雀犬 さんの感想・評価
3.2
物語 : 2.0
作画 : 4.0
声優 : 3.0
音楽 : 4.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
主題を失いただの雰囲気アニメになっている
完結前にアニメ化してしまったのが失敗だったんじゃないでしょうか。
小学生編がないことで人物関係が分かりづらくなり、
高校生編がないことでテーマが見えなくなっています。
作画は頑張って原作の雰囲気を出すことに成功しているけど、
本来はセクシャル・マイノリティを扱った作品なのに
これでは思春期のモヤモヤを表現しただけの雰囲気アニメです。
{netabare}
アニメの最終回で「二鳥君は特別な男の子ではない」「私たちはみんな特別な存在」という禅問答のようなやり取りがあります。
これを見て登場人物の異性装志向は思春期の一時の心の揺れであり、
この先は普通の男の子・女の子として周囲に溶け込んでいくのだと視聴者は思います。
ラストで修一が拒んでいた声変わりを受け入れることでその印象は決定的なものになります。
しかし原作の高校生編で、
学校にセーラー服で来てあれ程ひどい目にあったのだからもうやらないだろうと思っていた女装にまたもや修一は手を出します。
身体は男らしくなって徐々に周囲の目を誤魔化せなくなってきているのにも関わらず、です。
そして最後に自分探しの末に出した結論は
「自分は女の子の恰好をしたい男の子ではなく、女子になりたい男の子」
というもの。
つまり、修一は本当に性同一障害者だったのです。
アニメを見て感じる修一とマコちゃんに対する嫌悪感はある意味正常な感覚で、
マコちゃんも実はゲイだと原作を最後まで読めばわかります。
嫌悪感の正体は、彼らに対する生理的な拒否反応です。
二鳥くんと高槻さん、「女の子になりたい男の子」と「男の子になりたい女の子」が同じ学校にいるというのはある種の奇跡です。
しかし運命の二人が結ばれるというロマンスは原作では用意されていません。
なぜなら高槻さんは「女の子の恰好をしたくない女の子」であり、
その差は成長とともに埋められないものとなり、恋は終わってしまいます。
二人の恋の結末の悲痛さをもって、見る者に性的マイノリティの苦悩を考えさせる作品が放浪息子だったといえます。
{/netabare}
懐かしさだけではなく、つらさを感じさせるものでなければ
この作品をアニメ化した意味がないと思う。
青春アニメなんて他にいくらでもあるのですから。
予定調和で締めたアニメ版は残念ながら失敗作だと思います。