我儘という正義 さんの感想・評価
3.9
物語 : 4.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
空っぽの人間と叶わない夢を抱く者
最初にこのアニメを見た時は日常推理物だと感じ、凄く退屈で有名な割には駄作だなと思っていました。最近再び見る機会があり、自分の見方も変わり全く別の作品の様に感じたので、ここに記しておこうと思いました。
自分のレビューはただ感じた事・考えた事を書くだけなので有り得ないと感じる妄想等が混じっていますので、その点はご了承ください。
この物語の本質は日常でも推理でもないと思う。
自分は自分を知らない人間の苦悩と叶わない夢を持った人間の後悔の物語であると感じる。
言ってしまえば千反田えるや伊原摩耶花は脇役で折木奉太郎と福部里志が話の中心だ。
折木奉太郎という人間は多分、自分を知らない人間だ。
それに比べて福部里志は自分の事を良く知っている。
この物語の序盤、色に関する話が結構出てきた。
そんな中、福辺里志はショッキングピンクだと言われたときすんなり受け入れた。
多分、彼は何色でも良かったんだと思う。
自分の色っていう物は結局他人からどう見えるかということに過ぎない。
そこには誤解や不理解がごまんと存在している。
自分の色を気にするのは自分を知らないからだ。
氷菓のくだりも作者から奉太郎への皮肉に感じる。
なぜ、英語にしたのだろうか?
自分は英語じゃないといけなかったからだと思う。
日本語で忘れがちになっていて、英語で表し易いもの。
主格を書きやすかったからじゃないだろうか?
本当に大切なのはIの方じゃないだろうか?と思えて仕方ない。
別に自分無くして生きるのはダメではないしほとんどの人間そんな物だ。
でも、叫ぶのは自分の意思でないと叫べれない。
他人に任せきりで生きてきた人間に意思なんて残っているのだろうか?
奉太郎はめんどくさがりでもやる気がないわけでもない。
ただ流されるだけの存在なのだ。
嫌な事は嫌、どれだけ非効率的になっても拒否するのが意思だ。
流されるだけの存在に、意思が介入さえしないのは自明である。
一方、後半では叶えられない夢を持った人間の苦痛が感じられる。
叶えられない夢っていうのはただの妄想だ。
里志はこう言った。
「僕には才能がない。
深淵なる知識の迷宮にとことん分け入っていこうという気概が欠けている。
色んなジャンルの玄関先をちょっと覗いてパンフレットにスタンプを押して周る、それが僕にできる精精の事だ。」
中学の時はゲームの話から分かるように勝ちにこだわっていた。
どうして、こだわらなくなったのか?
たぶん、かなわない夢を思い続ける胸の渇きを癒す位にはなると思ったのだろう。
でも、ならなかった。
どこまで行っても、かなわない夢がちらついて、深淵に入ろうとする足を引き戻す。
100%叶わないからと言って、諦める訳にも他の事に重いを持たせることができない。
赤色に塗ったキャンバスは青色にはならない。ただ黒に向かっていくだけだ。
十文字を探したかったのもきっと透明でいる奉太郎がうらやましかったのだろう。
持つ者が持たない者を望み、持たない者が持つ者を羨む。
どっちでも苦しい。
色々考えさせられる作品だと今は感じる。
なにはともあれ、この物語はえるがいたから動いた物語だろう。
奉太郎だけは、本来自分という存在に悩むことなく生きられた人間だ。
勿論、それが良い事だと言うつもりはない。
ただ、いつの時代も禁断の果実に手を伸ばさせる好奇心こそ、真の大罪なのかもしれない。