のアニメにありがちな一方的な反戦イデオロギーでなく、
人間の業の深さや戦略・戦術重視といった別の観点で戦争を描いた、
エンターテインメント活劇のアニメとしては面白いとは思いますので、
評価点数が3.6→4.0に上昇しました。
まあ、漫画版をベースにアニメ化したらアニメーターの過重労働が深刻になって、
制作が続けられなかったり、銀河英雄伝説レベルの大長編アニメになりますので、
観る側としても妥協は必要ですね。
東條チカ先生がアニメ版の設定や演出術を研究・吸収して、
より迫力のある作品として漫画版の幼女戦記が昇華できましたので、
その点ではアニメスタッフの功績が大きいと思い感謝することにしました。
【リアルタイムでの感想】
予め断っておきますが私はコミカライズ版の賛美者であり、
アニメ版とは全く違う漫画での凛々しい顔をしたターニャと可憐なヴィーシャのファンです。
漫画版で展開が進む度にアニメでは、ここが残念だったなあ…と毎月思っています。
そのスタンスを理解した上で、お読みください。
この作品は、異世界モノではありますが20世紀の西洋史と戦争の歴史のパロディでありますので、
元ネタの知識がありますと一層楽しめるかもしれません。
なお、他メディアでは世界大戦の40年近く後の統一暦1967年。
大戦当時に従軍記者であったアンドリューWTN特派記者が、
謎の多い大戦当時の真実を究明するという形で、
“十一番目の女神”(歴史の陰に消えたターニャ)の足跡を追っていて、
後世から振り返ることによって大戦の趨勢、帝国はどうなったか?
についてはアニメ版以外では早期に判明しています。
しかし、アニメ版では“アンドリューレポート”関連は全てが当然のように省略されています。
アニメ版の設計思想は一貫していて、
原作者がマニア向け作品であると自認していて、人によっては読みにくい文章と評される原作小説を、
アニメとして幅広く理解してもらえるように翻訳して1クールで収まるよう再構成することにあります。
主人公のターニャ本人は、至って知的な文明人・常識人を自認しており、
「戦争狂」なつもりも無く自身の異常さに無自覚。
愛国心あふれる帝国軍人の模範たらん姿は総司令部ウケを狙った出世のためのポーズ、
前線なんてまっぴらごめん。後方で上質の珈琲でもすすりながら、
デスクワークに勤しんで終戦を迎えたいのがターニャの望みなのですが、
アニメ版では作戦会議の駆け引きにある会話を削るなど心情的な部分の多くが端折られた上で、
化け物で最強な主人公が活躍するというイメージでの戦闘がメインディッシュとして扱われており、
そもそもアニメ版では顔芸を多用しすぎて「残虐幼女」的な表情ですので、
ターニャの印象が大きく異なっていますね。
戦争狂とかクズとかいう感想がちらほら散見されるのを見るにつけ、
そこはアニメスタッフの意図通りなのでしょうか?
作品の本質的には本音と建前の乖離という点で「オーバーロード」と類似しているはずなのに、
その部分がアニメ版では重視されておらず、
内面描写が少ないがために説明不足かつ重苦しい。どうしてこうなった!?
監督の構想ではテンポ重視の戦争アニメを指向しているがために、説明セリフを伐採しまくりです。
終盤にターニャの意図と激情を表に出すのですが、
そこまでの過程をカットしまくったために唐突感が出ていますね。
・ターニャの描き方
主人公のターニャは原作挿絵(EDにありますね)や漫画版では、
顔の造形そのものはアニメ版より柔らかく、
内面に潜む狂気を露出させたときに歪むといった感じ。
特に漫画版では年齢に見合わぬ凛々しい姿と、
時折見せる狂気のギャップで特別感を演出しているのですが、
アニメ版では日常的なギザギザギトギト風味の表情の動きが、
『あーん?何ガンつけてるんだ?ゴラァ?』てな感じ。
人間というのは育ちの良し悪しが顔に出るものです。
ターニャは前世においては経済的に不自由しない家庭環境に生まれ育ち、
努力を惜しまぬ高学歴のインテリ層という設定で更にはサバゲーや軍記小説を嗜む趣味人で、
マニアックさが昂じて、やたら人類史の戦争の変遷に詳しい軍事オタク。
特に漫画版ではシベリアンハスキーを可愛がる姿で、
血統書付きの犬の扱いに手慣れた様子が描かれたり、
別のエピソードでは前世での“彼”の人生が少しばかり描かれ、
ルールを重んじる人格が形成されていった過程や、文武両道の英才な少年期の姿が見られます。
感情や暴力性に支配された層を忌避し、その類を落伍者と見なしてきた前世だったにしては、
アニメでは表情の歪め方がいわゆる学歴を不問とされるブルーワーカーっぽく、
自らが染まっているという矛盾。
インパクト重視でわかりやすい暴力性演出なのでしょうか?
戦場の狂気がそうさせるか?と言えば他の軍人たちの表情には、その傾向は無いですね。
漫画版での別解釈による、狂気を孕みながらも表情がより知的なターニャ像がある以上は、
疑問を挟む余地があります。
そもそもが、ターニャの前世が大企業の人事部に所属していたという設定なのですが、
企業が経営目標を達成できるように、必要な人材を見極めて採用をして、
マナーや技術を身につけるための教育にあたる。社員の業績や適性を見て人員配置をする。
社員がモチベーションを維持して能力を発揮して企業に貢献させるための評価制度づくり。
社員の過労や職場のストレスによる精神疾患に対するメンタルヘルスケア。
社員の職場の人間関係の悩みを相談されての、
監督指導や配置調整なども人事の仕事に含まれるのですが、
アニメのターニャはいつも不機嫌そうな顔と声色のパワハラ型の人間にしか見えませんね。
ブラック企業ならともかく大企業で人事の仕事をしていたとか無理がありすぎます。
漫画版ですと思考の差異でいつもいつも、
『こんなはずじゃなかった!』的な展開に悩まされながらも、
打算ながらも上司や部下との適切なコミュニケーションを試みようとする、
ターニャの柔らかい人間味が見られます。
部下に対する鬼教官のスパルタぶりでは共通しているのですが。
対してアニメのターニャの表現は、
他人に歩み寄ろうとして人の気持ちを読み取るのに失敗をするのではなく、
自分しか信じていなく、前世での反省点が活かされていない感じがしますね。
また、顔芸や演技指導を見るに前世を、自称「合理性を尊ぶサラリーマン」ではなくて、
「暴力組織の構成員」か「総会屋」に設定変更したほうが、しっくりと来ますね。
・アニメーターが量産しやすいよう、動かしやすいよう、
スケジュールが破綻しないためのキャラデザのアレンジ。
ん?お題目は結構ですが、
見るに原作のデザインに寄せる努力を一から放棄して自分の絵柄で描いていますね。
萌えはいらぬ。可愛さはいらぬ。イケメンはいらぬ。
主人公は生物学的には年端もいかない女児ではありますが、
アニメのスタイルは、とにかく男成分マシマシ。女性は美人でなくキワモノに、
イケメンはオジサン化というスタイル?
挿絵に無いキャラに関しては自由裁量かと思いますが、
原作挿絵にあるキャラのイメージ損壊はどうなのでしょうか?
特にヴィーシャがね…。 原作でも漫画でも慎ましやかな胸を持つスラブ系少女じゃなかったっけ?
ずぼらっぽいような、少々行儀の悪い天然系のダイナマイトボディだなんて、
説明がなければヴィーシャだと解らない変更ですし、なんで口が顎の位置にあるんだろうと。
そもそも性格からして別人ですし、名前しか共通点がないですね。
原作挿絵とも美少女然とした漫画版ともテイストが違いすぎて、
アニメ版の他のキャラと比べても違和感ありすぎです。
アニメでは登場しない削られた人物が多く、
その一人がヴィーシャの親友であるエーリャなのですが、
彼女の特徴である、わがままボディと掴みどころのない言動を、
アニメ版のヴィーシャに移植されたのでしょうか?
勤勉、上品、インテリジェンス、ターニャへの忠誠心にマイナス修正が加えられていて、
コメディリリーフとして脚本家が使いやすいように、
原作のヴィーシャから故意に別人化されたっぽいですね。
アニメ版特有のヴィーシャの顔の描き方に異論のある人が結構いますし、
細かいことはさておいても、そこは変えてよかったのか疑問です。
脚本家の人は原作者とよく連絡とりあってたらしいのですが、
キャラクターデザインの人がイラストレーターの人と意思疎通をしてないような気がします。
・戦闘シーンはガンダムっぽく派手に!アニメ版の最大のセールスポイント!!
動くアニメを意識して作画班は頑張ったので、そこがこのアニメでは一番評価しています。
キャラデザの違和感、オマルと揶揄されたりする兵装のアニメ版独自デザイン、
空戦で撃墜されるときの棒立ちの3点で敢えて点数を抑えていますが。
・脚本と演出の犠牲?
アニメ的な見栄えを重視して主人公の無双感を強調したいがために、
シナリオを色々弄くりすぎですね。
主人公の戦略戦術の発想は、統一歴の世界の人類が未経験の、
西暦20世紀の世界史と戦史の知識の応用なのです。
赤本を見ながら問題を解くようなものであり、
アニメ版では省かれているためにターニャがまるで預言者ですよね。
賢い万能主人公と主人公に踏み潰されるだけの哀れな敵といった感じが原作小説以上にしますね。
原作や漫画では、「シカゴ学派」「フォウニーウォー」「マッカーサー」など、
史実ワードがふんだんに散りばめられて、
ウィットが在るのですが、アニメではそのあたりはオールカットですので物足りません。
元々は会話が主体の原作を、
アニメ版ではインパクトと戦闘を重視したアクションフィルムに変換しているので、
状況説明や脇役の心情描写をアニメ本編ではガンガン切り捨てています。
原作通りにやれば銀河英雄伝説並の会話量と進行ペースになるのを、
1クールの尺に収めるために原作のチャプターを幾つも丸ごとごそっと捨てています。
他にもストーリーに絡むことになるはずだったハーバーグラム少将やジョンおじさん等など、
アニメでは削られた原作での登場人物が多数です。
いわば、ミニチュアライズされたアニメ版『幼女戦記』であり、不完全なものですね。
・存在X
元々はターニャの状況を作るための舞台装置でなかった存在Xが、
ターニャに執着し、ちょくちょくチョッカイをかけてくる部分はアニメ版の独自要素ですね。
アニメ版では妄執じみたものをみせたり、ターニャも存在Xへの憎悪を高めている。
それが意味を為すのかは、今のスタッフで続編をやらないことには判りかねますが。
世界が絶望に染まり人類が神に祈るようになればOKで、
ターニャが本人の意志に反して存在Xに利益をもたらしていますので黙認している、
というのが本来の存在Xのポジションです。
【各話感想の残骸のまとめ】
アニメスタッフは努力したし良かったという人がいるのも承知の上で、
他のスタッフならば、どうなってただろう?という思いがあります。
『みなみけ』が1期が最高とされていて、
『おかわり』を黒歴史にしたい人(私もですが)が少なからず存在しますが、
1期がなければ『おかわり』が酷評されることも無かったのかもしれません。
私がアニメ版に不信感を持つようになった1話目は、
原作や漫画版にあるライン防衛戦での展開を半分以上省略。
『わたしたまにエーリャのことを 極東にいるという忍者かと思うわ…』
『いい女には秘密は付き物だよ セレブリャーコフ君!』
ヴィーシャとエーリャが幼年学校寄宿舎で朝食を採りながら新しい小隊長(ターニャ)の噂話。
前線に投入されて兵士詰め所で将兵が居並ぶ中でのターニャとヴィーシャの初対面。
『ターニャ・デグレチャフ少尉という自分の上官の第一印象は「吸血鬼」だった』
ライン戦線でのターニャの上官のイーレン・シュワルコフ中尉は、
豪胆かつ優秀な戦略眼の前線指揮官でありますが、
アニメ改変でエピソード短縮の煽りを食らって、
ライン防衛戦での出番・台詞を大幅に削られていて個性を消失。
ターニャと軍議を交わした百戦錬磨の名指揮官は消え、
残ったのは軍歴を感じさせない能天気そうな熊。
『神を讃えよ!その名も砲兵!!!素晴らしいリズムだ!!』
『そは戦場の神なり!!』
『我らの無線の請願に!!神は呼びかけに応じたり!!!』
『砲兵よ!!砲兵よ!!汝こそが我らの友』
『少尉 好き嫌いはいかんな 身長が伸びんぞ?』
『シュワルコフ中隊長殿
わたしは被弾面積が小さいことを喜ぼうと思うのですが』
『…降参だ少尉
わたしが聞いた中で これほど説得力のある好き嫌いの言い訳はない』
『宜しい 好き嫌いの激しいデグレチャフ少尉に
独り占めされないように各自奮起せよ!』
『突撃!!!我に続けぇえええ!!!!』
血と汗と硝煙の匂いで化粧された死と隣り合わせの戦場で笑って過ごせる勇敢な兵隊さんたち。
ルーキーのヴィーシャの緊張をほぐそうと話しかけたり、
空中で敬礼の姿勢で闊歩しておどけるショーンズ軍曹。
↑削られた場面が多すぎであり、演出意図で空気が全然違っていて台無し感が甚だしく、
アニメ版第1話にて、このスタッフでは無理だと思いました。
1話目が私の中の底辺であって、他の話は演出やキャラデザの違和感に目をつぶれば見られましたが。
ターニャが演算宝珠エレニウム九五式を使ってオーバーキル気味の火力を発動しようとすると、
漫画版の第2巻では存在Xの呪いで強制的に天啓を授かった無垢なる聖女の祈りモードに入るのですが、
アニメ版では存在Xがターニャからの憎悪の対象として禍々しく描かれているためか、
アニメ版ターニャが悪魔的イメージで固定されているのも関係あるのか瞳孔の色が変わるだけで、
詠唱も必殺技を発動させるコマンドみたいな扱いで信仰心の欠片も見えない。
特定の宗教を連想させるのがいけないのか、存在Xを神聖なものに見せたくないのか演出が物足りない。
アニメ版でも『精神汚染』が台詞で出てくるものの、
ビジュアル化していなく神への憎悪を口にするだけ。
『悪魔』というキーワードを前面に押し出しているためか、ターニャは普通には笑えない。
笑おうとすれば口が引きつり大きく横に裂けて悪魔みたいな表情になってしまう。憤怒の化身みたいな存在。
アニメ版ではターニャの表情がギョロギョロし過ぎて、
ビジュアルとしても『悪魔』『化け物』と化している。
キーワードに囚われすぎて、異常者にしか見えない。
これが監督の作品解釈であり、演出意図なのでしょうが。
キャラ解釈も合いませんね。
前述のシュワルコフ中尉はもとより、
地上で戦う同胞の撤退を援護するために仲間を鼓舞しながら戦い抜いた、
フランソワ共和国軍のホスマン中尉
→ 蒼天の拳で霞拳志郎に割り箸を鼻に突っ込まれた挙句に、
秘孔で爆殺されていそうな凶悪な雑魚顔のやられ役デザイン。
ウーガ大尉(少佐)
あれ?ウーガ大尉って参謀将校のレルゲンと年齢が大して変わらない、
初めて子供が生まれたばかりの秀才エリート士官のはずですよね?
アニメだと目つきに覇気も意欲の欠片も無い、シワシワの中年過ぎてて、
キャラデザの人が原作を読み込んでいるのか本当に不安ですね。
このアニメでは士官が入る軍大学生の平均年齢が中年なのが普通なのかと思いきや、
教室のシーンを見るに他の生徒は25歳~33歳ぐらいの外見なのに、
ウーガ大尉だけ、成人した大きなお子さんを持ったお父さんですか?
ってぐらい老け過ぎなのですよね。
実はweb版では半世紀後(?)にも現役の中将として存命であることが示されており、
アニメ版を準拠にすると、後のウーガ中将はかなりの高齢な老人になってしまいます。
流石にありえませんね。
もうちょっと彼を有能っぽい顔にするか若々しいデザインに出来なかったのでしょうか?
ヴィーシャやウーガよりも問題なのが、
イングランドがモデルであるアルビオン連合王国に所属するドレイク中佐。
原作では航空魔導師としても指揮官としても作中でも超一流で英雄クラスで人格者でもある。
ガンダム世界でエースパイロットでも違和感がない、
櫻井孝宏ボイスが似合いそうなイケメン将校である彼が、
アニメ版ではチョビヒゲの伍長みたいな冴えない中年風体になっていますしね。
高岡瓶々の声もかっこ悪いですし、
アニメ改変でターニャの遠距離砲撃に脂汗を流して逃亡している始末。
あまりにも原作と違いすぎていて、キャラクター(デザイン)原案って何?って本気で思ってしまいます。
スターは主人公一人で十分!という考え方で、
主役っぽい敵キャラを故意に地味キャラに下げている感じですね。
アニメ版ドレイクはガンダム世界で言えば、若者に倒される使えない上官のオッサンそのものです。
アニメでは登場しない人物である連、
合王国の諜報員・ジョンおじさんとキャラを合体させたせいでしょうか?
ヴィーシャのキャラ変更といい本当に余計なキャラ改造が多いアニメですね!
キャラ評価を“普通”止まりにしているのは、要らない改変が目につくからです。
主人公が禍々しい金髪幼女であったり、副官は、まいっちんぐマチコ先生であったり、
その他全員がモブ顔or老け顔。
ビジュアルイメージがアニメ版の難点であり、
キャラデザさえ良ければ私の評価も違っていたかもしれません。
また、漫画版ではアニメで初めて外見が設定されたキャラのみ容姿を輸入しているのですが、
それも漫画版のほうが各人物の精神年齢が高く見えますね。
アニメでは第6話-第7話に登場した北方方面軍参謀長のシュライゼ中将の扱いの差が、
具体例として適切です。アニメではターニャに高圧的に怒号をぶつけ、
無能を撒き散らすだけの役割でしか無い脳筋の噛ませ犬でありますのが、
一転、漫画版の第6巻のシュライゼ中将は、
最終的にはターニャに会議室からの退室を命じる点では同じですが、
シュライゼ中将は知的で思慮深く、
階級が下の者の具申を一方的に無下には扱わない人物として描かれており、
人間の描き方において、アニメ版と漫画版で格段の差が存在するように思われます。
基本的に何故こうなった?こういう意図で行動している!という説明を省いているために、
上っ面の映像化という側面が強くて、場面改変も手伝って、
原作小説でも漫画でもどっちでも良いからアニメで該当する部分を一度読んでしまうと、
ひとつひとつの場面に込められている心中を汲み取りにくいアニメ版を、
手放しに賞賛するのは難しいですね。
深読みせずに表面にある情報をなぞって楽しめ!ということかもしれませんが。
戦闘にしても正攻法では難攻不落の要衝に友軍が膠着しているのを、
ターニャの豊富な戦史知識から拾い上げた、朝鮮戦争における国際連合軍総司令官である、
マッカーサー元帥の「スレッジハンマー作戦」をパクって攻略する話を、
アニメではターニャ本人の閃きの如くとされ、
隠密作戦を力押し気味に撃破すると言った風に描かれていたり、
単なる万能主人公無双系としての側面が強くなっていますね。
例えれば、現代人のバンドがビートルズがデビューする前の昭和の世界にタイムスリップして、
『「ラヴ・ミー・ドゥ」(" Love Me Do")』を自分たちのオリジナル曲として、
モノマネ披露でプロデビューして世界中から喝采されるような欺瞞。
そういった原作や漫画にある主人公の戦略と戦術の革新性のトリックを、
アニメ版では意図的に省いています。先駆者でも天才でもなく、
知識を記憶のデータベースから引き出して実行に移す能力こそが主人公の本領です。
その前提の説明を意図的に省かれた上で、
更に神から貰ったチート兵器の火力で敵を殲滅して最強主人公すごい!
みたいな評価を未読のアニメ視聴者から得るにつけて、
これをしたスタッフがダメだろ!と思うわけですね。
運用するのは本人の資質の高さであり実力ですが、知識と能力の借り物感を故意に薄めていますね。
本来ならば他の転生・召喚系作品と同じく、
主人公と異世界の現地人の知識の差が目に見える成果の違いになっているのです。
原作自体が『魔法少女リリカルなのは』の二次創作小説がスタート地点であり、
そこへ『皇国の守護者』『HELLSING』の“最後の大隊”など作者の好む要素をトッピング。
ロシア視点からのナチス親衛隊の悪行を描いた、
『炎628』(火の試練の元ネタ)などの戦争映画から得た着想やら、
更に作者の歴史や軍事の知識を『なろう』『理想郷』
にありがちな転生チートモノに何重にもコーティングしたものが、
『幼女戦記』の本質。
シリアスでハードな戦争ものと捉えるよりは、
転生チート作品の延長に過ぎないと思わざるをえないのですがどうでしょうか?
発想を生み出す知恵と不屈不撓の一心で戦局に応じていくのではなく、
未来知識と神チート兵器が主人公の強さの源泉ですので、
本当の意味での戦争のリアルさとは異質にしてなるものです。
強いものが生き延び、弱いものが戦死する。ただ、それだけの話ですが、
前世知識と存在Xの介入で主人公特権と言えるアドバンテージを得ていますので、
あんまり、リアルと言わないほうが良いと思います。
戦争のリアルを見たければ、『チートも魔法もない戦争記録映画を見てください』
と言いたくなります。
ミヒャエル・エンデのファンタジー文学の名作“はてしない物語”が、
“ネバーエンディングストーリー”として映画化したとき、
主人公のバスチアンの容姿が原作の描写とかけ離れていてイメージぶち壊しだったり、
ストーリー大幅カットや改悪シーンなどで原作ファンを落胆させたりみたいに、
文芸作品の映像化には一定のリスクが付随するのが常当たり前であり、
剛力彩芽が主演のドラマ“ビブリア古書堂の事件手帖”といった原作無視などに比べたら、
“幼女戦記”のアニメは比較的に原作に向き合って作っていると言えますが、
解釈と表現の問題でしょうかね。
本格戦争アニメとしての外面を被せるために、原作にある都合の悪い部分を切り捨てた上で、
キャラの容姿や性格をいじりまくって味付けを変えたのが、アニメ版『幼女戦記』の本質ですね。
根本的には1クールで無理やりでも、やりきってしまおうという企画に無理があり、
2クールアニメのリゼロ並の尺と情報量で作品を表現しなかったのが間違いだと思います。
まあ、原作など他のメディアに触れずにアクション物として、
アニメ版だけ観る分には十分に楽しめるクオリティですので、
やはり、メディアごとに作品の楽しみ方を変えたほうが良さそうですね。
キャラデザとシナリオの改変を敢えて気にしないようにすれば楽しめますし。
ただし、改変の多いアニメ版だけ観て『これが、幼女戦記だ!!』とは思わない方が良いです。
大筋では原作展開をなぞっているものの、構成を変えるためにキャラの表現が大幅に変わっています。
具体例を挙げれば、原作や漫画ではターニャの戦略意図を見破り、
手勢を率いて実力でターニャを苦境に追い詰めた、
協商連合のアンソン・スー大佐の有能さを示す活躍シーンを、アニメでは全部カットした挙句に、
ターニャに踏み潰されるだけの哀れな敵に過ぎないというアンソンの扱い。
そこまでして主人公無双感を強めたいのか?という疑問。
ストーリーのコマにするためだけに原作では死んだ後も、
アニメでは人格を失った再生怪人として利用してまた殺すという扱い。
キャラがストーリー上のコマとしての意味合いが強く、
だから名前付きキャラでも人格描写が浅く能力を下げられ総じて扱いが悪い。
アニメ版では全てが主人公を持ち上げて引き立てるための、
キャラデザと配置で設定された生贄に過ぎませんので、
人間たちの群像劇としては内容が薄すぎると思います。
アニメ版ではチート主人公が一方的に雑魚を蹴散らしてドヤ顔するだけの、
オースフィヨルド沿岸要塞上空の戦いが漫画版ではアンソンとの激闘でのターニャの窮地に、
帝国軍北洋艦隊が到着して敵を殲滅するというストーリーであり、
同じ原作の同じ文章から、ここまで内容に差が生じるのが疑問ですね。
顔芸が良い?主人公の余裕綽々の顔芸がやりたくて、
意図的に周りが貶められているだけで薄っぺらいですね。
また原作の続きでの共産主義/共産国家への過激すぎるスタンスをアニメで表現できるのか?との疑問。
アニメ版スタッフの宗教描写へのスタンスを見るに、2期をやったところで忠実な再現性は望めません。
こっちはこっちとして、別のスタッフで漫画版をベースとした別の切り口による、
『幼女戦記』というアニメを観てみたい気がしました。
これが原作無しのオリジナル作品であれば、
褒め称えている人のように私も高評価を下している可能性が高かったのですが、
メディアミックス展開で上位互換作品が存在しますので、個人的な印象でマイナス修正された感じです。
媒体違いで必要な予算と人員の差があり過ぎますので、単純比較してはいけないのですけどね。
原作と比べてどこがどう削られているのかは、
東條チカが手がけている原作ベースの漫画版を読むと理解しやすいです。
分厚い原作小説を手にとってギブアップした人が多いらしいですので。
漫画版のターニャは幼い少女の身体の本能と前世の記憶を持つ魂の乖離に煩悶しつつ、
虚勢を張ったり折り合いをつけながらも、案外今の人生を楽しんで生きています。
基本的には上から目線ではありますが。恥じらいの表情を見せたり、
機嫌が悪いとほっぺたを膨らませたりと人間らしい表情が多いです。
年上の部下など大人に侮られまいと土嚢や台や椅子で周りと目線の高さを合わせる
→ そこが周りの将兵から可愛いと思われる
→ 本人は、周りからそう思われているのに気づいていない
といったふうに、視覚効果を狙ったコミカルさの配分が絶妙なのです。
人前では軍人としての威厳を見せたいために鉄面皮、
それを幼い身でありながらも軍人の鑑であると誤解される。
人が見てないところでは本性を露わに喜怒哀楽に合わせて、
表情がコロコロ変わるのが魅力的なのでありますが。
外面では戦場の女神と悪魔的な軍人が同居している、それでなおかつ人間らしさが垣間見えるのが、
漫画版のターニャの魅力であります。
“幼女戦記”“comicwalker”で検索してみてください。
アニメ版しか観てないという人が大多数ですので…。
最後は漫画版の宣伝みたいになってしまいましたが、これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。