ブリキ男 さんの感想・評価
2.9
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.5
キャラ : 3.0
状態:観終わった
トラウマも自分という人間をつくる大切な一部
現在の境遇に不満を抱えた様々な人々が社会から脱出し、辿り着いた新天地、納鳴村(ななきむら)で、怪奇な出来事やそれによって湧き起こる疑心暗鬼に苛まれながら解決の道を探していく物語の様です。
先ず最初に、せっかく社会から抜け出したと言うのに、新生活の準備をしてきた人がろくにいないのは何故なのだろうと疑問に思いました。人里離れた所で暮らすつもりで来たはずなのに、みんな町にでも遊びに出かけるみたいな格好をしていて不自然に思いました。中にはハイヒール履いて来ている人も‥。その中では地獄の業火さんとニャンタは少しは考えている様にも見えました。それでも行く先は不明な点が多い場所なのに、当面の食料はどうするつもりだったんだろう。村人からの施しを当てにしていたのだろうか‥。
あれこれとあって無事納鳴村に到着した一行ですが、到着するなり、瞬く間に新たな社会と力による序列が生まれてしまった点については残念でなりませんでした。こんなんじゃ元いた社会と同じじゃないか‥と思いました。すぐ怒ったりする人もちらほら、良からぬ事しようとする人たちもちらほら、こんな人たちと生活するのは嫌だなぁと思ってしまいました。
{netabare}
7話まで視聴しましたが、怪奇現象の発生やそれに伴う人間関係の悪化で統制と平和を失ってしまった集団の中で冷静さを保ちつつ確かな信頼関係を築き始めたナンコさんとリオンちゃんの二人は心強く思いました。どうか二人とも生き残って欲しい。
9話のスピードスターの身勝手な言動がイライラのピークでしたが、10話になって納鳴村に入り込んだ人間の見た怪奇現象や性格の変容振りに一定の解釈が与えられました。
ナンコさんとリオンちゃんのパーティーに、マイマイさんと※NPCみたいなレイジが加わり4人パーティーになりました。納鳴村の希望になって欲しいです。と思ったらまた3人に‥。
元ネタが古典SFの超名作だったりします。~に似ているとか、~のパクリとかは良く聞く言葉ですが、本当にそっくりです。作者が意識していようといまいと、模倣は芸術の母とも言いますので、アイディアの借用やそれによって過去作に似てしまう事も避けられないのかも知れませんが、ちょっと残念でした。12話サブタイトルも「ナナキは心の鏡」だし‥。視聴予定の「M3 -ソノ黑キ鋼-」も岡田麿里さん脚本でそんな感じらしいので覚悟せねば‥。
最終場面にて登場人物たちが、苦しんでいるのは自分だけじゃなく、皆も同じという風な共通認識を得るシーンには物語の浅さを感じました。苦しみの量、言い換えればストレス大きさは、人それぞれの遺伝的性質や経験、蓄積した知識の種類や量によって増減するものなので、それを無視して一口に皆苦しんでいるというのは、かなり強引な説法であると思います。これは普通に社会生活を営んでいる精神的苦痛の浅い訳知り顔の人間が、それの出来ない人を説得して社会復帰させる為に使うありふれた言い回しでもあります。
他者と自分は比べられないので、両者の苦しみの量を比較する事は出来ませんが、今の自分と過去の自分を比較する事は出来ます。長期記憶に書き換えられた過去の閃光の様な記憶の断片は、心の傷を和らげようと、修正や変容を繰り返しながら常に成長を続けます。そうして苦痛の鮮烈さを失いながらも、それでもなお、起きた事実の記憶はいつまでも残り続けます。
今の自分と過去の自分のどちらの心が軽いのか、曖昧にでも認識出来るなら、他人と自分が同じ様に苦しんでいるとする考え方の根拠は何も無いのではないでしょうか? この様な「つまり」「要するに」に該当する言葉遣いの乱暴さを私は嫌悪します。
人を暗い気持ちへと誘うのは、人によっても違う、その時々によっても違う、千差万別の蓄積された苦しみの量に他ならないのではと私には思われるのでした。
{/netabare}
全話視聴しました。見ていて良かったと心から納得出来る程では有りませんでしたが、こういう構成の仕方もあるのだなぁと素直に感心しました。それでもクライマックスにかけての物語の収束のさせ方にはかなりの強引さを感じました。切ってしまった人の気持ちはよ~く分かります。
※:ノンプレイヤーキャラクターと読む。元はテーブルトークRPGの用語。その名の通りプレイヤーの操作するキャラでなく、自律型のお助けキャラの様な存在。