移リ木うらら さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
心がふるえる映画
迷家を観終わった後に、そういえばこの映画も岡田麿里さんだったなーっと思って。タイトル思い出してピンときたので視聴。
知人からこの映画がいかに悪かったかや、
主人公の行動の悪加減を聞いていたので、
もし自分と主人公の行動に共通点を見出したらと思うと怖かったので観てなかったのですが……。
観た方が絶対に良いと思ったので怖々視聴。
今思うとこの前ふりが、冒頭の主人公にかぶっていて映画始まった瞬間に今みる映画だったと直観しました。
例えば主人公のお喋りしたから悪いことが起きた。
私が喋ると悪いことが起きる
罰をくだす。→腹痛
私は、相手の感情に共感。考えに共感すると自分が消える。
反発も共感も怖い。それ以外だけが正しい。
友人から嫌いだと聞いたこの映画に、共感もしくは反発すると自分を失うのではないかと怖い。→感想書くのも自分の思い話す聞くと頭痛がする。
それぞれのトラウマが交錯する。
痛みが痛みを生む。迷家をみたときトラウマ克服だなぁと思ったのだけれど、
こっちの方がより現実的。
迷家は視覚化しその存在のありかたを説明するのであれば、
心が叫びたがってるんだはトラウマの現実での他社との絡み方をみせいる。
批判。痛み。悲しみ。怒り。全てマイナスの感情だと思っていたから、
私の何かがそれを発生さえるのがめちゃくちゃ怖かった。
それは私にとってその感情たちがあってはならない物で、悪だったから。
でも、この映画でも言っているけれど。この感情達って個人個人の痛みで自分が自分に対してどんな踵をつけているのか知るのにとても重要な物だと気づきました。
それぞれの痛みはそれぞれの物で。本人以外がその痛みの責任その感じることの責任をとることはできないのです。
だから、自分というあり方を誰かのためにおさえる必要も、かえる必要も、怯える必要も、逆にいえばおごる必要もない。あるがままで良い。
っていうことが流れこんできて。
すごかった……。
私にとってのアニメへの感想は自分の気持ちを、自分を表現すること。
親和性高いアニメは全部流れだすなぁって
探していたのが全部自分の中にあったって分かった。
で、全部が全部まるで現実のように、痛み、観念が混じり合って、息が詰まるのと同時に、全部解放されるような。
本当に、全部、人のせいにするのも、されるのも違うって、分かった。
誰にも、自分にも、制御しようとしないのが一番良いんだなって。全部。
どんな物も、感情を。それがどんな名前のつく物であれ、揺さぶる作品っていうのは何にしても素晴らしいなって思いました。
この映画をみて楽しくなりました? 泣けました? 怒れました?
どんな感情を揺さぶられました?
それがどんな感情であれそれは貴方の物で、貴方が持っていて良いものです。
誰にも否定できず、言葉でも暴力でも何者にも奪うことはできません。
世界はとても自由で、何でも許される、何でもできる。
これ書いてても、自分の頭の中で色んな理由をつけて制御しようとしているけれどそれはそれでいいなって。
自我は自分の悲しみ、苦しみ。苦しいよ!と泣き叫ぶ声を聞く。
成瀬の好きな物って。成瀬自身だったんだ。なぁ。坂上の中に素敵、自分の好む自分を見てたから成瀬を好きになった。成瀬が好きだったのは成瀬自身なんだ。
ミュージカルやめるってなった時に皆が嫌だって言ったのは、自分のみていた素敵な物をぶち壊される気がしたからだ。ミュージカルを完成させた所に素敵な物があったんじゃなくて、完成させる過程に自分の素敵な部分がみえてた。その素敵をも人のせいにしてたけど、全部が自分なんだって気づけば事象には、目、向かなくなった。
ああ、奇跡だった。