古川憂 さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
思春期の海を放浪する少年少女の魂
本作の表面的なテーマとして据えられているのは、性自認と身体的性別が一致しないという『トランスジェンダー』である。
「女の子って、何で出来てる?」
「僕のことを、女の子として見てほしい……です。僕も高槻さんのこと、男の子だと思ってるから」
「僕も……ずっと、こういうふうに、したかったんです」
「なんで?」
「女の子に、なりたいからです」
身体的性別は男であるにかかわらず、女子への転身を望む主人公二鳥修一、身体的性別は女であるにかかわらず、男子への転身を望む高槻よしの。そして、二人を取り巻く周囲の人間たちを踏まえて織り成される濃厚な人間ドラマが提出したのは、果たして性同一性障碍への問題提起ではなかった。
トランスジェンダーを主題として扱った作品と言えば、東野圭吾著『片想い』、キンバリー・ピアース監督作品『ボーイズ・ドント・クライ』などがあがるが、それらの作品と比べれば、本作『放浪息子』は性意識への視点に重点を置いてはいないように思える。名前を挙げた二作品では、性同一性障碍者である主要人物はセクシュアルマイノリティとして、周囲からは冷たい視線を突きつけられる存在として描かれていた。一方、本作では主人公・二鳥修一に向けられる差別的視線は殊更に強く描写されるわけではなく、彼は周囲に巧く溶け込んでいる。この、修一と周囲との関係の描写法が意味するのは、「二鳥修一は何ら特別な人間ではない」ということだ。
本作において修一が闘うのは、周囲の視線ではない。自分自身の意識なのだ。「女子へ転身して、誰を愛するのか」「女子として見られたいが為に女装をするのか」「周囲に肯定されて、そこから先は?」湯水のごとく生まれ出ずる数多の問いが、少年を絶えず苛む。
彼らが求めるのは、自己の肯定。脆い心の上に成り立つ存在を、誰かに認めてもらいたいがために、彼らの魂は放浪する。女子になりたい修一、男子になりたいよしの――二人を通じて描かれたのは、「何者か」になりたい「自分自身」であった。
触れたくとも触れ合えない他者との、一線を引いた距離感での探り合い。そんな難しいテーマを、様々な人物を通して描き抜く物語。舌っ足らずで奥ゆかしく、不器用な感情をなんとか言葉に乗せるような繊細な演技をこなした畠山航輔。水彩画のような柔らかい色彩で描写される作品世界。アニメーション作品をそれ足らしめるすべての要素がこれ以上ないほどに噛みあった本作、是非、すべてのアニメファンに推薦したい。
余談だが、本作のシリーズ構成を務めた脚本家、岡田磨里は後に『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』など青春群像劇を手掛けるが、女装や舞台の作劇など、本作中で使用されたドラマパーツの一部が引き継がれているようにも思える。
※自分は原作本は未読である為そちらへの言及は避けて本稿が書かれていることに注意されたい。