renton000 さんの感想・評価
4.8
物語 : 4.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
姉の心妹知らず? その2
テレビシリーズ全13話かな?
相変わらず高い完成度を維持していますよね。でも、第1期よりはちょっとパワーダウンしているかも。
第12話まで視聴済みです。第11話終了時に書いた内容をベースに、要所で加筆しました。
第2期の話:{netabare}
第2期は人物間のトラブルが中心ですよね。順に挙げると、みぞれ先輩問題、お姉ちゃん問題、あすか先輩問題、レイナ問題が発生しました。この中でどれが一番大事かと言うと、あすか先輩問題ですよね。その理由は、第2期第1話のオープニングがあすか先輩問題だからです。
第1話は、冬空の下で久美子がノートを抱えているところから始まっています。このノートについてはしばらくの間明かされませんでしたが、とうとう第9話で答えが出てきました。第9話はあすか先輩の家に行く回です。このノートは、あすか先輩があすかパパから貰ったものなんですね。中身はあの曲の楽譜です。
第1話と第9話に基づく話なのでネタバレではないと思いますが、第2期の最終回は、あすか先輩の引退(卒業)と久美子があすか先輩からノートを受け取るシーンになりますよね。これがないと第1話のオープニングで描かれている「冬」と「ノート」につながりませんから。
ということは、第2期は、お父さんから受け継いだものを久美子に託す、というあすか先輩から久美子へのバトンタッチのストーリーだ、と言えますよね。第1話のオープニングも、おそらく最終話のエンディングも、あすか先輩がらみのイベントなわけですから、第2期の中心はあすか先輩なんです。
以上は全話の構成から考えたものですが、内容的にもあすか先輩が中心にいますよね。
第2期の主題は、第1期で説明し続けてきた「特別」の修正です。第1期では孤立主義的「特別」を描いていましたが、第2期ではこれを修正して協調主義的「特別」へとシフトしました。これを簡単にですが検討してみます。
第1話の花火大会で、レイナはのぞみ先輩を批判していますよね。周りを気にして逃げ出すような甘い考え方では「特別」にはなれない、と言っています。このとき久美子は、「レイナだね(=その考え方はレイナっぽい)」と返していました。このやや排他的で利己主義的な考え方が、第1期の中心にあった孤立主義的「特別」ですね。
これを引き継いでいるのが第7話にあるあすか先輩のセリフ「相変わらず黄前ちゃんは黄前ちゃんだね」ですよね。「レイナだね」は、「相変わらずレイナはレイナだね」ということですから、二つのセリフはリンクされています。また、あすか先輩のセリフは、彼女の不在にも動じなかった久美子に宛てたもので、それについて「褒めているよ」と言っています。この時点でのあすか先輩はまだ孤立主義的「特別」を信奉していますから、他人の私情に動じなかった久美子を褒めているんですね。
このセリフが第9話の川沿いのシーンに至って、「黄前ちゃんはユーフォっぽいね」に変化しました。このセリフの真意は伝わりにくいですが、おそらく、「黄前ちゃんだね」という個人のみを評したものから、「ユーフォっぽいね」という吹奏楽の中の役割を評したものに変わった、ということですよね。孤立的志向から離れて、人間関係を重視する協調的志向へと移ったってことです。
第1期のあすか先輩は、孤立主義的「特別」の体現者ですよね。自分の個人練は絶対に他人に見せず、他人の私情を「どうでもいい」と言い切る。レイナよりも高いレベルで孤立主義的「特別」を実践していたんです。そして、久美子はレイナの影響を受けて、この孤立主義的「特別」を目指していました。これが第1期の話です。
一方、第2期は、この最前線にいたあすか先輩が協調主義的「特別」に変わってしまう話なんです。第1期のテーマから逸脱して、新たなテーマを背負ったのがあすか先輩です。だから、あすか先輩が第2期の中心なんです。
で、あすか先輩問題解決に至るステップとして、みぞれ先輩問題とお姉ちゃん問題が置かれています。
以下、みぞれ先輩問題とお姉ちゃん問題とあすか先輩問題のそれぞれを見ていくんですが、その前に演出の話を。
{/netabare}
第2期の舞台演出:{netabare}
ユーフォの特徴の一つに、主題と舞台演出がリンクしていることが挙げられますよね。
第1期の舞台演出の中心は、高低差でした。
揉め事のある学校を見下ろす高台とか、祭りの群衆から離れた山の上とか、空に近い練習場所とか。高みを目指すレイナを実際に高いところに配置して、そこへ一緒に向かう久美子やそこから下りてしまった香織先輩が描かれていました。
この高低差は、実際の舞台(場所)によって演出されているので、舞台演出と言えます。この舞台演出が「より高いところへ」という第1期の主題、すなわち、孤立主義的「特別」とリンクしていました。
ですが、第2期ではこの高低差演出がほとんどなくなってしまいました。そして、高低差演出の代わりに新たな舞台演出が登場しています。並列演出です。
前述のとおり、第2期には様々な人間関係のトラブルが発生します。そして、個々の問題の解決シーンでは、トラブルの生じた二人を並列させる構図が作られているんですね。具体的には、お姉ちゃん問題のキッチン、あすか先輩問題の川の土手、レイナ問題のダム近くの橋の上などです。これらのシーンでは、久美子と対象者が横並びの状況を作っていますよね。
高低差(上下)を作るのではなくて、並列(横並び)を作る。これが、孤立主義的「特別」から協調主義的「特別」へのシフト、第1期から第2期への舞台演出の変化だと考えています。
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おまけ①アニメにおける並列:{netabare}
そもそも、今のアニメでは、具体的には被写界深度が浅めのアニメではということですが、人物間の共感を描くシーンでは並列させていますよね。並列させないと、どちらかがボケてしまうからです。
例えば、画面の左下手前にAさんが、右上奥にBさんが映っているとしますよね。被写界深度が浅いと、Aさんにピントを合わせるとBさんがボケてしまい、Bさんにピントを合わせるとAさんがボケてしまいます。このボケ具合が、そのままAさんとBさんの心理的な距離感になっている、という話は他のレビューでも述べてきました。
で、二人の人物が共感を得る山場のシーンでは、一方の満足顔がくっきりと映っていて他方の満足顔がボケてしまっている、とはやりたくないですよね。それだと「二人が共感を得たんだ!」というカタルシスが弱くなってしまいますから。ですから、クライマックスのシーンでは、両者の満足顔を同時に画面内に入れる構図が作られているんです。これは、両者をカメラから等距離の位置に配置すれば達成できます。カメラから等距離、すなわち、並列です。
このピント演出にフレームの概念を入れて、具体的に確認してみます。第1期から。
久美子とレイナの友人関係の進展は、電車を舞台として描かれていましたよね。電車と自転車という別の経路を採っていた二人が、隣の車両、近くの席、隣の席へと変化していきました。
電車を使う久美子と自転車を使うレイナは、同一フレーム内には収められません。ピント以前のフレームの問題です。友人関係が全く構築できていない状況にあったということです。
二人が電車を使うようになり、やっと同一フレーム内に収められるようになります。ですが、位置関係が隣の車両だと、一方にピントを合わせたら他方はかなりボケてしまいますよね。これがあまり仲良くない状況です。
ここから近くの席に移ることでボケがかなり解消されて、隣の席に座ることでボケが一切なくなりました。隣の席に座っている二人を正面から撮ったのが並列です。ストーリー上は、ここで久美子とレイナの友人関係が成立していました。
つまり、電車と自転車、隣の車両、近くの席、隣の席という関係性の進展は、フレーム外、ボケ強、ボケ弱、ボケなし、という流れに置き換えて考えることができるってことです。
ここまでしっかりと作られていると、演出を見るだけでも人間関係を把握することができるんです。「フレーム外だから全然仲良くないな」から「ボケなしで並列されたからすごく仲がいいんだな」とカメラ演出だけで関係性を追えるんです。
で、前述した舞台演出と言うのは、ただ並列される状況を言っているのではありません。並列せざるを得ない状況が、舞台によって作られている、という話です。
一番わかりやすいのは、お姉ちゃん問題解決時のキッチンです。細長いキッチンでは、久美子とお姉ちゃんは並列せざるを得ません。第1期の高低差演出のように、舞台だけを見てもその状況が分かってしまう、という話です。
では、フレーム・ピント・並列に注目して、それぞれの問題を見ていきます。
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みぞれ先輩問題:{netabare}
みぞれ先輩問題の山場は第4話ですね。逃走したみぞれ先輩が、教卓に隠れるところからです。このみぞれ先輩問題では、フレーム演出が中心となっています。
最初にみぞれ先輩を発見したのは久美子でした。でも、久美子とみぞれ先輩の会話のシーンでは、この二人の顔が同じフレームには一切入らないんですね。この二人の顔が同じフレームに入るためには、久美子がしゃがむか、みぞれ先輩が立たなきゃいけないんですが、久美子はしゃがまないし、みぞれ先輩を立たすこともできません。二人が会話をしている長い時間、みぞれ先輩の回想を挟みながら、ただ二人を交互に映しているだけです。これは、みぞれ先輩を説得できない久美子と、久美子に心を閉ざしているみぞれ先輩という互いに踏み込めない関係性が、演出に出ているのだと思われます。
この隔離された二人のフレームをぶち壊してくれたのがリボンちゃんです。リボンちゃんは、登場するや否や久美子フレームに乱入し、そのまましゃがみ込んでみぞれフレームにも介入します。そして、ここから光と影の演出を経由して、最終的にはみぞれ先輩とのぞみ先輩が並列されることになりました。
この一連のシーンは、みぞれ先輩問題における個々の役割がよく出ていますよね。最後まで蚊帳の外だった久美子、他人になかなか心を開かないみぞれ先輩、人間関係を仲介できるリボンちゃん、最後に共感を得たみぞれ先輩とのぞみ先輩。
人物特性と演出がマッチした良いシーンだと思います。
ちなみに、このみぞれ先輩問題における並列は、私は舞台演出としての並列演出には含めていません。広い教室を並列するための舞台と言うには、ちょっと弱すぎるからです。また、ここでの並列はみぞれ先輩とのぞみ先輩であって、久美子は関係ありません。ですから、演出上もワンランク落としているんじゃないのかな?と考えています。
で、リアルタイムで見ているときは、このみぞれ先輩問題ってストーリー上必要なの?と訝しんでいました。
このときはまだ孤立主義的「特別」から協調主義的「特別」へのシフトが行われていませんでしたから、ストーリー上浮いているように見えていたんですね。でも、あすか先輩問題が解決した今となっては、やっぱり必要だったのだと確信します。
みぞれ先輩は、誰よりも早くに学校へ来て練習をしています。当初はこの姿勢がみぞれ先輩の孤立主義的「特別」につながるものと考えていたんですが、そうではありませんでした。みぞれ先輩が頑張っていたのは、音楽を続けることが友人関係の構築につながると考えていたからです。そして、友人関係を回復して、みぞれ先輩は「特別」な上手さを獲得しました。
あすか先輩問題から振り返ってみると、このエピソードは孤立主義的「特別」の否定のためのエピソードなんですよね。みぞれ先輩は、友人関係だけをひたすらに願い、それだけであんなに上手くなった。つまり、別に孤立主義じゃなくても上手くなれるよね、という話なんです。これが第1期の「特別」を否定し、また、あすか先輩の孤立主義の否定にもつながるんです。
あすか先輩問題解決のために不可欠な最初のステップ、それがみぞれ先輩問題でした。
{/netabare}
お姉ちゃん問題:{netabare}
私の第1期のレビューは、人物の相対的評価が中心でした。その中で受験を理由に部活を辞めたあおいちゃんとお姉ちゃんを取り上げ、久美子が両者に見せる態度の違いからお姉ちゃん問題が勃発するだろう、と書きました。
つまり、久美子とお姉ちゃんのすれ違いは、第1期のころからずっとなんですね。第2期でもこのすれ違いが構図に表れています。立っているところとベッドに寝ているところとか、廊下ですれ違うところとか、ダイニングとリビングとか。この二人は同じ家という狭い空間にいるのに、全く並列しないんですね。ピントが合わないまま時間だけが過ぎていました。
このお姉ちゃん問題が解決されるのが第10話のキッチンシーンです。このキッチンシーンでは、久美子とお姉ちゃんが横並びで作業を続けています。ここへ来て、やっと並列されたんです。このキッチンシーン自体が、第1期から続いてきた久美子とお姉ちゃんのすれ違いを解消する舞台になっていた、というのは前述のとおりです。そして、この解決をもたらしてくれたのは、もちろんお姉ちゃんの方からですね。久美子と並べる舞台に来てくれた、というお姉ちゃんからの歩み寄りです。お姉ちゃんは「両親と仲直りするため」と言っていますが、久美子とも仲直りしようとしていたんです。これは、全国大会にわざわざ足を運んでくれていることからも分かります。
で、お姉ちゃん問題とあすか先輩問題は、非常に関連性が高いですよね。
この二つの問題はほぼ同時期に発生し、お姉ちゃん問題がちょっと進むとあすか先輩問題もちょっと進み、お姉ちゃん問題が解決するとあすか先輩問題も解決する、というように、同時進行していくんです。
そして、より注目しなければいけないのはその中身です。お姉ちゃん問題は、第1期と第2期に共通するテーマ、「特別」とは全く関係がありませんよね。あくまでも、久美子が見る人間関係という視点に終始しているんです。
お姉ちゃんは久美子のあこがれの人です。その憧れの人が親の意向によって夢をあきらめてしまった。これがお姉ちゃん問題の中心ですよね。また、あすか先輩は久美子のあこがれの人です。その憧れの人が親の意向によって夢をあきらめそうだ。この二つの親和性によって、久美子はあすか先輩とお姉ちゃんを重ねて見る様になっていきます。このレビューで細かなストーリー考察はやりませんが、この二つの問題はワンセットですよね。
そして、このお姉ちゃん問題の解決が、久美子にあすか先輩問題を解決する示唆を与えてくれました。
あすか先輩は、同級生からも「特別」と言われるほど「特別」でした。そして、あすか先輩もその「特別」を演じ切ろうとしていました。でも、久美子は、そんなあすか先輩にお姉ちゃんを投影したんです。まるでお姉ちゃんを見るかのように、あすか先輩を「特別」視するのはやめたんです。
あすか先輩問題解決のために不可欠な第二のステップ、それがお姉ちゃん問題でした。
{/netabare}
あすか先輩問題:{netabare}
あすか先輩問題には、二つの山場がありますよね。一つ目が第9話の川沿いのシーンで、二つ目が第10話の渡り廊下のシーンです。第9話のシーンが最初に並列されるところなんですが、ここでは省略します。
第10話の渡り廊下のシーンなんですけど、ここではフレームとピントの両方の演出を使っていますよね。基本的には久美子とあすか先輩の立ち位置がズレているためピントが合わず、二人が並列したときにも顔だけは同じフレーム内に入りません。
このシーンであすか先輩が責めている「久美子はみぞれ先輩問題のときにも踏み込まなかった」というのは、みぞれ先輩のフレームに介入しなかった久美子のことですよね。ストーリー上は久美子はずいぶん頑張っていたようにも見えますから、「踏み込まなかった」と言い切るのは少し乱暴なようにも思えます。でも、みぞれ先輩問題の演出から考えれば、やはり久美子は「踏み込めていなかった」んです。
そして、痛いところを突かれてしまった久美子を助けてくれたのが、お姉ちゃん問題ですね。ここで久美子は思いの丈をぶちまけて、「踏み込み」ます。参考動画→<https://www.youtube.com/watch?v=o_m5HqbAMjg>
│←久美子 │ 24秒の「先輩こそなんで大人ぶるんですか!」のところ。踏み込んで左寄りになる久美子。
│ あすか→│ これがその次の「自分だけが特別だと思い込んで!」のところ。極端に右寄りなあすか先輩。
この二つのカットはワンセットですから、併せるとこうなります。
│←久美子 あすか→│ これが、あすか先輩に対して思いっきり「踏み込んだ」久美子の図です。
その後、「ただの高校生なのに!」とあすか先輩を「特別」扱いしなかった久美子は、歩み寄ってくれたあすか先輩と並列します(1分38秒から。並列は1分42秒。これより前では並列シーンなし)。これは、久美子が踏み込んでくれたから、あすか先輩が歩み寄れた、ということですね。そして、最後には二人そろって顔に光が当たることになりました(動画内最終カットの直後。なぜ省いたし)。
みぞれ先輩問題とお姉ちゃん問題をステップにして、やっとあすか先輩問題が解決したのです。
で、私が思うあすか先輩問題のハイライトは、第3話です。合宿の朝、久美子があすか先輩の個人練を見るところです。
第1期のレビューから散々述べてきたように、あすか先輩は個人練を全く見せてくれなかったんですね。これは、個人のことを周りに見せないあすか先輩の孤立主義の説明でもあったし、この孤立主義が生むあすか先輩の「特別」感でもあったんです。
でも、第2期第3話に来てやっと、あすか先輩が個人練の様子を久美子に見せてくれたんです。この意義は大きいですよね。これによって、あすか先輩問題が始まることが分かったし、その解決に久美子が寄与することも伝わってきました。
そして、この第3話のシーンが第11話の廊下のシーンに紐づいていましたよね。
なつき先輩「うれしいです。先輩のかっこ悪いところ、ほとんど見たことがなかったから」
あすか先輩「なつき、よく見ておきなよ。明日からもうこんな姿見られないから」
合宿朝のあすか先輩の個人練は、久美子がうっかり見てしまっただけなんですよね。でも、第10話のあすか先輩問題の解消をもって、あすか先輩はみんなに個人練を見せるようになったんです。もちろん、ここでのなつき先輩とあすか先輩は並列されています。あすか先輩の孤立主義が消滅したってことです。これがあすか先輩の成長と言わず、何と言えるのか。
あすか先輩問題は、第1期が丸ごとフラグで、第2期第3話がスタートの合図です。だから、第3話がとても大事。あすか先輩問題のハイライトなんですから、もちろん第2期のハイライトにも入ると思います。
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おまけ②ワンマンストーリーテラーみどりちゃんその2:{netabare}
第1期のレビューで「ワンマンストーリーテラーみどりちゃん」というのを書いているんですけど、みどりちゃんはこの作品の中では別格の扱いなんですね。第1期の屋台骨感はやや薄まりましたが、第2期では役割がちょっと多すぎました。
例えば、合宿中の食事ではしゃぐシーンが2回出てきます。このとき久美子はみぞれ先輩問題に振り回されていましたから、合宿を楽しんでいるシーンが出て来ないんですね。でも、みどりちゃんを見ていれば、みんなが合宿を楽しんでいるのは伝わってきます。みどりちゃんは周りの雰囲気を代弁する役割を負っていました。
他には、第1話でアイスを落とし、葉月ちゃんの「3秒ルール!」を引き出す手腕です。レイナも、久美子がかき氷を落としたときに「3秒ルール!」と言ってましたよね。これは、レイナがみどりちゃんや葉月ちゃんが作る仲良し感(普通の友達)にあこがれているからですよね。つまり、友人関係のベース作りをやっているのがみどりちゃん(と葉月ちゃん)なんです。
また、他校の名前や花言葉が出たときです。がっつり解説してくれるみどりちゃん。
さらには、みどりちゃんの演奏の実力です。第1話で、滝先生は「香織先輩やあすか先輩の実力は強豪校に劣らず、そこへレイナやみどりちゃんが入ってきてくれた」と勝因を語っています。滝先生をして、レイナに並ぶと言わしめているのがみどりちゃんなんですね。
果ては、久美子と秀一の恋の後押しまでやっています。
全体の雰囲気を代弁し、友人関係のベースを作り、解説役もこなし、演奏の実力はハンパなくて、他人の恋の手助けまでしてしまう。他の等身大のキャラたちに比べて、みどりちゃんだけは万能感がすごいです。完全無欠と言ってもいいくらいです。ワンマン「ストーリーテラー」ではなくなりましたけど、やっぱり「ワンマン」ではあったように思えます。この辺がちょっとやりすぎに見えました。
とはいえ、かわいいは正義!なので、すべて許されるんですけどね。
{/netabare}
おわりに:{netabare}
現在第11話が終わったところですから、あと2話ですかね。
残されているのは、全国大会でのレイナ&滝先生のイベントとあすか先輩&あすかパパのイベント、全国大会が終わってからのあすか先輩の卒業&ノート渡しくらいかな。あと2話ならこれでぴったりな気がしますね。
と書いていたら、第12話が来てしまいました。レイナ&滝先生のイベントは思っていたより強烈で、あすか先輩&あすかパパのイベントは思っていたよりもあっさりでした。個人的なハイライトは、久美子フレームに自分から入っていったみぞれ先輩ですかね。成長が見て取れてうれしかったです。
これで残されたイベントは、卒業&ノート渡しだけになってしまいました。
レビュー冒頭で書いた「ちょっとパワーダウンしている」っていうのは、ストーリーと演出のバランスですね。第1期よりもややストーリーの進行が速く感じるんですよね。その分演出が割を食ってしまったような気がします。
並列演出についても、やや持ち上げすぎてしまったかもしれません。上で述べたように、ピントを合わせるために並列させるというのは、今のアニメスタイルでは基本中の基本ですよね。別にユーフォ独自のものではありません。私は、第1期に舞台演出が使われていたので、これも舞台演出なのかな?という安易な考えで同一視しましたが、これを定番のピント合わせだと捉えれば演出が減っているようにも見えますからね。
あと、光と並列のパターンが多すぎました。並列されてから顔に光が当たる、顔に光が当たってから並列される。山場のシーンはほぼこのパターンなんですよね。第12話の久美子とお姉ちゃんのシーンもこれです。マンネリと言われても仕方ないかもしれません。
全体的な完成度は他作品と比べても高いほうですから、文句があるわけではないんですけどね。
最終回が楽しみです。{/netabare}