TAKARU1996 さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
これは、世界の美しさを識る前の物語
「夜の愛し仔(スレイ・ベガ)」が語る、悲しく、切なく、そして温かいお噺
くらくてつめたい なにもない空に ちいさなちいさな 星の子が ひとりぼっちで きらきらと かがやいていました……
秋にTVアニメが始まる『魔法使いの嫁』
この原作となる漫画は、昨今において珍しく「心眼」を用いて読もうとする必要がある作品なのではないかなと、個人的には思っています。
「心の眼」と言っても、何も難しい事ではありません。
ただ、自分の感性と心に従順に、まっさらな気持ちで、描写やそこから分かる何かを感じる事
粗筋だけをなぞって分かった気持ちになるのではなく、節々の台詞に思いを馳せて、自らの想像を大いに膨らませる事
簡単に言うなら「想像しながら読む」事
それが、この作品を最大限に楽しむ1番の方法のように、私は感じていました。
-----------------------------------------
砂漠が綺麗なのは、砂漠のどこかに井戸があるからだよ。
星が綺麗なのは、星に花が咲いているからだよ。
もちろん、花は見えないけど。
家でも、星でも、砂漠でも、それを美しくしているのは、目に見えないものなんだね。
いまぼくが見ているのは、単なる入れ物に過ぎない。
本当に大切なものは、この中に入っている目に見えない何かなんだ。
『星の王子様』
-----------------------------------------
あくまで、以上の理論は全て私の持論です。
勿論、こんな七面倒臭い行為をしなくても、十二分に本作は楽しめます。
しかし、偶然か必然か、この過去編はその事に少しばかり追及した、大変素晴らしい作品となっていました。
今回紹介するのは『魔法使いの嫁』の主人公、羽鳥チセの過去を描いた3部作
計1時間半の前日譚『魔法使いの嫁 星待つひと』
私の思い描いていた作品の想像通りに創造された、とても良いOVA作品です。
絵本をきっかけに始まる、今まで語られる事の無かったチセの詳細な境遇
それは、1人の子供が抱えるには酷く重い、過酷な「現実」という物でした。
だからこそ、幼少期の彼女は本に縋ります。
いや、この時ばかりは、最初の頃は、縋るしかなかったのでしょう。
でも、そこからチセは読書に夢中になるのです。
そして、嫌な事なんて何も無い、悲しい事は全く起こらない、もう1つの「現実」を作ろうとします。
その過程は、私個人の体験的にも思う所があって……
集中力が紡ぎだす想像力には凄まじい勢いがあると、改めて自分の事のように感じた瞬間だったと思います。
-----------------------------------------
あのね、本読んでる時は、嫌な事全部忘れられるんだよ。
『魔法使いの嫁 星待つひと』チセ
-----------------------------------------
しかし、最初の「現実」はチセの逃避から作り出す創製を許してはくれません。
状況が、展開が、彼女に「自分と向き合え!!」と発破をかけてきます。
それに苦しむ彼女を見ていたら、どうしようもなく心がざわざわしてきて…
だからこそ、最後に至る展開には思わず私も涙を流してしまいました。
あのお願いは、三浦さんが最後に与えたチセへの優しさだったんだと。
彼女の人となりを分かっていたからこそ、チセに彼女を会わせて、優しく「現実」と向き合えるようにさせてくれたんですね……
三浦さんのお願いを承る彼女から始まる第一歩
大変、宜しい帰着を見せてくれた、この先に期待の持てる過去編でした。
さて、今回、劇中では1冊の絵本が登場します。
タイトルは『ひとりぼっちのほしのこは』
本作は、この『魔法使いの嫁』と言う作品の本質を実に端的に、上手く表していると言えるでしょう。
なぜなら、この絵本はチセに「世界の美しさを識らせた」最初で最後の本だからです。
孤独な星の子はどの相手からも自らの期待を蔑ろにされ、自分の在り方に苦悩します。
そんな彼が最後に至った真実と、最後に見えた確かなもの
それこそが、彼の過程を全面的に肯定する構成となっていたのには、私も思わず衝撃を受けてしまいました。
とても優しく、温かい、冷たい時代に向けた救済の書物のように思います。
また、このような見方も出来る事でしょう。
この作品には、妖精や怪物、精霊等と称される異形のものが数多く登場します。
普通であれば、そのような類の産物はファンタジーとして割り切る方が多い事でしょう。
しかし、星の子の如き存在は、それを空想上の産物とは認めず、様々な方向へ行動を起こします。
彼等は、本当は今でも私達のすぐ近くに息衝いているのではないか?
空想的に生まれた物ではなく、夢物語の産物でもなく、実際の姿をこの世界にも写しているのではないか?
古代から続く人々は、彼らを実際に見たり聞いたり感じたりする力を秘めていたのではないか?
今の私達は既にその力を忘れてしまっただけではないのか?
でも中々見えない、見れない、見つからない……
そんな星の子が唯一、最後に見つけたもの
まるで、星の子と同じ位に自分を肯定されたような、そんな結末のようにも感じられるのです。
科学の発達した現代において、こんな事を考えると言うのは少々、妄想癖が強く世迷言染みていると、今では捉えられてしまうのかもしれません。
事実、少し前のレビューでも私は同じような事を書いてましたからね。
しかし、彼等の影が当時を生きていた人間の中で、静かに渦巻いていた時代も確かにありました。
人間にとって至極、現代より密接であった異形の存在
自分達には見えていない存在もこの世界には確かにあって、それらは何処かで私達と同じ時を過ごしている……
それをありえないと断言する事も、私には出来ませんでした。
自然に囲まれた田舎で常々生きてきた私にとって、その感性と想いは場所を変えても、時間が経っても、薄れる事がありません。
だって、私達の眼と言うのは曖昧で不確かな産物ですから。
世界を見つめ続ける事によって、何かがこの先、見えてくるかもしれないじゃないか。
そんなある種、考え過ぎかもしれない気概を感じてしまった、さらっと読めるけれど、実はかなり深い絵本のように思うのです。
まあ、最近はそういったものに理解のある作品も増えたように思います。
昨年だと、ティム・バートン監督の映画『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は監督自身の「奇妙であれ」と言うメッセージが如実に反映された映画でした。
ファンタジーで、起こり得ない事で、夢物語の産物だと、断罪してくる社会的現実
でも、自分が信じたい「現実」だって、確かに生きている。
そう思わせてくれた作品と言うのは、これまでもこれからも、大事にしていきたいと思うものでしょう。
そうずっと信じられたのは、このような作品があったから。
『魔法使いの嫁』とそこから派生した『ひとりぼっちのほしのこは』
私にとって、現状、一生大事にしていきたい作品達であり、OVAは大切に保管、書籍は丁重に読破して行きたいと思う所存です。
「星待つ人」の物語はこれで終わり
星を待つ人は、星を見る人へ……
この続きは確かにあって、最後のページを見つめた先に、彼女だけの星の子が見つかる。
彼が現れるのは秋空の下、物語の系譜は続いている。
これは、世界の美しさを識る前の物語
世界の美しさを識る為に、十分な物語
「ほおら めをこらせば みえるだろう。
空は どこまででも つながっている。
みようとすれば どんな ちいさな光でも みえるだろう」
もう 星の子は さみしくありません。
夜空を みあげて ください。
たくさんの 星の子たちが たのしそうに きらきら。
なないろに かがやく すがたを みせあっているのが あなたにも みえるでしょう。
『ひとりぼっちのほしのこは』