なる@c さんの感想・評価
4.1
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 3.5
状態:観終わった
会話劇とアクションのギャップ
原作を読むことを推奨する。
しかし、読まなくても面白い。
あまり難解な作品ではない。
もちろん、最初からわかりやすく丁寧に伏線を張って、回収していくというようなシンプルな作品でもない。一応、押井守作品なのだから。
ただ、押井守作品であるという理由で難解なストーリーを予想して気を張って映画館に足を運んだ人の頭を悩ませるような作品ではないということだ。
スカイクロラが公開されたのは2008年。原作小説は2008年で完結しているので、制作期間を考えると原作未完結の中で制作されたことになる。そのため細かな設定の改変があり、ラストシーンは大きく異なるが、基本的には第一作目の『スカイ・クロラ』とほぼ共通している。しかし、後に続くようなシナリオとは思えない。おそらく、続編が公開されることはないだろう。
人々が平和に暮らすためには、誰かが戦って自分たちの生活を守っているということがわからなければいけない。そうでなければ、安心できない。教科書に載っている戦争の歴史は、それには足りない。永遠の命を持ち、思春期の姿から成長しない「キルドレ」。彼らの多くは戦争請負会社でパイロットとして生涯を終える。戦って、ミートパイを食べ、セックスをして、戦って、ボーリングをして、また戦う。そんなお話。
森博嗣を一冊でも読んだ人なら、「森博嗣節」というのがなんとなくわかると思う。今作でも森博嗣節は健在だ。しかし、文字での説明無しに画面でジョークを成立させなければならないので、表現しづらいジョークやそもそも映画でやる必要がない言葉だけのジョークは省かれている。僕が不満に思っているのは、クスミ、フーコと共にドライブインから娼館へ移動する際、土岐野からミートパイの感想を求められた函南が「そういえば、だいぶまえに食べたことがあるよ」と言ったのが「何だか、食べたことがあるような味だった」に改変されたことだ。前者のほうが突拍子もなくて良いと思うのだが、監督はわかりづらいと判断したのだろうか。
森博嗣節が散りばめられていて面白い会話劇だが、単調でつまらないと言われてしまっているようだ。出撃を繰り返すパイロットがその場凌ぎの会話をする時に感情の抑揚はないと思うのだが。僕としては、表面的で静かな地上でのやり取りから戦闘に入ってエンジン音で耳が満たされるのがたまらなく好きなのだ。劇場で観て良かった。
見学者のくだり→草薙「可哀そうなんかじゃない!」でキルドレ及び戦争請負会社の関係者と民間人の考え方の違いを浮き彫りにさせる。その後、基地が爆撃機に急襲される。店員の「気をつけてね」との言葉に「……何に?」と返答。基地が急襲される原因となった爆撃機を見逃したことを観測所に抗議しに行く函南と草薙。なあなあで済まそうとする本田と痛烈な皮肉を展開する函南の会話は必聴。少しキャラの思いをアウトプットさせ過ぎな感もあるが、原作よりも好きなシーンだ。草薙水素の妹(娘?)の登場も、これらと同じ中盤のチャプターだ。原作と順序は違うが、キルドレでない民間人を描写することでキルドレ同士の掛け合いが改めて異常なのだと認識できる。そして、水素は混乱からか、自身の思いからか、はたまた両方か、偵察中に視認したティーチャーを追って行方を眩ませてしまう。この一連の並びが綺麗だ。結果的にフーコが見つけて基地に送り届けたものの、大規模な作戦前に一抹の懸念を残した。
と、ここまで書いた。
栗田と草薙の関係、大人の男ティーチャーと草薙の関係、主人公の函南はただの代替なのか、三ツ矢の過去など、書きたいことはまだある。まさか中盤まで観終えて「この戦争の行方はどうなるんだろう」などと思う人はいないと思うが。ただ、未完結作品のアニメ化ということを忘れてはいけない。この映画は、行く末の分からない小説を、押井守がエンターテイメントとして映像美と演出で完成されたおれたたEND作品なのだから。正直、ストーリーの体をなしてなくても満足できる作品だった。
作画について。
同じく押井守が監督を務めた『イノセンス』ほどの作画ではなかったものの、当時の3Dアニメ技術でここまで戦闘機の空中戦を演出できるのだということを証明した。燃料メーターに手書きで印がついていたり、光が当たるとガラスの細かな傷が見えたり、雲を抜ける時にガラスに水滴がつき、旋回の際にGによって首がガクガクと動く。
西尾鉄也がキャラデザを務めているため、劇場版NARUTOのデザインに似ているとよく言われる。たしかに僕も思う。ただ、NARUTOのキャラとは形状が似ているだけで、本質的にデザインが異なると思う。草薙のあの目をデザインしただけで充分な貢献だと言える。また、西尾キャラデザは無機質な表情だけでなく、三ツ矢のように苦悩に満ちた表情も合う。適任だ。
音楽は川井憲次。近年の押井守作品でよく起用される。
2015年には、同じく森博嗣が原作の『すべてがFになる』で音楽を務めた。
無音が多く印象的な今作で、無音以上のBGMを作り出していた。
素晴らしい作品だと思う。
けど、まだ考えがまとまらない部分があるので、後に追記します。