ヤマザキ さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
元・ブラバン少年、としての妄想付き長文レビュー(H29.01.19 またまた大幅追記しました)。
【追記は下の方にしてきます。読みたい方はスクロールしてください】
※H29.01.25にさらに追記しましたが、字数制限にひっかかってアップできませんでした。「1」の方に掲載しましたので、お読みになりたい方はそちらでお願いいたします。
H28.12.30にコメント。
中学1年生の4月から大学1年生の12月まで吹奏楽部に所属していた私にとって、吹奏楽は(いい意味でも悪い意味でも)青春そのものであります。この「響け!ユーフォニアム」については、昨年放映した「1」から、その圧倒的作画とリアリティあふれるストーリー、効果的な演出ですっかり虜になっておりました。今季の「2」でクオリティが下がったらやだなあと思っていましたが、最終回のラストまで、本当に素晴らしい出来でありました。個人的に今年最高傑作と位置づけている「聲の形」に引き続き、京都アニメーションさんには素晴らしいものを見せていただき、本当に心から御礼を言いたいです。
自分の青春時代の思い出とリンクするせいか、「1」同様、本当にたくさんの感想が生まれてきています。「1」の時と同様に、それらについては元・吹奏楽部員、元ブラバン少年ならではの細かい分析と推敲を重ねていずれ発表したいと思いますので、今日のところは上っ面の感想だけ書いておきます。
【良かった点】
・主人公、黄前久美子が吹奏楽部の活動を通して成長していく物語であったこと。1期の最初の頃と比べると、ずいぶんと「性格的に魅力的な娘」になったよねぇ・・・。
・それからもう一つ。これは「北宇治高校吹奏楽部」の成長の物語。主人公だけじゃなく、デカリボン先輩もポニテ先輩も、(もしかすると主人公以上に?)成長した。高校生くらいの頃だとこんなことってあるんだよね。その一方で田中あすか先輩はすでに完璧に完成されていて、見事なまでにブレなかったな・・・(ボソッ)。
・作画、声優の出来、言うことなし!作画のすばらしさは「甲鉄城のカバネリ」に匹敵(・・・とはいえ、「1」>「2」でしたが・・・)。久美子の声を出している黒沢ともよさんの「鼻声問題」。あれは意図的なのか、それとも単に風邪を引いただけなのか?実際に主人公が「鼻声回」の後に風邪を引いたので、判断が難しい。「意図的に鼻声を出していた」のであれば、もうビックリですわ。
【悪かった点】
・「2」で準主役級だった鎧塚みぞれ先輩。なかなかに魅力的なキャラクターでした。原作では第2巻から出て来たようですので、それに準拠して「2」から出て来たようですが、そこまで原作に合わせる必要はなかったのでは?「1」の段階から「ミステリアスなナゾ先輩」としてちょっとだけでもスポットライトを当てておいた方がよかったかも?
・「2」の第1回、多くの方も指摘していますが、ちょっと流れが悪かったです。1時間スペシャルだったのでこちらも感じ方が違ったのかな?
【以下、今後の展開についての妄想が暴走】
是非「3」以降をやっていただきたいですね。これはもう、原作を追い越して「オリジナルアニメ」として、先の読めない展開をしてほしいです。以下、個人的願望(妄想)。
{netabare}・久美子2年時、さまざまなトラブル発生から、府大会(もしくは関西大会)敗退。
・久美子3年時、念願の全国大会金賞達成。自由曲で麗奈と久美子のDUOソロありシーン(府大会もしくは関西大会で2人の齟齬からコケたりするが全国では成功、とか・・・)で大いに泣かせて欲しい。
・2年時でも3年時でもいいから是非葉月とサファイアのソロも欲しいなぁ。コントラバスのソロがある吹奏楽曲ってすごい少ないよねぇ・・・。
・3年時はサファイア部長、葉月もしくは秀一が副部長かなぁ・・・(久美子や麗奈はリーダーとして不向き?)。{/netabare}
さあ、年末年始休暇を使ってもっと細かい感想を書くぞう!
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H29.01.05、追記しました。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その1:「音楽で競うこと=コンクール」を考える(1)-
{netabare} さて、大傑作であり、そして初の本格吹奏楽アニメ「響け!ユーフォニアム」を通じて音楽を語る・・・いや、音楽を通じて「響け!ユーフォニアム」を語る、どっちだ?の時間がやってまいりました。ものすごく長文になる予感が、そしてそれが何回も続くような予感が、今からひしひしとしております。以後はそれにお付き合いいただける方のみ、この後お読みください。
さて、その「響け!ユーフォニアム」についてはその第2期(以下、「2」と呼びます)が先日3ヶ月に渡る放送が終了し、1年半前からやはり3ヶ月にわたって放送された第1期(以下、「1」と呼びます)と合わせて全26話、実に濃厚な人間ドラマと音楽劇を見せてくれました。その中のエピソードを通じて私が過去30ウン年やっている音楽を振り返り、その中で感じてきたことをここに綴ってみようというのが、その趣旨であります。まず最初に、「音楽で競うこと=コンクール」について考えてみたいと思います。なお、ここは「響け!ユーフォニアム」のレビューなので、基本的には「コンクール=吹奏楽コンクール」なのですが、例えば「四月は君の嘘」に出て来た「ピアノコンクール」などにも当てはまる話だと思います。
まずは「響け!ユーフォニアム」のあらすじから。主人公たちが所属する京都府立北宇治高校、かつては吹奏楽コンクールの全国大会にも出場したことのある学校だったのですが、ここ数年は京都府大会銅賞に甘んじておりました。ところが、主人公たちが1年生として入学してきた年に、新たな指導者として音楽教師の滝昇先生が赴任。彼の指導の下、北宇治高校は府大会金賞受賞そして関西大会への出場権を得ます(以上、「1」最終回まで)。そして今季「2」では関西大会金賞受賞から関西地区代表となり(第5話)、そして最終回前の第12話ではいよいよ全国大会に出場しました。全国大会での結果は銅賞。創作だから、取らせようと思えば金賞を取らせられるのに、最後は敢えて銅賞で終わらせるというなんともリアリティあふれるストーリー。いきなり全国大会に出たのでは金賞を取らせてくれない厳しさをしっかり描いていると感服しました。
さて、その吹奏楽コンクールですが、もちろん中学・高校、そして大学1年の12月まで吹奏楽部に所属していた私にも出場経験があります。その結果は、中1:県大会銀賞(ただし出場せず=いわゆる「チームもなか」状態)、中2:県大会銀賞、中3:県大会銀賞、高1:県大会銀賞、高2:県大会銀賞、高3:県大会銀賞でした・・・、って、毎年同じじゃねぇかよ!
そう、一度も金賞を取れませんでした。でも、その中で唯一、金賞を受賞した雰囲気・気持ちだけ経験したことがあります。高校1年生のコンクール県大会、成績発表の席で、私の所属する高校の賞を、発表者が「金賞」と読み間違えたのです。そりゃ喜びましたよ、ものすごく・・・。で、ほぼ10秒後に「訂正します」って言われて気分はどん底に突き落とされましたけれどもね。で、その翌年からです、発表者が「金賞」って言った後に必ず「ゴールド」って付け加えるようになったのは。
まあそんな経験もあったので、高校2年生の頃にはけっこう吹奏楽コンクールが嫌いになっていました。いや、経験云々ではないかもしれません。そもそもピアノ等を習った経験の無い私は、中学で吹奏楽部に入り、そこの顧問に「私たちは吹奏楽コンクールで金賞を受賞することを目的に活動している」と言われ、中学時代まではその目的に疑いを持つことなく練習をしてきました。だから、金賞=いい演奏と信じて疑わなかった。ところが、高校生くらいになると、どうやら吹奏楽コンクールの金・銀・銅という成績と、自分自身の「好み」、あるいは「感動」といったものが必ずしも一致しないことに気づいてきます。「○○高校は上手かったけれど、全然心打たなかったなぁ」「××高校は下手だったけれど、ものすごく感動した。オレああいう演奏好きだよ」とかね。吹奏楽コンクールはスポーツの試合のように、勝敗が点数や記録というものによって可視化されないから、余計にそんな気持ちにさせられるのかもしれません。
だから当然のこと、「吹奏楽コンクールなんぼのもんじゃい」、って気持ちになります。さらには高校2年生の時のコンクールの結果があまりに政治的なもので疑惑ありありであったこと(詳細省略)。高校3年生の時には自分の学校の指揮者としてお願いした方(他校の音楽の先生でした)が、一度正式に決まったにもかかわらず、県の吹奏楽連盟から「そんなのはまかりならん」とストップを掛けられたこと(結果はそのまま強行出場)から、さらに吹奏楽コンクールが嫌いになり、その頃になると「コンクールなんてものがあるから、今の吹奏楽界は変なんだ」「うちの学校のアノ矛盾も、コノ事件の原因も、みんなコンクールがあるからいけないんだ」という気持ちになっていました。
具体的にいやだったのは、まず部の内部がギスギスしたこと。特に中学生の時はそうだったのですが、指導する先生の目的が「音楽を楽しむこと」よりも「コンクールでいい賞を取ること」にあったためか、とにかく部員同士仲が悪かったです。なんというか、部員一同「悪意」の塊で、特に女子は毎日のようにいざこざが起きる始末。そりゃそうですよね。「コンクールでいい賞を取る」のが目的で部活をやっているのに、コンクールに出られないんじゃはじめから話にならないのですよ。だから、周囲にいる同級生やうっかりすると後輩まで、全てがライバル、いや、「敵」といっていいかもしれません。「かけだすモナカ」のレビューにも書きましたが、私なんかコンクールに出られなかった同級生から暗殺されかかったくらいですから。
もう一つ嫌だったのは、この「悪意」が外にもむけられたこと。他校、とりわけライバル校の演奏を聴きながら、「失敗しろ、失敗しろ」と祈っている自分に気づいたとき、ああ、なんてオレって嫌なやつ、って心から思いました。自分の卑しい心を棚に上げて考えたとき、そのオレを嫌なやつにおとしめたものがコンクールという制度そのものだったわけです。
私はこの「響け!ユーフォニアム」の原作は未読なのですが、Wikipediaを見ると、こんなストーリーが原作にあったのですね。「2」で言えば第5話、関西大会のエピソードです。
「自分たちの出番が終わり、三強の一角である秀塔大学付属高校の演奏を客席で聴いていた久美子は、彼らが失敗することを願わずにいられない自分に嫌悪を抱く。そのとき、エスクラリネットのソロ奏者がミスをする。会場を出た久美子は、ミスをした2年生部員が腕にギプスを纏った3年生に泣きながら詫びているのを目にする。」
これこれ、まさしくこれなんですよ。原作に書かれただけでアニメでは取り上げられなかったですけれど、これは取り上げて欲しかったですね。本当にこんな気持ちにさせてしまうんです。だから、特に高校生の終わり近くには、本当にコンクール嫌いになっていました。
それが覆ったのは大学生の時です。大学で入部した吹奏楽部はコンクールに出場しない、定期演奏会に全てを掛けるというバンドでした。だから楽しく活動できるのかと思いきや、全然そうではなかった。そこには暴君の理不尽指揮者(学生/ちなみに5回生の2年生)と、彼に「イエス」しか言えない情けない先輩たちが大半を占めていて、それはそれはヒドイ部でした。人数の差はありましたが、指揮者派と反指揮者派にも別れていましたし、だから部の内部闘争はコンクールがあってもなくてもそのあたりは変わらず。しかしながらその時、直感的に思ったのは「これがコンクールでいい賞を取るためだったら、この理不尽な指導であっても、もう少し納得できるのにな」ということでした。つまり、「コンクールでいい賞を取るため」だったら多少の理不尽は許せるのに、コンクールに出ない、つまりは演奏会で上手な演奏をするため「だけ」の目的だと、その指揮者のちょっとした理不尽な言動が一気に許せなくなるんですね。「そんな理不尽なことを求められるのだったら、下手くそな演奏をしてもいっこうにかまわん!」というのがその時の私の気持ちでした。
さらに言えば、コンクールという外部の目があれば、たかだか学生指揮者の実力なんてたかがしれていますから、あのバカ指揮者だって大学の部活という狭い世界の中で暴君でいられ続けたとも思えないんですよね。まあいずれにしてもあまりにも指揮者が理不尽に暴走しまくっていたので、1年生の12月に、演奏会が終わったのをきっかけにその吹奏楽部を辞めちゃったんですけどね。
そんな大学時代の経験があったので、高校生の時のように吹奏楽コンクールを「完全なる悪」と思えなくなっていました。しかしながらコンクールの明確な意味付けについては完全に見いだせ切れず、この「響け!ユーフォニアム」、とりわけ「2」を観るまではかなり「もやもやした気持ち」を吹奏楽コンクールに対して持っておりました。{/netabare}
・・・え~、予想どおり長くなりましたね。ここでいったん切ります。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その2:「音楽で競うこと=コンクール」を考える(2)-
{netabare} さて、この「響け!ユーフォニアム」にも、そのコンクールが嫌いな人物が出てまいります。「2」から出てきたオーボエの2年生、鎧塚みぞれです。彼女は、中学3年生の時に金賞を期待されながら銀賞にとどまってしまったというトラウマから(原因はそれだけではないのですが)、吹奏楽コンクールのことが大嫌いになっています。だから彼女は合宿の夜、主人公に言います。
「ねぇ、コンクールって好き?私は嫌い。結局審査員の好みで結果決まるでしょ?(中略)仕方ない?沢山の人が悲しむのに…。私は苦しい…コンクールなんて無ければいいのに…」(「2」第2話)。
これを聞いた主人公の黄前久美子(eup/1年生)は、コンクールが好きか否かを、行きがかり上ではありましたが、苦手にしている先輩の吉川優子(tp/2年生)と、さらに親友の高坂麗奈(tp/1年生)に聞きます。彼女たちの答えはこうです。
優子:「まぁ納得いかない事が多いのは確かなんじゃない?私だって中学最後の大会は今でも納得してない訳だし。でもそれは結果が悪かったから。結果が良かったら納得していた気がする。ふざけてやっている訳じゃない。皆、夏休みを潰して練習している。けどコンクールは優劣をつける。この曲を自由曲に選んだ時点で難しいとか、演奏以前の話を平気で評価シートに書かれたりする事さえある。努力が足りなかった、劣っていたという事にされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいに皆でのんびり楽しく演奏しましょう…っていう空気が良いかっていうとそんな事はなかった。上を目指して頑張ってる1年よりも、サボってる3年がコンクールに出るみたいなのはやっぱり引っかかった。まぁ今年は実力主義になって色々あったけど、本気で全国行こうと思うんだったら、上手い人が吹くべきだと思う。結局好き嫌いじゃなく、コンクールに出る以上は金が良いっていう事なんじゃない?」(「2」第3話)。
麗奈:「よく音楽は金銀銅とか、そんな簡単に評価できないっていう人がいるけど…あれを言っていいのは勝者だけだと思う。下手な人が言っても負け惜しみでしかないと思うし、だから結局、上手くなるしかないと思ってる」(「2」第3話)。
さらに、ついでかもしれませんが、第8話で同校のコーチ、橋本先生(プロのパーカッショニスト)はこう言います。
「僕、実はコンクールってあんまり好きじゃない。一生懸命やってるなら金でも銀でも良いって思ってる。音を楽しむと書いて音楽。金だの銀だの意識して、縮こまって硬い演奏になってたら意味がない」(「2」第8話)。
さて、「2」第5話で、北宇治高校は前述のとおり関西大会で金賞を受賞し、関西代表となります。その前に人間関係のゴタゴタの解消から、いわゆる「闇落ち状態」であったところから戻ってきた鎧塚みぞれは、久美子の「まだコンクールのことが嫌いですか?」という質問に対し、こう答えました。
「たった今、好きになった」
このシーンを観たときに2つの思いが私の中に浮かびました。一つは「そりゃ誘導尋問でしょ」という冷めた思い。アノ瞬間にアノ質問をされれば、そりゃ誰でもそう答えるでしょうよ。徹底したコンクール嫌いだった高校生当時の私だって、鎧塚先輩と同じように答えたと思います。これは、優子の「結局好き嫌いじゃなく、コンクールに出る以上は金が良いっていう事なんじゃない?」という発言に結びつくのかもしれません、つまりは、優子の発言が一番しっくりくるような気がします。こんな私は麗奈に「下手な人が言っても負け惜しみでしかない」とばっさり切られることでしょう。
もう一つは、「ああ、コンクールってよくできた制度なんだなぁ」という、先ほどと相反する思いでした。これは逆に、優子の発言「努力が足りなかった、劣っていたという事にされちゃう。超理不尽でしょ」とは矛盾してしまうのですが、大学時代、コンクールに出場しない吹奏楽部で理不尽な待遇を受けた自分の経験からすると、それでも吹奏楽コンクールは「努力をする上での意味づけ」「自己の努力を計るバロメーター」「自分たちを評価する外部の目」としての価値を持っているような気がするんですね。これは努力の量を他の団体と比べるような解釈もできてしまいますから、他校の演奏の失敗を願うようなゲスなことをやらかしてしまうような弊害ももちろん認めないといけないわけで、どちらかというと未だ「必要悪」のような印象ですが、それでも吹奏楽コンクールの存在が、日本の管楽器奏者の技術向上に大きな役割を果たしてきたことは否定のしようがないと思います。自分の経験で言えば、たった10秒ですが、「金賞の喜び」を知っています。あの瞬間感じたのはやはり「努力が認められたんだな」という思いでした。吹奏楽コンクールは所詮は「指導者コンクール」なんだという醒めた思いもある一方で、金賞を受賞した中学生や高校生が感じる「努力が認められたという嬉しい思い」は、それはそれで尊重すべきなんだろうと思います。
さらに言えば、ほとんどの運動部が、「試合」の結果、最後は負けて幕を下ろし、「勝ったまま引退できる」のは全国優勝校だけなのに対し、吹奏楽は明確な形での負けを多くの人たちが避けられることを考えると、運動部よりはまだ「努力が認められやすい」のかもしれません。もっとも、今の私は単純に音楽を楽しみ立場であり、そんなコンクールなどなくても十分音楽を楽しんでおります。だから、「絶対に吹奏楽コンクールは必要なものだ」と言うつもりはありませんし、吹奏楽コンクールがドロドロした人間関係の原因になることについても相変わらず否定できませんが、この「響け!ユーフォニアム」というアニメを観ることにより、少なくともかつてよりも吹奏楽コンクール、というか、音楽で競い合うというものに対し、多少は寛容になった自分を感じています。{/netabare}
まだ書きたいことがあります。以下まだ続きます(ヒ~~)。
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H29.01.16、追記しました。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その3:楽器上達における「先輩」の役割-
さあ、今日も長文のレビューを書きますよ。読む覚悟のある方だけ以下をクリック。
{netabare} 「2」の最終話からのエピソードになります。田中あすかという非常に偉大な先輩、さらにはそれに加えて、姉・麻美子が去って行き、その喪失感から来る寂しさに浸り、涙を浮かべながらユーフォニアムを吹く黄前久美子(eup/1年)。その音に惹かれるようにやって来た傘木希美(fl/2年)と鎧塚みぞれ(ob/2年)。彼女たちは久美子に語りかけます。
みぞれ:「黄前さん?あすか先輩かと思った」
希美:「そっくりだった。音」
このシーン、これって物語上の演出って思った人、多いのではないのでしょうか?演出と言えば演出なんですが、でも実際にあるんです。そう、「先輩の音に似る」ってのはすごくよくあるんですね。今日はそのあたりの話をば。
今回はうちの娘の話から入りましょうかね。うちの娘は小4からコルネット、そして小6からトランペットを吹いております。中学に上がった時には迷わず吹奏楽部に入り、トランペットを継続しているのですが、昨年の夏、うちの娘(中1)が、顧問の先生の非常に教育上よろしくない、あまりに人のことを考えない指導に巻き込まれ、「吹奏楽部を辞めたい」と言い出す事態が発生しました。ここでその詳細を述べることは憚られるので省略しますが、これは、かつて吹奏楽部で活動し、その酸いも甘いも知り尽くしているはずの父親の私にとっても、「あまりに許しがたい極悪非道の行いである」「こんなにひどい目に遭わされてまで吹奏楽部の継続をガマンする必要が無いだろう」と判断するに至り、いったんは娘の意思を尊重し、吹奏楽部を辞めさせる決断を下しました。
ところが娘はこんなことを言うのです。
「吹奏楽は嫌いになったけれど、トランペットのことは嫌いになれない。それどころか、吹奏楽部抜きでも上手くなって、顧問の先生を見返してやりたい」
・・・これには困りました。自分一人で吹いていて上手くなったという例を、私はほとんど知りません。もちろん、音楽大学目指して勉強している人は吹奏楽部なんて入らなくても楽器を上手くなり、そして専門家への道を歩むことを知ってはいましたが、でも彼ら彼女らはきっとプロのよい指導を受けているはずです。ところが当方は関東地方の隅っこの住人であり、近所にそんなことをやっている中学生は皆無。さらには娘は専門家を目指しているわけでもなく、そんな状況で「上手くなりたい」という娘の希望を叶えるのは、非常に難しいと感じたのです。
もっとも私はサックスのことは詳しく知っていても、トランペットのことはさほど詳しくない。なので、出入りの楽器屋さんに行ってこのことを相談してみました。そこの社長さんはかつて自衛隊の音楽隊でユーフォニアム(!)を演奏していた方で、いわば元・プロ奏者なのですが、その方は私の「吹奏楽部抜きに上手くなれるのか」という問いにこう答えました。
「無理とは言えないけれど、非常に難しいと言わざるを得ないですね。一人で練習をしていたんじゃ『いい影響』を受けられないですから」
・・・う~む、やっぱりそうか。当時の私は頭を抱えました。
自分でも経験があるんですよね。学生時代の自分の楽器の腕前に格段の進歩があった時(といっても私の場合はアマチュアなのでたかがしれていますが)って、だいたいそばに上手い先輩が居たんですよね。そしてさらには、その上手い人のことを、楽器の腕だけじゃなく人間的にも深く尊敬していて、極端なことを言えば演奏面のことだけじゃなく、「ああ、人間的にもこんな人になりたい」と思い込んでいる時なんです。つまりは、「上手い人のマネをする」というのが、上手くなるための最良かつ最短の手段なのです。
ここで面白いのは、特に学生の時は、上手いというだけではなく、「人間的に尊敬できる」というのも付いてこないとその効果が最大限に発揮できないこと。「上手いんだけど嫌な先輩」だったりすると、おそらくは「こんな先輩のマネをしたくない」という気持ちがブレーキになってしまって、たとえ上手くても「マネをする」ということをし辛くなるんですよね。上手いのが「後輩」だったりしても、これまたしかり。こちらの場合は「人間的に云々」というより、「後輩に負けられない」という気持ち、対抗心が悪い方に働き、「オレは先輩だぞっ!後輩のマネなんてできるかっ!」ってことになってしまい、せっかくの良い手本を活かせないんですよね。
さらに面白いのは、これがプロのステージ上の演奏や、CD等の録音でその代替ができるかというと、これもまた難しいということ。プロ奏者が上手いことはわかっても、その人柄まではわからないし、さらには「プロなんだから上手くて当たり前だろう」などと、自分とプロの間に引く必要の無い線を引いてしまって、そこから学ぶことをやめてしまったりするのですよ。
ところがもう少し成長すると、仮に「上手いんだけど嫌な人」が身近にいたときに、その人の嫌なところを切り離して、単純に手本に出来るようになります。さらには、プロのステージやCDからも、無駄な線引きをせずに大きく学ぶことができるようにもなります。だから、「上手いんだけど嫌な人」から学べない、「上手くて尊敬できる人」から学べる、というのは、学生ならではの性質かもしれませんね。ああ、大人になってよかった。
さて「響け!ユーフォニアム」の話に戻しましょう。久美子とあすかの関係というのはかなり複雑でした。厚い仮面をかぶってなかなか本心を明かさないどころか、ほとんど表情にすら出さないあすか、これに対して久美子はかなり熱い気持ちであすかを動かそうとしますが、それが通じたのか通じないのかすらわからないくらい、あすかの本心は見えてこない。とはいえ、おそらくは吹奏楽部にいる誰よりも久美子に心の内をさらけ出したのでしょうけれど、さて、それはいったいあすかの本心の何%だったのやら・・・。
でも、間違いなく久美子はあすかのことを尊敬していました。だから、久美子は劇中でも格段に上手くなった。おそらくはあすかは人に教えるのが下手そうだから(天才というのは自分で努力して上手くなった経験が薄いから、とかくそんなものです)、有意義な指導というのはなかったと想像するのですが、でも久美子にとってはあすかの「存在そのもの」が最良の講師だったのだろうと信じております。
さて、北宇治高校には高坂麗奈という、あすか以上のスーパートランペットプレイヤーがいます。彼女の存在はどうだったでしょうか?
ここからはさらに想像の部分が入りますが、多分麗奈が入ったときに、北宇治高校の在校生(3年生・2年生)はかなり動揺したと思うんですよね。でもそんな中で、中世古香織(3年生)は、その麗奈の存在を前向きに捉え、おそらくはかなりのことを学んだと思います。
一方、その香織のことを心から尊敬している吉川優子(2年生)は、麗奈のことを「香織の敵=自分にとっても敵」と思っていましたから、香織ほどは麗奈の影響を受けなかったのではないでしょうか?実際「1」で麗奈と優子が対立したときには、麗奈から「ケチつけるなら、私より上手くなってからにしてください」なんて言われていましたから(第10話)、麗奈から見れば「取るに足らない相手」だったのでしょうね。
そんな二人も「1」の終盤から対立する様子もなくなり、また、優子も「2」で人間的に急成長した様子が認められるから、それでも以前よりはいいのかもしれません。もっとも麗奈にも同級生のトランペッターがいますし、また、麗奈たちが2年生になったときには後輩も入ってきて、その後輩たちは麗奈のことを尊敬するでしょうから、少なくとも優子よりは虚心坦懐に麗奈のプレイを自分の糧として吸収できる。だから、3年生になったのに後輩から激しいチャージを受ける優子の立場は非常に難しいものになるでしょうね。・・・というわけで、ガンバレ新部長!
後輩からもしっかり吸収できるという能力で言えば、久美子の1年先輩であるユーフォニアムの中川夏紀(2年生)の方が優れているでしょうね。実際に、一瞬ではありますが、オーディションの時にユーフォ暦2年目の夏紀がユーフォ暦7年目の久美子の足下を脅かしたことですし、そしてまた彼女もあすか先輩の薫陶を受けているわけですから、3年生になった夏紀も素晴らしいプレイヤーに成長すると思います。
チューバの加藤葉月(1年生)は、全国大会レギュラーメンバーの2人の先輩が両方残留しますから、これまた先輩から吸収しまくりですね。もっとも、その2人の先輩がそのまた先輩からほとんど吸収していないのが気になりますが。不憫なのはオーボエの鎧塚みぞれ(2年生)と、コントラバスの川島緑輝(1年生)で、彼女たちは先輩から吸収するものが何一つありません。ああ、かわいそうに。
・・・とまあ想像は膨らみ放題膨らむのですが、ツッこんでいくとキリがないのでこのあたりにしておきましょう。
最後に冒頭に話をした娘の「その後」を話しておきましょう。結局娘は「もっとトランペットを上手くなりたい」と理由から吹奏楽部を辞めるのを諦め、残留しました。そんな彼女、もともと3年生の先輩のことを非常に尊敬していたのですが、その先輩が引退した後、2年生の先輩と気脈を通じ、今では家に帰ってきてもその先輩の話をしてばかり。ちょっと依存が過ぎるんじゃないかという気もしないでもないですが、あれ以来吹奏楽部を辞めたいなんて言わなくなったし、なにより、急にトランペットが上手くなったようです。
現在思春期真っ盛りで、実に扱いづらい我が娘ではありますが、この点に関しては「ああよかったなぁ」と、父親として、そして同じ管楽器プレイヤーとして、心からそう思います。{/netabare}
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H29.01.19、追記しました。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その4:吹奏楽はメンタルスポーツである(1)-
{netabare} そして、次のレビューが始まるのです(沈)。
・・・「2」を観終わった後、「1」をもう1周観てみました。このアニメのような良作は、観れば観るほど再発見がありますね。噛めば噛むほど美味しいスルメのような味わいです。これは酒も進もうってもんですわい。
・・・コホン。話が逸れました。再度「1」を観て気づいたのは、「2」で活躍した鎧塚みぞれが、セリフこそないものの、実はちょくちょく映っていた(しかもデカリボンこと吉川優子と2ショットで)ということもあったのですが、それ以上にやはり、久美子の成長が1年間で著しかったということです。ちょっと意外な感じもするのですが、「1」の最初の方ってけっこうギャグ的な描写が多いんですよね。それがだんだんシリアスになってくる。まるで、久美子の真剣さ度合いとマッチしていくかのようですね。
もちろん成長していくのは久美子だけじゃなく、北宇治高校吹奏楽部も成長・進化していくわけです。しかし、その成長・進化の過程で出てくる練習の描写は、「1」のサンフェスの前くらいで、あとはなにか画期的な練習をしているわけではなく、地道な合奏を積み重ねているだけのような印象を受けます。でも、実際のリアルの吹奏楽部もきっとそんなもので、別に「○○養成ギブス」とかいう特殊器具が出てくるわけでなし、山の断崖絶壁で逆さ釣りになってバッティング練習をするわけでなし、これもまた「リアリティ」の一面なんだろうと思います。
うっかりすると練習風景の部分が地味なものですから、特に「2」の方は、演奏とは関係ないギスギスの部分が解決されていく様子だけが印象に残ってしまい、「これってバンド全体の進化と関係ないじゃん」と思った方も多いと思います。
でも私は思うんですよ。こうしたギスギスが少なければ少ないほど、そして一丸となって演奏できる雰囲気が作られることで、そのバンドはいい演奏ができるんです。でもそれって本当に大変なことで、特に吹奏楽団って、根本的構造からして「一丸となる」ことが困難なのだろうと思うんですよね。だからこそ、そこに「指導者の資質」って問われるし、そんな点からも、「吹奏楽コンクールは実は指導者コンクールである」という私の持論にも繋がってしまうんですけどね。・・・で、今回はそんな話をしてみましょう。題して「吹奏楽はメンタルスポーツである」、これをテーマに持論を展開してみたいと思います。
また私の経験談から話をしてみます。私が中学生の時の吹奏楽部は、それはそれはひどいところでした。それでも県大会で銀賞は確実に取っており、私の入部前と卒業後にはダメ金(上位の大会に進めない金賞)を取りましたから、決して下手なバンドではありませんでした。でも、内部のギスギスはものすごかったのです。
それでも、私が2年生になったころまでは、ちょっと生意気だと人気の来ないところに1人で呼び出されると先輩たち十数人が待ち構えていて、泣きべそをかくまで罵詈雑言を浴びせられるという程度で済んでいました・・・、ってこれでもう十分にひどいんですが。それでも、ちゃんと先輩は後輩に楽器演奏の指導をしていたし、顧問の先生に対する信頼関係も表面的には崩れていなかったのです。それを一気に崩したのが、顧問がその年の夏のコンクールにおいて、「金賞を取るため」を理由として、3年生でも容赦なくコンクールメンバーから外すということを行ったからだ、と私は思っています。
これはかなりの波紋を呼びました(余談ですが、「かけだすモナカ」のレビューの中で紹介した、私が暗殺されそうになったエピソードはこの時期の話です)。上手い2年生がコンクールメンバーに選ばれ、下手な3年生は突然「明日から来なくていいよ」と突き放される・・・。それだけでかなりショッキングな光景だったのですが、それだけではありませんでした。
その年のコンクールメンバーから外された3年生の中に、コントラバスをやっている先輩が2人いました。その2人は2年生の時にはコンクールに出ていたのに、3年生になったのに「出なくていい」と言われてしまったのです。その時のコントラバスの構成は、3年生が2人、2年生が0人、1年生が2人。1年生は最初からコンクールメンバーに加えないことになっていたのでこちらは考慮しなくて良いのですが、この年はコントラバスがいない状態でコンクールに挑むことになってしまったわけで、つまりは「その程度の腕前だったら、うちのバンドにコントラバスは要らない」となってしまったわけです。
つまりは、同じパートに上手な後輩がいれば、先輩のコンクール出場を拒むことになるのはもちろんのこと、違うパートであっても上手い後輩がいれば、これまた先輩のコンクール出場は拒まれてしまうことになるわけです。もっと言ってしまえば、「上手い後輩がいれば、違うパートであっても早めに潰しておかないと、自分の立場が危うくなる」ということです。
この雰囲気を直接にくみ取ったのが、2年生だった私たちの代でした。私たちが2年生については、先輩を押しのけてコンクールに出た者がいた反面、それでも約半数がコンクールに出られなかった。だからその非・コンクール組の大半(全て女性部員でした)は、次の年に3年生になったときにまたコンクールに出られなくなるのではないかと、異様なくらいに恐れをなしていました。
その結果、過酷だった後輩イジメはさらに後輩潰しへと発展してきました。先輩が後輩の指導をしないなんてのはもう当たり前。同級生同士の潰し合いはこれまた日常茶飯事。しかもこれが同じ楽器・パートならまだしも、他のパートの後輩潰しにまで発展する始末。木管楽器をまとめていた部の副部長(女性・クラリネット)まで同級生につるし上げられ潰されて、木管楽器全体はもちろんのこと、クラリネットパートの指導までできなくなった・・・。それはもうひどかったですね。
そしてコンクールまで2ヶ月と迫った頃、ついにこの不満分子たちは、顧問に対しても反旗を翻しました。「今年は3年生であってもコンクールメンバーから落とされない」ことを顧問に約束させるために、立てこもり事件を起こしたのです。顧問がその立てこもっている教室に一人乗り込み事態を解決させたので、その外にいた私は顧問がなにを彼女たちに話したかはわかりません。でもきっと「コンクールに無条件に出させる」という言質を顧問から取ったから、彼女たちは立てこもりをやめたのだろうと推測しています。
こんな状態だったから、その年のコンクールはそれはひどい演奏でした。それでも県大会銀賞を取ったのだからある一定のレベルはキープしていたと思うのですが、しかしながらこの年に関して言えば、「金賞を取れるかもしれない」などという期待は最初から皆無。「銀賞」のコールを聞いて、悔しがるどころかホッとしたのが実感でした。このとき、つくづく実感したのは、「ああ、仲の悪いバンドってのは上手くなれないんだな」ということでした。
私はこの時、いざこざを起こした不満分子たちが全て女性だったことから、これらの原因は「思春期女子特有のイライラ」みたいなものが原因だろうと思っていました。さらに、「吹奏楽部の女子は性格が悪い」という印象をしっかり私の心に植え付けました。だから、「男ばっかりの世界」だったらこんなこととは無縁だろうと考えていました。
そして高校入学。私が進学したのは男子校だったので、この先、こんな事態に巻き込まれることはないだろうな、とたかをくくっていたのですが・・・、甘かったですね。{/netabare}
いったんここで切りましょう。以下、続きます。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その5:吹奏楽はメンタルスポーツである(2)-
{netabare} 私が高校時代に所属していた吹奏楽部は、中学時代に比べるとそれはそれは緩いところでした。進学校だったのであまり部活を厳しくしちゃうと部員の大半がやめてしまうというのが実際だったのだろうと思うのですが、極端なことを言えば夏休みだけマジメに練習していればいいくらいのところでした。だから私なんぞは真剣にスキー部と掛け持ちをしようかと考えたくらいでしたから。
1年、2年とのびのび楽しく練習し、それでも練習効率のよさと外部指導者の的確な指導で、2年とも銀賞、しかも、金賞まであとちょっとで手が届くくらいのところまでたどり着いていました。自由だったから、私自身もこの頃ロックバンドでサックスを吹いたりしていました。この3年間でさほどは上手くはならなかったけれど、それはあくまで「吹奏楽的に」という限定範囲でのこと。いろんな経験もできたし、なにより楽しくて仕方ありませんでした。
ところが、私たちが3年生になるときに、その優秀な外部指導者が辞任し、指揮者が不在になってしまうという大変な事態に巻き込まれてしまいました。
この時に手をさしのべてくれたのがT先生という他校の音楽の先生でした。T先生は名門M高校の顧問をこの前年度まで勤めており、そこでそこそこの実績は残していたのですが、それまで全国大会常連校だったM高校を全国大会に連れて行くことはできず、本人の希望半分、責任を取るのが半分で、吹奏楽部のない学校に異動になっていたのです。そのT先生が、私たちの高校の指揮者を引き受けてくれると言ってくれたのです。
T先生のM高時代の噂話は、M高に進んだ中学時代の同級生から聞かされていました。曰く、「鬼」である、と。
T先生が指導をすると言うことに関して県の吹奏楽連盟から横やりが入ったりするなどしていろいろとすったもんだはあったのですが、それでも正式にT先生が指揮をしてくれることになり、T先生の指導が本格化していきました。実際に指導を受けてみるとT先生は確かに厳しかったけれど、「鬼」というほどでもなく(・・・そうだなぁ。滝先生くらいかなぁ・・・。じゃあ「悪魔」か?)、とはいえこの前年までの緩んだ雰囲気よりはかなり部内も引き締まり、ああ、これは生涯初の金賞が取れるかな?と期待できるところまではいったのだと思います。
・・・しかし、私たち生徒がそう思っていても、この前年まで「鬼」と呼ばれるまで厳しい指導をしていたT先生にとって、今まで緩い練習をしてきた私たちが音楽に挑む姿勢は不十分、不満足なものだったようです。夏休みに入り、部活が本格化してきた頃、それは一気に顕在化しました。一部の生徒、特に1・2年生が遅刻を繰り返していたのです。そしてコンクールの前日、一部の生徒が性懲りもなく遅刻を繰り返したことにT先生が激怒し、「明日のコンクールはもう指揮をしない」と言い残して帰宅してしまう、という事件が発生したのです。
T先生は私たちのバンドが「部員一同が気持ちの上で一丸になる」ことを望んでいました。でもなれなかった。そのことに関してT先生は怒ったわけです。その怒りは遅刻を繰り返していた生徒たちだけではなく、遅刻をしていなくても、遅刻を繰り返す他の生徒をいましめられなかった私たちにも向けられていました。その当時はそれが残念でならなかったのですが、今にして思えば、もうこれが最後のコンクールであり、夏休みの受験勉強を返上して背水の陣で挑んでいる3年生と、この間入学・入部したばかりで右も左もさしてわからない1年生が、あるいは、コンクールで難しいソロを吹くトランペット1stのプレイヤーと、あまり難しくもなく目立ちもしないフレーズを2~3人で吹いているクラリネット3rdのプレイヤーが、同じテンションでコンクールに挑めるかというと、それはかなり難しいことなんだろうと思うのです。ましてやT先生は私たちの高校の先生ではなかったし、「部員一同一丸となって」なんてのは非常にハードルの高いことだったように思うのです。
しかしT先生はそれを望み、私たちはそれを果たせなかったのはまぎれもない事実。とりあえず部長をはじめとする部員の選抜部隊が先生の自宅に謝りに行き、その日の夕方にはT先生も機嫌を直してコンクールの指揮をしてくれることになった。いやいや、これで心置きなく今年のコンクールはいい演奏ができそうだ、とこの日は思ったですが・・・。
ああ、甘かった。本当に甘かった。先生も機嫌を直したとはいえ、まだわだかまりを残していたのでしょうね。それが演奏に出てしまったのです。
・・・その日のコンクールでの演奏、なんとT先生は指揮を間違え、課題曲が止まってしまったのです。
・・・それでも銅賞にはならず銀賞が取れたのですから、そこそこの演奏はできたのだろうと思います。でも、音楽をやる上で、指導者とプレイヤーの信頼関係というものがここまで大事なんだと言うことを嫌と言うほど思い知らされた一件ではありました。いや、私にとっては、プレイヤー同士の信頼関係の欠如から中学時代に一度煮え湯を飲まされていましたから、全く同じとは言わないまでも、似たような轍を踏んでしまった、と言うべきでしょう。{/netabare}
・・・ふう、またしても長くなりました。ここでいったん切りましょう。
【長文注意】「響け!ユーフォニアム2」の感想-その6:吹奏楽はメンタルスポーツである(3)-
さて、前置きが長くなりましたが、「響け!ユーフォニアム」の話に戻りましょう。
{netabare} 私は、自分の経験から、「吹奏楽はメンタルスポーツである」と思っています。もちろん演奏技術も大事ではありますが、それ以上に「団結」が大事。だから、指導者がいかにバンド内をまとめるかが非常に重要です。「1」のレビューにも書きましたが、「お前らは絵の具だ。濁りのない音を出せ。オレがそれで絵を描く」と言った某有名指導者の言葉は、非常にムカツクものでありつつも、認めざるを得ないと思っています。
そしてこの「響け!ユーフォニアム」の「1」と「2」を通してみた時、やはりこのストーリーの中心になっているのは「人間関係をどうやって(再)構築していくか」というのがテーマであって、これが「1」「2」を通じて通奏低音のように流れていたように思うのです。この人間関係の構築に指導者が果たす役割は非常に大きいのですが、それでも指導者一人でなんとかなるものではない。教師と生徒の間には超えられない壁がどうしてもあるでしょうから、部員同士で解決できるものは解決していかなくてはいけない。そんな中において、主役の黄前久美子が果たしてきた役割はかなり大きかったと思うのです。
「1」「2」を通じて、久美子が向き合った人間関係は、だいたい以下のような感じでしょうか?
(1)高坂麗奈と自分の関係を構築した
公式では「引力」となっていますが、あがた祭りの夜をきっかけに2人が親密になったことは、後述するように実は北宇治高校吹奏楽部躍進の原動力になったかもしれません。
・・・ところで、2人の間の「引力」が中学時代に作用しなかったのはなぜ?2人の通っていた中学校は無重力だった?
(2)潰されそうな麗奈を全力で支えた
「1」における久美子の最大貢献だったかもしれません。おそらく久美子が麗奈とデレなければ、もとい、心理的に支えなければ、麗奈は1年生でソロを吹くことに関しての周囲からの圧力で、府大会前に潰されていたように思います。孤高の人、麗奈は、久美子なくしては単なる孤独だったのかもしれません。もし麗奈が潰されてしまったていたら、「三日月の舞」のソロは香織先輩が吹くことになり、それでも高校生にしてはいい演奏をしたはずですが、少なくとも麗奈が吹いた方がよかったのは目に見えています。
府大会以降の「2」においても久美子は麗奈を支え続けました。もっとも、滝先生の亡くなった奥さんをめぐるエピソードにおいては麗奈を怒らせ掛けましたが、でもそれをちゃんと収集させたのは、麗奈自身のセルフコントロールもさることながら、久美子自身が成長した証だったのかもしれません。「1」の、とりわけ前半の久美子だったらそれにきちんと向き合おうとせず、麗奈が怒ったところでどこかに逃げ出していたと思います。
(3)希美先輩とみぞれ先輩の仲直りの橋渡しをした
この件に関しては最大の貢献者はデカリボンこと優子先輩なのですが、でも久美子の貢献もそれなりに大きかったのではないでしょうか。結果、みぞれ先輩はオーボエのソロをちゃんと感情を込めて吹けるようになり、そのことが北宇治高校吹奏楽部の全国大会進出に繋がった、それが言い過ぎなら、少なくともその原動力の一つに加えることができた、とも言えるわけです。もっとも、久美子にとってはこの一件を通してのあすか先輩の冷たい反応から、彼女に対する底知れない恐ろしさがさらに広がったように思うのですが・・・。
(4)退部寸前のあすか先輩を部に呼び戻した
これは関西大会突破以降の話ですから、仮にあすか先輩が戻ってこなくても全国大会銅賞という結果は変わらなかったはずです。ただし、あすかがいない編成で全国大会に出場したとしたら、例えば部長の晴香先輩、香織先輩は全国大会の舞台で演奏しても楽しくはなかったでしょうね。あすかは、久美子の熱い説得を受けてもまったく変化した様子が見られなくて、相変わらず厚い仮面をかぶり続けていましたが、それでも久美子の存在はあすかに大きな影響を与えたのではないでしょうか。特に、あすか先輩が部に戻れたのは、あすか自身が頑張って模擬試験で全国30位以内という成績を残したからなのかもしれませんが、その頑張りの原動力に久美子の存在があったと、私は信じております。
・・・こうやってみると、久美子の果たした役割って大きいんですよね。もともとがギスギスしてしまうのが根本的性質である吹奏楽の中においては、よくやったのだろうと思います。このあたりさすがに主役ですね。
とはいえ、上手くいかなかったこともありましたね。幼なじみでもある葵先輩の退部を止められなかったことは、本人の意思も固く仕方なかったこととは言え、久美子も後々まで相当引きずったのではないでしょうか?
また、秀一と葉月の板挟みになったことも転び方によってはちょっとヒヤヒヤものでした。葉月がもっと根に持つタイプだったりすると、久美子の秀一に対するそっけない態度ですから「ムカツク原因」になり、そのことが思わぬ人間関係のギスギスにつながったかもしれません。葉月がさっぱりとした竹を割ったような性格であったこと、自分の気持ちにちゃんと線引きができる娘であったことがなにより幸いでした。
性格に助けられたといえば、夏紀先輩もそうでしたね。久美子は中学時代の嫌な思い出が甦ってきていたようですが、前述のとおりコンクール出場の「下克上」で過去に恐ろしい経験をした私にとっても、1年生の久美子がコンクールメンバーに選ばれ、2年生の夏紀が落とされるというのは、過去のトラウマを呼び起こされるような展開でありました。もっとも私のそれは中学時代のことであり、もう高校生だった夏紀なら、自分と久美子の腕前およびそのバックにある経験年数などを冷静に見つめることができたのでしょうけれど、さらにそれに加えて、夏紀も葉月同様に彼女がさっぱりとした竹を割ったような性格であったこと、自分の気持ちにちゃんと線引きができる娘であったことがよかったのだと思います。
・・・ん、夏紀も葉月も、中学時代は吹奏楽部経験者じゃないんだよね。ははあ、そういうことか・・・(謎)。
いずれにしても、黄前久美子が北宇治高校吹奏楽部発展に影ながら果たした役割は非常に大きかったと思うのです。私の過去の苦い経験から御理解いただけるかと思いますが、やはり吹奏楽はメンタルスポーツなのです。楽器の性質や置かれた立場が違うのに、「全員一丸となる」という命題に挑み、そしてそれが成し遂げられたときにいい演奏ができ、そしてそれをコンクールの場で競い合う、といった性質の音楽なのです。当然、「一丸となる」ことに近づけなければいい演奏はできないし、また、「一丸となる」ことを拒むことで脱落する者も出てくるという、厳しい競争社会でもあるのです。
だから、私の身の回りにも実際のところ「吹奏楽部に所属していたけれど、当時のことは思い出したくもない」という人はかなり多いです。また、コンクールでそれなりにいい成績を収めていても、そこで燃え尽きてしまい、社会人になる頃には音楽の道から離れていってしまう人もたくさんいます(というか、それが大多数です)。
そうやって考えると、吹奏楽が日本の管楽器文化を大きく支えてきたことは間違いない事実であろうと思いますが、その功罪における罪の部分もまた大きかったように感じています。
ここはあくまでアニメのレビューを語るところなので、これ以上その話題に踏み込みことはしませんが、私自身が吹奏楽をきっかけに音楽を始めて、大学1年生の冬以降は吹奏楽から足を洗ったにもかかわらず、なぜかこの年までずっと音楽を続けてこられたこともあいまって、「吹奏楽とは何か?」とずっと考えて続けていたように思います。
時には吹奏楽に対してかなりネガティブな見方をしたこともありましたが、でも今回この「響け!ユーフォニアム」という作品と出会ったことにより、また新たな発見がたくさんあったようにも思います。
そんなことからもこの「響け!ユーフォニアム」には感謝、感謝ですね。{/netabare}