退会済のユーザー さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
様々な「ぼくらの・・・」は想像もつかない大きすぎる流れにのみこまれました。
テーマは恐らく『命』なのでしょう。重いです。
元ネタは50代以上の一部のお父さんしか知らないジョージ秋山先生の漫画「ザ・ムーン」。大富豪、魔魔男爵が悪を倒すためには絶対的な正義の力が必要という思いから巨大ロボット「ザ・ムーン」を建造。無垢な心の9人の少年少女(下は幼稚園児から上は小学6年生まで)達に「ザ・ムーン」をゆだねられ様々な事件に遭遇していく物語。「ザ・ムーン」は9人の脳波が揃わないと動けず、空を飛ぶ為の精神集中に般若心経を唱えたりとかなり異色。戦う相手は悪の秘密結社ではなくカルト集団(というかテロリスト)や欲深な大人達なので派手さはなく先生特有の哲学的な命題を醸し出すためアクションはたいして無く一般的には受けはよくなかったようです。
劇中ネーミングの元ネタ、「ジアース(Zearth)=The Earth(地球)」は「ザ・ムーン=The Moon(月)」から、「ジアース」の性悪で口汚いサポーター「コエムシ(肥ムシ?)」は魔魔男爵の下男で9人の少年達のボディガード「糞虫」から。
アニメと原作のオチが全然違うのは諸兄諸氏が周知の通り、アニメ放映中にまだ原作が完結していなかった為、アニメ独自の解釈で終わってます。(原作は放映終了後2年経ってから完結)出だしは同じでも途中から毛色が変わってきますが、もうちょっと考えて欲しかったと思うのが個人的な希望です。(時間が無かったんでしょうか?)あと原作にある放送不適切な表現はさすがに変えるしかなかったんでしょうね。
自然学校に集まった15人の少年少女たち(中学1年)。探検気分で入った海辺の洞穴で、そこに住んでいた(と思われる)見知らぬ男「ココペリ」からゲームをやらないかと提案され軽い気持ちで全員承諾。しかしそれは地球の命運をかけた戦いになるとは誰も思わなかった・・・・・・・・・
{netabare}
見終わった方はご存知の通り、少年少女たちは全高500m(ウルトラマンの約12倍)の巨大人型ロボット(のようなもの。命名:ジアース)に全員乗り込み「敵」と戦うことになります。戦うのは15人の内1人が選ばれ、操縦は念じるだけ。戦いに勝利すれば操縦者は『死んで』しまいます。ジアースのエネルギーが操縦者の『命』だから。戦う相手はこちらと同じく巨大ロボットや物体。操縦しているのは人間ですが数多にある「平行世界(文化水準が同じ)」の人たち。このバトルゲームは、負ければ負けた側の地球が消滅させられるというもの。戦う場所はホームだったりアウエーだったりします。アニメでは「支配者」が仕掛けたことになってますが原作では自然にある当たり前の自然淘汰(優良なものが残り劣ったものは消滅)という表現になってます。
・勝てば操縦者だけが「死亡」
・負ければ操縦者もろとも「地球が消滅」
そんな過酷な状況に立たされた少年少女たちの生活事情も、並々ならないものばかり。普通に将来を夢見てた子・両親がおらず、幼い妹弟を養うためにひたすら働く寡黙なオッサンぽい子・価値観が一般とは異なる大人(アノ先生)に惹かれて妊娠までしてしまう子・ひたすら怯えて逃げようともがく内弁慶、養子家族だけど仲良く過ごしてきた子に弟が。誕生を楽しみにしていたのに入れ違いで死亡、等々。 {/netabare}
人間、生まれたからには必ず迎える「死」。わかってはいるものの実感できないのは大人も同じ。まだ世界を知らない彼らに突き付けられた寿命。限られた時間で生きる姿は見ていて辛く感じます。
OPも珍しく世界観をあらわした歌詞で切ないです。
{netabare}
あの時最高のリアルが向こうらから会いに来たのは
ぼくらの存在がこんなにも単純だと笑いにきたんだ
耳を塞いでも両手をすり抜ける真実に惑うよ
細い体の、どこに力をいれて立てばいい?
アンインストール アンインストール
この星の無数の塵の一つだと今の僕には理解できない
アンインストール アンインストール
恐れを知らない戦士のように振舞うしかない
アンインストール
{/netabare}
個人の希望や幸せは大きな自然淘汰にはまったく抗えない。それでも出来る事はやらねばならない。
だって『人間』だもの・・・