ヤマザキ さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ものすごいものを観てしまったのかも?(2016/11/06 追記しました)
2016/11/06、追記しました。一番下にあります。
【2016/10/02】ファーストインプレッション
ええ、また行きましたよ。「まどマギ叛逆」「心が叫びたがっているんだ」「ガルパン」「君の名は。」に続いて、またしてもオッサンが性懲りもなくボッチで。・・・で、泣かされてきました。いやあ、泣いたわ、泣かされたわ。
つーわけで、思ったことをつらつらと書き連ねます。長文ご注意でお願いします。
最初に結論を言ってしまうと、すごくよかったです。自分の中では「まどマギ叛逆」に匹敵するくらい。でも「叛逆」がどうしても前作の予備知識が必要であるのに対し、この「聲の形」は直接映画館に行ってもほとんど問題なし!実際、私も原作未読で、ほとんど何の予備知識もなく行ってとてつもなく感動したくらいですから。
ただ、これも最初のうちに言っておきますが、非常に微妙な要素を持った作品であることも間違いないです。「障害者」に対する「いじめ」をここまで直接的に描いた作品が今まであったか?・・・きっとないですよね。おそらくはタブーすれすれだったと思います。それを敢えてマンガとして書き切った原作者、そしてこの映画を企画して制作した多くの人たち、本当にスゴイと思います。心から感謝を伝えたいと思います。「ありがとう」。
さて、その「障害者」に対する「いじめ」ですが、非常に残酷な話ではありますが、子どもの世界ではよくあることです。実際私も子どもの頃を思い出すにつけて、その手のエピソードは枚挙にいとまがありません。積極的にいじめに参加する者、積極的ではないにせよ傍観することで間接的に手を貸す者、そしてそれに逆らおうとして敵を多く作ってしまう者・・・。この作品で言うと、順に植野、川井、佐原ですね。まずはこの3人の脇役から語ってみましょう。
まず植野は「積極的にいじめに参加する者」です。そして、高校生になってもそれがブレてないのは、そしてそれがあまり嫌な印象になってないのは、むしろすごい。彼女のブレなさを見ていると理不尽と思えるようなイジメですら、合理的に物事を考えた結果なんだろうと思えてきて、そのプラグマティックな思想はある種の小気味よさまで感じるから不思議です。もしかすると、この作品の登場人物の中で最も正論を吐ける人物かもしれません。
(・・・ところで、植野さん。ボク、あなたにそっくりな秋山なんとかさんという人と高坂なんとかさんという人を知っているんですが、ボソボソ。)
続いて川井。「傍観することで間接的に手を貸す者」。さらには自分がそうであったことを数年が経って忘れている。それどころか、むしろ「仲良くしていた」「親切にしてあげていた」と本心で思っている。人って、自分の都合の悪い記憶って無自覚のうちに改ざんできるそうで、彼女なんかも典型的なこれですよね。「天然」って言っていいのかもしれませんが、でも、誰でもありそうなことです。でもそれ故に罪深いのかなとも思います。今まで生きてきた中でこれに似たことを、気づいていないだけで自分もやってきたんだろうな、と思うと心が痛くなりますね。
最後に佐原。「理不尽なイジメに逆らおうとして敵を多く作ってしまう者」。設定では小学校卒業まで不登校に陥ってしまったとのことですが、これもまた致し方ないことと思います。きっと、目の前の硝子と周囲とのアンバランス、ジレンマから、精神的にかなり追い詰められたんでしょうね。そんな彼女のことを「精神的に弱い」って言える人はおそらくいないんじゃないかなと思います。もっとも、そんな佐原であっても、親切にしておきながら硝子の前から消えてしまうのは、それは硝子にとって酷というもの。耳が聞こえなくとも、硝子には佐原が不登校に陥った原因がなんとなくわかるんじゃないでしょうかね?だとすれば、あくまで「結果的」ですが、佐原もまた硝子を傷つけ、追い詰めることに一役買ってしまったことになります。
この3人3様の、「硝子への対応」。なんか上手くできていますよね。全員が全員、ある種の罪深さを持っている。でもこれは、結局この作品を見た人の心のどこかにあるものなんだろうと思うんですよ。誰もが自分の中にいる植野、川井、佐原のどれか(1つとは限りません)に行き当たるのではないでしょうか?なんというか、「人とのしての業の深さ」を感じます。
次に、主人公の2人を見てみましょう。まず将也。小学生の時には悪ガキだったのが、硝子へのイジメの責任を一人で負うハメに追いやられ、スクールカーストの最下層でもがく孤独な高校生。たしかに小学生の時の悪ガキっぷりは目に余るものではあるし、また、「因果応報」ではあるのですが、それでもそこまで追い詰められる姿は心を抉ります。これもまた理不尽な姿ではあるんですよね。でも、そんな状況に追い込まれ贖罪の日々を送ったからこそ、彼なりに得るものが大きかったように思います。冒頭で自殺を図っておりましたが、未遂に終わってよかったねぇ。さらには一時期死線をさまよっていましたが、死ななくてよかったねぇ。「人の痛みを知る」ってのは簡単にはできないこと。でも彼はそれができる。それができる人は、自ら死を選んじゃいかんです。早死にしちゃいかんです。
次、硝子。聴覚障害者ながら積極的に友だちを作ろうとするも、あえなく挫折しました。でも、だからこそ、そんな辛い思いを何度もしてきているから彼女もまた人の痛みを知ることのできることができた。小学校時代のエピソードで、自分をいじめた張本人である将也が一転いじめられる立場となり、その机を拭いてあげている描写がありました。
高校生になった彼女が、小学生の時のいじめの張本人である将也のことを好きになるのはおかしい、不自然だという指摘もありましたが、私はこの段階で、すでにそのお膳立ては整っていたのだと思っています。きっと彼女は、障害を持っているが故に、「痛み」が何か知っているが故に、他人の痛みにも敏感だったのではないでしょうか。将也がいじめられる立場に転落したときに、彼の痛みを理解し、そして自分と同じ立ち位置にいる、さらには、彼も人の痛みを知ることのできる人になれると理解したのではないでしょうか。その直後のとっくみあいのケンカが、それを表していると思います。もし自分と違う立ち位置の人だと思ったら、そんなことはしないと思うんですよね。もともとが愛想笑い体質で、なにかあれば身を引いてしまう彼女の、唯一のバイオレンスな対応なので、そんな風に解釈しました。
登場人物からアプローチしましたが、ストーリーもよく練り上げられています。序盤から何度も涙があふれました。永束、いい奴だなぁ。キャラデザ的にはお笑いっぽいですが、この作品の中で一番の人格者、性格イケメン。人間がよくできている。一見するといじめられっ子みたいな彼が、将也の自転車を探し出してきたときに、1回目の涙腺崩壊。結弦はちょっとウザいキャラクターだけど、ストーリーを動かす上でなくてはならない原動力。その結弦が慕うおばあちゃんの告別式で2度目の涙腺崩壊。以後、ほとんど泣きっぱなし。ああ、ハンカチ持っていってよかったわぁ。
これまた賛否両論ある(どちらかというと否定論の強い)「硝子の自殺未遂」についても触れておきたいです。自殺そのものがよくないことであることは言うまでもありません。でも、自分が原因で将也が仲間たちをいっぺんに拒絶した、橋の上でのあの瞬間を目の当たりにした硝子にとって、おそらくは「自分の『罪深さ』(本当はまったく罪深くないと思うんだけど、植野あたりに言わせればそうなんだろうなぁ)」を自覚し、それがあのような行動に結びついたのだろうと思います。もっともその橋の上での出来事も単なるトリガーに過ぎなくて、ずっと彼女の中に鬱積していたんだろうと思いますけれどもね(植野の言動を見ていると、そのあたりが理解できるような気がします)。
・・・もっともだからといって自殺がいいわけじゃないですよ。何の解決にもなりません。硝子が死ななくてよかった。死んでいたら、周囲の人たちに取り返しのつかない心の傷をつけていたはずですからね。
作画はもう文句なし。さすがの京アニ、そしてその本気のレベル。音楽は作中特に印象に残る曲があったわけではありませんが、それだけストーリーに没頭していた、あるいはBGMが作品を邪魔してなかったということかもしれません。ただ、エンドロールのaikoは蛇足。もともとaikoが嫌いな私ですが、今回のこの作品については本当にEDがあったことを恨んだくらいです。残念ですがaiko起用のこの1件で、音楽の点を☆半分、減らせていただきます。
本当に語り出すとキリのない作品です。間違いなく自分の中では過去に見たアニメ作品の中で五指に入るものだと思います。もちろんこの夏直接対決となった「君の名は。」より上位に位置します。
Blu-rayの購入は自分の中で内定、あと、原作本購入もこれまた決定。あと、できることならば、上映が終わらないうちにもう2~3度、映画館に足を運びたいですね。
全ての人にオススメできる、現代の日本のアニメの最高峰だと思います。是非観てください!
【2016/11/06】追記
一昨日、2度目の鑑賞に行きました。1回目の視聴との間に原作(全7巻+公式ファンブック)を読んだ上での感想となります。
やはり多くの原作既読者が指摘するとおり、「ダイジェスト感」が生まれますね。例えば冒頭、{netabare}島田たちと帰宅する将也がHAIR MAKE ISHIDAの店内を通り過ぎるシーン、たしかにアタマに葉っぱを乗せた硝子がいます。これは原作にもありますが、この時の硝子は転校前にいじめられてずぶ濡れになり、その足でこの店に髪を切りに来た、という設定だったわけです{/netabare}。でも、それはこの映画の中で必要なシーンだったかというと、決してそういうわけではなかったと思います。なんというか、そこまで原作既読者に配慮しなくてもいいじゃん、という気になってしまい、思わず苦笑してしまいました。
その一方で、{netabare}原作にはあった「映画づくり」の話はばっさりカット、文化祭以降の話も{/netabare}ばっさりカット。{netabare}「映画づくり」の話は必要だったかと言われればそうとも言い切れず(でもおかげで真柴くんは割を食ってしまいましたね)、また、映画ラストの文化祭で賑わう人たちの顔から全て×マークが取れるというアニメ的には美味しいところをラストに持っていったという判断は大英断だったと思うのですが(映画でカットされた成人式までのストーリーもすごくいいんですけどね)、それでも{/netabare}この映画は120分という長い映画になってしまった。だから、本当に欲を言えばなんですが、原作既読者も「上手くまとめたなぁ」と唸るような、大胆なカットをしてほしかったんですよね。
この作品に限りませんが、とかくマンガ原作のものをアニメ化すると評判が悪いです。情報量的にどうしてもカットせざるを得ないところが出てくる。でも、動かないキャラが動く。声を出さないキャラが声を出す(今回の硝子の場合、本当に素晴らしかった!)。個人的にはそれで満足するところが大きいです。だからこそ敢えての苦言になりますが、もうほとんどの原作既読者から「あれがない。これがない」と言われるのは仕方ないんだから、アニメとしての魅力を伝えることにもう少し力を入れて頑張って欲しいと、そんなことを感じました。
ちなみに2度目は泣かなかったな。原作を読んじゃったからかな?