「聲の形(アニメ映画)」

総合得点
88.4
感想・評価
1522
棚に入れた
7498
ランキング
115
★★★★★ 4.1 (1522)
物語
4.2
作画
4.3
声優
4.2
音楽
3.9
キャラ
4.1

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ネタバレ

退会済のユーザー さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

耳の聞こえない人の声とは

漫画と比べると漫画の方が好きだ。表情とか心理描写は漫画の方が優れていると感じた。

映画で良かった点は何か。音があること。ショウコの声はアニメでないとわからない。

耳が聞こえないと自分の声が聞こえないから調整ができない。抑揚が外れた、滑舌が悪い声になる。

小学生だったら、面白がって色々いたずらをするだろう。気持ち悪さというのは確かに感じる。

一番良かったシーンはショウコの身代りとなり、意識不明になった石田を見てウエノのがショウコに激昂するシーン。

ショウコの母がウエノを止めるためにウエノと平手の打ち合いになる。そこを止めたのは石田の母だった。

それに対してショウコは石田の母の足にすがりついて謝る。ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい。調子の外れた声で切実に訴える声に涙が出た。

自分への罪悪感と、石田への謝罪。そして石田を取り巻く人たちへの謝罪。この展開は漫画にはない。しかもアニメでしか表現できないショウコの声だった。

二回目を観たので追記します。

小学校の担任が何とも言えない嫌な感じを出している。ショウコいじめの犯人探しの発言は先生として、大人として良くないと感じた。まあ、何となくリアルだなと納得してしまったが。

ショウコの母親に謝りに行ったショウヤのお母さん。母親同士で話た後にショウヤに話かける場面で、耳から血が出ていることに気付いた。この後の展開の伏線になっているのに初見では気づかなかった。170万を貯めて返すだけの動機は、このシーンであると納得した。

ショウコが病院で何か言われ、部屋で落ち込んでいる場面。右耳を何度も抑えたり、離したりをしている。このシーン以降、ショウコの補聴器は片方となる。

二回目を見て、これは片方の聴力が完全に無くなり、補聴器をつけても意味の無い状況になったことを理解した。気づくべきだったが、初見ではスルーしてしまっていた。

ショウコのおばあちゃんの葬式の場面で、音に雑音が入っていて、音響の不具合かと初回は思っていたが違うことがわかった。

おばあちゃんの死でユズルの、そしてショウコの心が壊れそうなことを音で表現しようとしているのかもしれない。

あるいは、補聴器を付けたショウコの耳には補聴器の機械的な雑音が混じった音が聞こえるのかなと思った。

ショウコとショウヤが花火を見ている場面で、花火の音でコップのお茶に波紋ができている。音を波で表していて良い。つまり、花火の音は耳の聞こえないショウコでも、カラダ全体にくる振動で伝わっているということだ。

ショウコの自殺はなぜ花火の日だったのか?ショウコは何度も自殺を考えている。ユズルはそれをさせまいとして、動物の死骸の写真を見せて気持ち悪がらせていた。

ショウコの中に自分が他人を不幸にした出来事や人数を数えていて、それが石田の仲間たちを離散させる出来事で、限界を突破した。耐えきれなくなったのでは。

石田がみんなを吹っ飛ばした後に、石田が見たショウコは何とも言えない表情をしていた。これがトリガーだと思う。改めて思うと、ショウヤと同じことやってるなショウコは。

ウエノについて。好きなキャラクターなのだが、聲の形という物語では良い面でも悪い面でもストーリーの起点となっている。

小学校の時に、補聴器を始めてショウコから取り上げたのはウエノである。それに食いついたショウヤはエスカレートし、仲間からの離反といじめの道を辿る。これが無ければ、ショウヤはいじめが公にはならず、いじめられることもなかったかもしれない。

ショウヤへ急接近するウエノを見てショウコはどう思ったか。これが起点となって 月 の告白となる。ウエノがいなければ、ずっとうやむやだったかもしれない。

ウエノに関して言うと、好きなものに対しての対応が不器用すぎて報われない。見た目も良くて、頭も良くて、統率力もあるのに石田への想いは報われない。

逆に嫌いなものに対しては、意志を明確に示し、時には容赦なく引っ叩く。泣き寝入りなんかしない。物語を引っ掻き回すことで良くも悪くも物語は進んで行く。

逆にカワイは好きになれない。石田が言った オマエは自分が可愛いだけなんだよ というセリフはその通りだと思った。

カワイというキャラクターは計算であれをやっていると思っていたが、計算ではなく、素でああいうことをしてしまうキャラだと、声優さんのコメントで知って愕然とした。

引っ掻き回しているけど、計算できてるのはウエノだけで、石田の全体を把握しているのもウエノだけだ。頭の良い奴がもう一人いれば状況は変わっただろうに。

最後に石田の貼り付けたバッテンが剥がれていく。何となくエヴァのTV最終回を二回目では思い出した。おめでとう。という感じ。

ショウヤのお母さんについて。出来た母親だなと思う。ショウヤの自殺未遂も見抜いて、ショウコのショウヤへの行いも許して。この人がいるから、物語が安定してまとまっていると感じる。


3回目を観て追記

石田の抱える問題は他者を信頼してコミュニケーションを取ることが出来ないことだ。

石田はいじめたショウコとの関係が回復すれば、解決すると考えていた。しかし、ショウコはいじめのことで石田を恨んだりは小学生の頃からしていない。

だからこれを解決しても石田の問題は解決されない。

ではなぜ最後、石田の他者へのバッテンは剥がれたのか。

石田が他者を信頼すると決意したからだ。そのきっかけはショウコの飛び降り自殺を止めようとした時だ。

彼は自分のトラウマである他者を信頼を決意することと引き換えに、ショウコの命を助けることを願う。人生最大の度胸試しをする。

この出来事を通して、ショウヤは他者を信頼できず、自分の存在を自分自身で認められない苦しみは、死ぬほどの出来事ではないという考えに至った。それより好きな人が苦しんで、死を選んでしまうことの方が辛い。

ショウコの存在認識によって石田の抱えていた問題は相対的にどうでも良くなった。だから石田は生きるのを手伝って欲しいとショウコに告げる。

問題を遡ってみる。石田が問題を解決するためには、ショウコの自殺を止めなければならない。

ショウコの自殺は、石田の友人関係が吹っ飛ぶことで発動した。また、小学生のときは婆ちゃんという家族の中でのセーフティネットがいたが、二回目はいないから自殺は決行された。

石田の友人関係を吹っ飛ばすために、過去を知らない真柴がいじめを知ろうとし、川井が暴露。その上で植野の介入が必要。

植野を介入させるためには、川井の中継が必要。川井と関わるためには、佐原探しをする必要がある。

佐原探しはショウコとコイの餌やりをするようになる必要がある。コイの餌やりをするようになったのはナガツカがショウコを守るユズルを退けたからだ。

ナガツカがユズルを退けたのは、ショウヤの友人だからだ。ナガツカとショウヤが友人になるためにはチャリカツアゲを助ける必要がある。

遡ってみると。ショウコと会おうという行動を取っている。ナガツカのチャリカツアゲを助けた。この二つのショウヤの行動が問題解決の糸口になっている。

婆ちゃんがかけたユズルを心配する言葉について。
婆ちゃんはユズルがショウコの問題に関して肝心なところで無力であることを知っていた。

それは、ショウヤ入院後の植野の暴走と、母の暴走を止められなかったことが証明している。

だからそれを理解したユズルは苦しむと思って、ああいうやんわりとした忠告をしたのだと思う。

疑問が一つ。ショウコの夢の中でショウヤはバイバイと言い。それをきっかけにコイのいる橋へと向かう。なぜショウヤのいる病院に行かないのか。

それはショウヤの死を恐れて飛び出したからではないからだ。

ショウヤがもし目を覚ましても、ショウヤの関心の中に自分がもはや入らないことを想像し、恐れ、ショウヤが無くてはならない存在になっており、耐えきれなくて飛び出したのではないか。

だから、毎週火曜日にショウヤと会話したコイの橋に走って行った。

ショウヤの人間関係を復旧しようとショウコは奔走し、苦手な植野とも向き合うことに成功する。そこでショウコは気づく。自分が抱えていた問題が解決されたことに。

彼女の問題は、他者とのコミュニケーションを恐れ、それを行うことができないことだ。だから、意味のわからない笑顔で、ごめんなさいを繰り返していた。小学生のときはそれを打破しよう筆談ノートを試みるが失敗。でもそれが彼女の命をかけた挑戦だったから、池の中に入ってしまっても必ず取りに行く。

夢の中のショウヤは、なぜか最後に小学生の姿に戻りバイバイと言う。小学生のショウヤはショウコと積極的に関わり、自分の本音を引き出した存在だ。

ショウコは自分が他者とのコミュニケーションが取れていないから、小学生のショウヤはかまってくるのだと考えていたのではないか。

だから、彼女の問題が解決した今、ショウヤはショウコに関わる理由がなくなったと思った。火曜日のコイのエサやりの時間は二度と来ないと怖くなった。

でも、ショウコの中でショウヤは無くてはならない存在になっていた。こういうことではないか。

コメンタリーを観て

婆ちゃんの葬儀のとき、ショウコが小指で手話していることに気がついた。蝶々を指してるのかなと思っら、おばあちゃんという意味の手話だった。

ユズル役の碧さんが、キャラクターたちの言動を国家の外交戦略で例えていて面白いなと感じた。個人を一つの国家と見立てて、他人との関わり方を外交交渉と見ると規模が違うだけで本質的な問題をこの作品は扱っていると感じた。

投稿 : 2017/05/26
閲覧 : 261

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