Ryuvay さんの感想・評価
4.7
物語 : 5.0
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:今観てる
カララギでのIFストーリーで、レムがショートだった髪型をロングにした理由
久しぶりの投稿ですが、人気作なので当たり前のようなレビューは抜きにして、アニメ18話も含めて表題の件の考察をしようと思います。
以降ネタバレはあまり無いと思ますが、それでも気になるという人だけ少し長いですがおつきあいいただけたら幸いです。
少しでもネタバレがあるなら嫌だという人はこのまま閉じて下さい。
{netabare}
「小説家になろう」のWeb原作にあるカララギでのIFストーリーで、レムがショートだった髪を伸ばしてをエミリアのようなロングにした理由。
それはエミリアに対する嫉妬とか対抗心とかではなく、自身の英雄だと言い切っていたスバルに一緒に逃げようと言われ、それを受け入れ、そうする他に何もできなかった後悔に対する自分への自虐心と、スバルがこれまで得てきたもの全てやエミリアを見殺しにし見捨てることをスバルにさせてしまったという罪悪感にも思えます。
原作でも明言されていませんし明らかなネタバレになるので理由や経緯などの詳細は省きますが、状況を察するに諸々あって、この場合(カララギに逃げたとしたら)ロズワール本人やベア子やパックですらロズワール邸のメンバー全員死んでますしね。もちろん領民である村の住人も全員。(詳細や理由を知りたい人は「小説家になろう」に掲載されている原作の4章までを読めばわかります)
スバルはそのことを直視すると、それこそ精神がぶっ壊れて狂人になってしまうでしょう。レムや子どもたちのおかげでそうはなりませんが。
そもそも髪型を同じにしたところで髪の色も顔立ちも声も背格好もなにもかも違う。ロングへアーにしたところで別人なのは見るからに明らかなわけで。
それでも、そうだとしてもレムにとって独りよがりで、レムがスバルから見れば無駄だとも思うその行為は、あの時(アニメで言う第18話)、王都でスバルに一緒に逃げようと言われ、それを受け入れ、エミリアの代わりでもいい、それでもスバルのそばに居たい、2人きりになれると思ってしまった自身の贖罪と後悔を無意識的に形にした(自分はエミリアの代わりだという)自虐心であり、少しでもスバルのためになるのならという、実際には全くなっていない、むしろスバルがエミリアの姿を重ねてしまい後悔の念をさらに募らせてしまう、一方的でいびつで偏った、無理矢理にでも正当化した愛情表現なのでしょう。こういうところがラムに凄まじいほどの罪悪感をともなって妄信していたレムらしくもありますが。
それでもレムにエミリアの代わりだと思われてもしかたがないと思っているスバルは、そんなレムを理解していて、だからこそ自分を見失わないよう盲目的に家族の絆や愛を感じようと信じようと守ろうと、2人とも必死になってるんだろうな……と思います。傍目にはすごーく幸せそうに見えますけどね。
(そう考えると2人が痛々しくて、このIFストーリーを最後まで読み続けることができませんでした)
スバルに「一緒に逃げよう」と言われて、「申し訳ないですけど」と前置きしてレムが妄想し話したカララギでの自身の人生の最期について、スバルより先に逝かせてほしい、そう話した裏には、子どもたちが居たとしても、家族の誰が欠けても、ましてやスバルが居ない世界では、盲目的な家族の絆や愛を見失ってしまい、生きていくことに耐えられないから、思わず美化してそう言ったんじゃないでしょうか。
説明が難しいですが、美化したのは、一緒に逃げてきたことを受け入れるのは自分であり、さらにそれを気付かれてスバル自身に受け入れさせてしまったとそう思わせてしまうとわかっているし、そうして気付かれて最も傷つくのはスバルだとわかっているからじゃないかなと思います。
でも、家族の誰が欠けても生きていくことに耐えられないのは、この場合スバルにとっても同じなんですけどね。
こうなるともう2人とも自虐と罪悪感の無限ループですよね。こんな出口のない精神的地獄に耐えられるわけがない。
レムにはそうなることがわかっているから、姉であるラムを妄信していた自分がスバルのおかげでそう考えることができるようになったから、だからこそ実際には逃げることを認めず、スバル自身が誰も自身すら信じられなくても、ほかの誰でもないレム自身の英雄でありつづけることをレムは望み、自分だけは信じて欲しいと、英雄であり続けてくれるならスバルの全てを受け入れるからと、いつでもどんなことがあってもスバルのそばに居て、自身のすべてを捧げて助けるからと……。
アニメ版ではレムは言ってませんでしたが、原作でのレムの言葉を借りるなら、自分を愛してくれなくてもいい「第2夫人でもいい」と笑顔で大まじめに言うくらいスバルを愛しているのだから。
そうすることしか、選択肢がないことも本当は2人ともわかってたんだと思う。
スバルは、味わってしまった目の前にある大きな絶望的な壁のせいで、それまで為し得てきたことも冷静に捉えることができず、全てが見えなくなってわからなくなってしまっていたのだけど。
頑張ってるフリ、ポーズだとしてもそれが役に立てば、それは頑張った結果なのだから。
でも、Webにある原作を追い読み続けていくと、節々でそれが今となっては挑み続けても答えを得ることができない、ある意味呪いにも思えてくるんですよね。{/netabare}