デリダ さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
文明後退した未来のSFアニメの傑作です。
原作は小説とは知ってたけど、ここまでよく出来た世界は初めてです。
同世代作品もそうそうたる面々で、サイコパス、ヨルムンガンド、ジョジョ
ガルパン、リトバスと近年稀に見る豊作期だったのでしょうか。
私個人としてはこの作品、名作同世代の中でも群を抜いて評価しています。
でも逆にこの作品が放送している時には見ていなかったので
完全なダークホースとして私の中に刻まれました。
しかしこのぶっ飛んだ設定をよくここまで
リアリティを持って作り上げられたと感嘆しました。
しかしそもそもこんな世界観はアニメでしか表現が難しく思われますが。
一度現代の文明がある出来事により荒廃し
数世紀過ぎた先の世界で物語が始まります。
この世界に生まれた主人公である少女の成長とともに
この世界の成り立ち、秘密のベールが剥がれていきます。
あらわになる残酷な真実と、出会い別れる人々の想いや思惑
そんな一瞬で表情を変える世界の温度や、あかりの届かない暗がりへの漠然とした恐怖感、
登場人物の感情を多彩に映し出す機微、動きへの力の入れ方等々、、、
小説を読むだけでは想像し難かったこの世界を本当によく描き切ってくれてると感じました。
バトルアニメではないし作画はもちろん崩壊よくしているんですけどね。
そんなことが気にならなくなるほど練りこまれたキャラクターを見事に描いてくれている。
やっぱり絵の単純な上手さでアニメの価値が上がるわけなんじゃないんだなと思いました。
おそらく低予算な中でここまでの視覚効果と演出力は見事でした。
一話ごとの構成、特に各話の冒頭、一気に引き込まれます。
物語の後半に至るに連れシリアスになるストーリーと合わせ
視聴者を引き込む映像が切り替わるテンポ、
タイトルロゴのタイミング、次につながる各話の区切る部分
等々一流の映画を見てるかのような技術の高さを思い知らされました。
映像としてのテクニックは常に高水準を保ってると言っても全く問題はないように思い起こされます。
そして物語こんなに穏やかで悲しくなるアニメはそんなにないです。
アニメにする意義も大いにある、なかなかない作品。
こういう作品こそ有名になって欲しい。
あまりにも残酷な世界で切なく美しい物語でした。
{netabare}
僕はスクィーラ肯定派なんですよね。
でもまあ間違ってる間違ってないなんて一義的な話じゃないんですけどね、、、
どっか別のサイトでスクィーラディスを散見したので
思わず言ってしまいたくなってしまいました、、、
誰も死にたくないし親族どころか種族そのものが機嫌一つ
(バケネズミからはどう采配が下されるかもわからない、そんなふうに目に映っても仕方ない)
で殺されるような状況下にあったら義憤にもかられるでしょう。
奇狼丸が奴隷根性かと言えばそんな侮蔑される言い方をされるような人格でもありませんし。
そもそも主人公側が人で人vsバケネズミという端的な構図が作られていますが、
少なからず遺伝子的に言えば人もボノボの遺伝子操作を受けていますし、
純粋進化としてのヒトの延長線上にいるとは必ずしも言えません。
これは程度の問題であって、どちらも私たち視聴者たる現在のヒトが持つ倫理観と
同じものを持ち合わせているというのは言い難いというのが
この場におけるひとつの回答なのではないでしょうか。
(反論としては遺伝子が自然進化の先として違っていても、いなくても
そもそも倫理観というものは先天的なものではないからして
私の主張の担保にはなりえない、そして同時に完璧な否定もできないかもしれません。
いわゆる相関関係であって因果関係として論拠たりえないのではないか、という話ですが
ですが少なからず人間という生命の構造の上に社会構造ひいては倫理観や
社会規範や道徳観は精製されてるのもまた事実なので、
そうしたところがこのアニメの中盤におとずれた同性愛描写にも繋がってるようにも感じます。
現代は同性愛を容認する傾向があるが新世界よりの世界では
成長過程の慣例のようにすら描かれています。
これは決定的な違いでしょう。
この先私たち人類ほぼ全てが個体成熟する過程で通過儀式として同性愛を経験し
子孫を残すという目的のために両性愛だが子孫のための共同体として
異性を選ぶことが当たり前になる世界になるとは
あまり想像し難いので。
あ、これは決して同性愛を非難しているわけではないです。)
ということで倫理観というものについても普遍性は何ら持ち合わせているものではあらず
ヒトの史実の中でも地域、時代によって全く違う様相を映しています。
そんなこんなで見た目さえ違えばスクィーラの方が
よほど人類史の中に類似点を見つけることができる気がします。
歴史が語る革命家や英雄はああした資質を持ち合わせているようにすら感じますね。
だからこそスクィーラは最後失敗したという一点のみが私の間違いだった。
というような内容の発言をしたようにも感じました。
革命家や英雄は成功しなければのちの歴史にその栄光を語ってもらえはしないですしね。
いいとこテロリストか重大な犯罪者の汚名がやっとのところでしょう。
愧死機構に呪力を持たない人間が引っかからないようになるまで遺伝子操作をされた
成れの果てがバケネズミであり、ある意味一方的に貶められたように描かれていますが
ある意味貶めるというのは語弊があると思っていて愧死機構が機能しないほど
バケネズミだけが人と離れただけでなく、人もまた姿形はそのまま人類であっても
中身はとっくに何か別の化物になってしまってバケネズミと同じように
人から随分遠のいてしまっていたんではないでしょうか。
これは逆にむしろ双方人類であるとも言えますが。
個人的には人、バケネズミどちらか一方がではなく、お互いが痛みを背負って道を探っていくしかないと思いますが。
というよりこういう回答しか、バケネズミという存在を人々が必要とする以上最終的に出しようがないとも言えるでしょう。
人は変われないというよりも生物の本質はそうやすやすと変わりえないというものでありましょうか、まさしく業ですね。
物語の主軸となる設定の悪鬼や業魔はその一部分が表面化したものでしかないようにも思います。
人類がスクィーラに下した裁きはより作品としての重みを与えてくれたと思います。
長々個人的なことを書いてしまいました、すみません。
{/netabare}