Lovin さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 3.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
いろんな感じ方が出来た作品
■情報{netabare}
原作:大今良時
監督:山田尚子
脚本:吉田玲子
キャラクターデザイン:西屋太志
制作:京都アニメーション
話数:全129分
主題歌:「恋をしたのは」
by aiko
{/netabare}
■感想
知識:原作漫画未読(読み切り漫画は既読だがかなり忘れていた)
鑑賞:映画館
概要:全力型コミュニケーション系
設定:イジメっ子だった少年は・・・
見所
2016/09/27に2回目の鑑賞の結果、1回目の鑑賞の際には貰えなかった小冊子を
2回目の鑑賞の際には貰えたので読んだ結果、感想が微妙に変わったので更新しておく。
□西宮硝子編{netabare}
1.先ず最初に、こんな言い回しを使うのは初めてだと思うが、
惜しむらくはエンドロールでaikoの歌を聴かねばならなかったことだった。
作中BGMとして流れていたかもしれないことに気付かなかったのがせめてもの救い。
2.毒を吐いたところで劇場で気が付いたことを書いておく。
レイトショーで観る予定が諸事情で平日の夕方上映となったのだが、
料金的に所謂子供に区分されそうな年齢層が観ていた事に驚いた。
願わくば作品の設定等は理解しておいて欲しかったが、真相は不明である。
3.では次に、私が本編を観るに至った経緯を書いてみる(以下は私事)。
{netabare}読み切りは週刊少年マガジンの編集長だかがTwitterで煽っていたので、
それまで購入したことの無い同誌に手を出すことになった。
暫くして連載がスタートする話は聞いたが、購入する習慣がなかったので読まなかった。
そして京都アニメーションが劇場版を制作、監督は山田尚子と聞き少し不安だったが、
劇場版のたまこは意外に評判が良かったので少しだけ期待することにした。{/netabare}
4.この作品の受け取り方は人によって変わってくると思う。
この漫画作品自体の知名度は知らないが、話題作だから観た、
TVでCMをやっていたから観た、という方々も劇場には居たと思う。
私の場合は、全力でコミュニケーションをとろうとしていた
西宮硝子を読み切り漫画で読んだから観た、と言うのが正しい。
何故それがこの作品を観る理由になるのかと言うと、私の受けた教育にある(以下は私事)。
{netabare}私は事ある毎に田舎出身と語っているが、その田舎で受けた道徳教育は、
教育テレビ(現ETV)で放送している番組を観るのではなく、体験型の授業が多かった。
サリドマイド被害者の映画を観たりしたこともあった。
なので実際に知的障がい者と一緒に山登り(ハイキング)をしたりした。
そしてクラスの多くがふざけたりする中、私は真面目に授業に取り組んだ。
更に今はもう無い実家(長屋)の隣には、軽度な知的障がい者が住んでいた。
西宮硝子と同じく喋り方に特徴があり、当時は理解できなかった。
会話自体が少なかったのもあると思うが、理解しようとする努力が足りなかったのだろう。{/netabare}
健常者と呼ばれる人の中にも特徴的な喋り方で聴き取り難い単語を発する人は居る。
だから私は、一寸真面目な観方をして小難しく考える方向に捕らえた。
そういう経験から西宮硝子の気持ちがわかる、などと軽々しい主張をしたいわけではない。
わかるのは、その西宮硝子を追い込んだことに囚われている主人公の気持ちだ。
5.読み切り漫画の登場時に西宮硝子は筆談用のノートを見せて主張している。
「耳が聞こえません。このノートを通じて皆と仲良くなりたい。」と。
耳が聞こえないということは、喋ることにもハンデを背負っていると言うこと。
正に西宮硝子がそのとき出来得る全力のコミュニケーションが筆談だった。
だが小学生レベルでは理解し難いし、まして手話など出来るはずもない。
この作品では出会いのあった小学校時代も若干ながら描写されるが、
読み切り漫画では余り印象の無かった理解者達が高校生となって登場する。
彼女達がもう少し西宮硝子に寄り添っていてあげられればと思うが、求める相手は小学生だ。
6.そして徹底的に西宮硝子を嫌うヤツも、所謂ギャルっぽくなって登場する。
このキャラについては色んな意味で多くを語りたくは無いが、重要なキャラではある。
7.そして後半このキャラの発言に起因するのかどうかは解釈次第だが、
あの逞しく生きているように見えた西宮硝子がとんでもない事件を起こす。
その気持ちに関しては理解できるのだが、あれは選んではいけない選択だった。
8.あとTVCMでも一部流れている特長的な描写について、
私は少し思い違いをしていたのだが、当たらずとも遠からずだった。
9.何かもうあらすじを書きたくなってきたのでこれで終るが、
真面目に観た私からすると、真面目に観るならその価値は十分にあると思う。
考えさせられることも多いし、何より少し鈍臭い普通の女の子である(母親談)。
知的障がいがあるわけでもなく、単純に耳が聞こえないだけの女の子である。
確かに主人公に渡したアレが一体何なのか最初は全く理解できなかったが、
そういう個性を持った一人の女の子なのである(アレは花壇に挿すものらしい)。
硝子たそ萌え~みたいな邪な観方をされるのも自由だとは思うが、
どうせなら偶には真面目な観方をすることを強くお奨めする。{/netabare}
□主人公編{netabare}
1.先ず最初に、こんな言い回しを使うのは2回目だと思うが、
惜しむらくはエンドロールでaikoの歌を聴かねばならなかったことだった。
作中BGMとして流れていたかもしれないことに気付かなかったのがせめてもの救い。
2.主人公はかつて、取り返しのつかない過ちを犯していた。
しかしそれは、自分がその立場におかれるときがくるまで気付くことはできず、
母親の姿をみてようやく背負う十字架の重さに気付かされることになる。
そして以前はヤンチャだった少年は以降、その姿をすっかり影に潜めてしまう。
3.その十字架はクラスの総意を代弁する形で背負うことになるのだが、
そこはやはり小学生で残酷極まりなく、主人公は次第に周囲から浮きはじめ、
かつて一緒にヤンチャしていた仲間達も離れてゆき、やがて孤立する。
しかし主人公はそれが自分の業の深さだと言わんばかりに無抵抗で受け入れる。
この心境については私も同じなのか非常に理解できてしまう。
許しを請う先のない罪の贖罪をしないと自分で自分を許せないのだと思う。
しかしそのとき幼かった主人公に出来た表現は結局アレしかなかったのだ。
4.そういう日々の中で、主人公も選んではいけない選択をしてしまう。
結局成し遂げることは出来なかったうえ、異変に気付いた母親に諦めるよう諭される。
タイミングを失ったような描写だったが、個人的には主人公自身も拒否していたのだと思う。
5.だが順調に過ごしているように見えても、事ある毎に自分を罰する性格は直らなかった。
自分がそういう気持ちになっても良いのか、禊はもう済んだのかと。
主人公が自分を追い込む気持ちは理解できるのだが、
私自身に置き換えたときどうすればよい方向に向かうのかは全くわからない。
この国は法治国家で、罪を犯してもそれを償えば許されるというのが基本的な考え方だ。
だが許しを請う先がない場合、それを許すのは自分自身である、と私は考える。
だからこの場合法的贖罪が終っても、自分自身への贖罪は一生続く、
一度背負ってしまった十字架は棺桶に入るまで背負い続ける、
またそうすることで自身を戒めることにもつながる、というのが私の考え方だ。
人間は間違いを犯す生き物である、だが超えてはいけない一線はある。
主人公は小学生だったとは言え、アレはその一線を超えてしまっていたと思う。
6.だから未だにああいう結末で本当によかったのか、少し疑問が残ってしまう。
結局独り悩んでいた主人公以外も何らかの負い目を感じていたのだと言うことだった。
だからあのような結末になったのだと言うことで私自身の気持ちは解決させているが、
主人公目線からの考え方は主人公に対する罵詈雑言しか浮かんでこない。
そんな考え方の私には、情けは人のためならずの諺の通り幸せは来ないのだろうが、
死刑廃止を訴えるような優しい日本人には主人公目線での見方もありなのだと思う。{/netabare}
□家族編{netabare}
1.先ず最初に、こんな言い回しを使うのは3回目だと思うが、
惜しむらくはエンドロールでaikoの歌を聴かねばならなかったことだった。
作中BGMとして流れていたかもしれないことに気付かなかったのがせめてもの救い。
2.2回目の鑑賞で入手した小冊子には、原作者書き下ろしの短編が収録されていた。
その書下ろしでは西宮硝子の母親が中心に描かれており、
西宮硝子が普通の学校に通うことになった経緯に通じる話だった。
3.先ず西宮硝子の家族構成は{netabare}、母親、祖母、妹との計4人暮らしで、
母親の職業は不明、祖母は隠居、妹は中学生(不登校)となる。
登場頻度で言えば妹が一番ではあるが、鍵となるのは家族全員{/netabare}である。
4.次に主人公の家族構成は{netabare}、母親、姉夫婦、姉夫婦の娘の計5人暮らしで、
姉夫婦の職業はわからないが、母親は美容室を経営して一家を支えている。
そして姉夫婦の一人娘がなかなかの味を見せてくれるのだが、
やはり鍵になるのは一家を支える肝っ玉かあさんの母親{/netabare}だ。
5.両家の家族構成を書いたのは、テーマがCLANNADと同じではないかと思ったからだ。
西宮家の母親は気丈で肝が据わっており、ある決意の元に西宮硝子を甘やかさない。
それを決意するに至ったと思しき理由は書き下ろしに描かれている。
だがそれは少し感情を抑え切れない危うい一面の裏返しでもあると思う。
そして件の妹は、私にCLANNADと同じテーマを感じさせたキャラの一人だ。
理由は3回目の登場シーンの妹の有様に疑問を感じたからだ。
{netabare}本人曰く「姉ちゃんと喧嘩した」だったが、それにしては余りにもぐったりしていた。
いくら喧嘩したとは言え、「めっ」みたいな怒り方をする西宮硝子が
総合格闘技の試合後と見間違えるほど妹を打ちのめすとは思えなかった。
しかも「家を飛び出した」らしいが、靴を履かずに飛び出すとも思えない。
あれは主人公が罪を感じている行為と同じことがあったからではないか、
そういう行為の被害者だから不登校になったのではないか、
そして連載にはそういう行為が描写されているのではないか、
そんな妹も実は酷く傷ついていて、姉と行動を共にすることで現実から逃げているのではと思った。{/netabare}
そう考えるとあの流れが自分の中で腑に落ちてしまうのだ。
6.雨の中黄昏る西宮硝子の妹を優しく迎え入れる主人公の母親は滅茶苦茶包容力がある。
更にわけ隔てなく接する純粋な姉夫婦の娘{netabare}、あんなことをされては食べないわけにはいかない{/netabare}。
主人公の母親も私にCLANNADと同じテーマを感じさせたキャラの一人だ。
{netabare}先ず主人公が小学校で起こした最初の事件、初動が実に早かった。
しかしその際に主人公の言い分もしっかり聞く姿勢を忘れない、
これは真っ直ぐな一本の太い芯を持っている人だと強く感じた。
次に西宮硝子が事件を起こした際、誰かに罪を着せるわけでもなく、
土下座する西宮硝子の母親に「また家の息子が硝子さんになにかしたんですよ」と発する。
我が子が生死の境を彷徨っていたのにそれは余りにも酷いんじゃね?ではなく、
それは西宮家に対する主人公の母親の計らいなのだと、
主人公の母親もまた主人公と同じ十字架を背負う覚悟を持っているのだと感じた。
更に西宮硝子の母親と西宮硝子を毛嫌いする少女とのガチバトルに割ってはいる精神力、
本当は我が子の心配で心労が募っている筈なのにそこまで配慮できる包容力、{/netabare}
声優ゆきのさつきの声が似合う非常に魅力的なキャラだと思う。
7.そんなこんなの結末で{netabare}主人公の母親が経営する美容室で髪を整える西宮硝子の母親。
時系列的にはこのシーンの前くらいに書き下ろしのエピソードがあったのではと想像するが、
西宮硝子の母親のこの行動を考えてみると、
出会い頭にエドモンド本田を凌駕しそうな張り手(ビンタ)を主人公に浴びせた人と、
我が子の負い目を共に背負っている人の和解を感じさせる。
また「姉ちゃんにきっかけを作って貰った」という西宮硝子の妹も再び登校を始める辺り、
主人公の幼い行為に影響を受けた二つの家族の歪の解消も感じさせる。
色んな受け取り方が出来る作品だと思うが、{/netabare}
この受け取り方が個人的には一番しっくり来ると感じた。
多少冗談めかした表現は、平常心を保ってレビュー出来ないくらい
色んな思いを廻らせてしまう作品だからだと解釈して欲しい。{/netabare}
■蛇足{netabare}
連載既読の知人曰く、
ポーチから月の辺りにある{netabare}
上野からのラブレターの{/netabare}シーンがカットされているらしく、
月に至る流れが不自然なのが不満らしい。
私もそのシーンはあったほうが西宮硝子らしさが出ると思う。
{/netabare}