ポロム さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
気持ちを伝える方法は声だけじゃない。人の本当の気持ちも本当に大切なこともきっと目に見えないし、聞こえないのかもしれない。
原作は未読です
題名の”聲の形”の「聲」という字は、声と手と耳が合わさっている。
”気持ちを伝える方法は声だけじゃない”という意味を込めて「聲」にしたとか。
映画の上映前のCMで見かけて、これは重い内容だろうなと思い中々観るのに勇気が入った。
一人で観に行こうとしたら風邪をひいてしまい、延期していた時に思い切って友達に声をかけてみると好反応だったので一緒に観に行きました。
聴覚の障がいといじめ、人間関係、そして恋。
2時間にぎゅっと濃縮されています。
映画館で席を見渡すと、年齢層は様々でカップルもそこそこいて、小学校低学年位の女の子達もポップコーンを手に持って座っていました。
上映する劇場が少ないせいか、人気なのか座席がいっぱいだったので事前に良い席のチケットを取ってて良かったなという印象です。
作画はさすが京アニだなと思う程に素晴らしい。
繊細で一つ一つが心に突き刺さります。個人的に好きなのは雨の描写と涙の書き方。
感想
{netabare}The WhoのMy Generationから始まるイケイケ悪ガキ3匹のOPから心は掴まれましたが、前半のいじめ描写から頭をずっと両手で抱えてしまいました。
補聴器って、めちゃくちゃ高いんだぞ・・新聞広告で値段見たぞ・・というくらい補聴器が壊され、耳から血を流すシーンは”取り返しのつかない事をした”という感じが伝わりゾワッとしました。
石田母が補聴器代170万を持って謝罪に行くシーンで
血みどろで戻ってきて耳のピアスが引きちぎられている部分を見て、
いつか、自分の息子や娘が出来たとして、今までなかったとしても自分が、家族がいつ、いじめる側、いじめられる側になるかわからないと、思いました。
個人的に西宮母が印象に残っています。生い立ち等はwikiを見ないと分かりづらいですが、せめて他の子のように普通に学校に通わせたいという気持ちと、陰湿ないじめを受けているのは薄々感じていてもいつまでもそばにいることは出来ないから、なるべく本人が解決できるように関わらなかったのだろう。仮にお腹痛めて産んだ自分の娘があんな風にいじめられたらすかさずお礼参り(色んな意味で)でしょうね。
自分の娘をいじめた(あの教師が押し付けたのとクラスメイトも悪いですが、)将也が再度関わってくるのと、家でBirthdayケーキ作ってたら嫌というか、なんかヤクでも混ぜたのではないか・・とかよく知らないからこそ疑いますよね・・・。
以前よりやつれた雰囲気とぶっきらぼうながらも、自分の子には弱い姿を見せない母の姿として共感しました。
後に将也の事を受け入れて、自殺騒動で今度は石田母に謝りに行き、いつの間にか仲良くなってサロンで髪を切って貰ってる姿がシュールというか・・(笑)
ブロッコリーみたいな髪型の永束くんがめちゃイイキャラしてて
見てて思わず フッと笑ってしまいましたが、私が笑うと釣られるのか上映会場中笑ってましたw
中には、”あるシーン”で遠くの端の方の席かな?
驚きすぎたのかポップコーンごと落としてました。
観終わった後、一人じゃなくて友達と来て良かったなと思い、
観ながら自分の過去を思い出しとても辛くなってしまいました。
初めて一緒にお出かけした職場が一緒の中学同郷の友達。
中学時代はグループ抗争や私の家庭の事情で学校に行かない時期が多くすれ違ってしまった。
こうして一緒に過ごせたのが嬉しくて、でも映画は重く辛い内容だったね。だけど一緒に観れて良かったねと席で語り合いながら
パーっと気分転換にメシでも行こうか!とお互いの昔話に花を咲かせていました。
{/netabare}
恋愛
{netabare} いじめた相手(いじめられた相手)を好きになることはありえるのだろうか。
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生々しく、良くも悪くも人間らしいキャラクター達から”人は鏡”と見せつけられ、貴方ならどうするのか?と疑問符を投げかけられたかのような気持ちです。
正直、もう一度観たいか?と聞かれたら頭を抱えてしまいます。
感動したか?面白いか?と聞かれたら、確かに感情移入して涙が出る場面はあるけれど、娯楽映画ではないと言います。
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今も、「君に、生きるのを手伝ってほしい」と言うフレーズを心の中で振り返っています。
気持ちを伝える方法は声だけじゃない。人の本当の気持ちも本当に大切なこともきっと目に見えないし、聞こえないのかもしれない。
それでも、寄り添ってみたいな。
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