photon さんの感想・評価
2.8
物語 : 2.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:今観てる
21世紀作品のパラダイム観測
まずここに記述するのは、専門的ではなく一般的な意味のパラダイムであって、中心らしきものが存在し公算曲線みたいなグラフを描くようなものってことが前提。
恐らく突き詰めていけばそんな単純な形はしてなくて、公算曲線の四則演算だったり漸近線が振動してたりな複雑な形をしているのだと想像するのだけれど、構造それ自体は公算曲線の組み合わせに過ぎない単純なものだと思う。
なんでそんなことを考えるようになったのかと言うと、アニメを観ることがいい加減面倒になって来たということと、他に割くべき時間が増えたから。
アニメーションも前世紀とは明らかに志向性の変化した市場の上に存在する一つの分野なのだから予定通り上手くいくとは限らないけれど、この分野でのマーケティング諸要素を見る限り、複雑化をねじ伏せて単純化しようとするメーカーサイドが優勢であるような印象を数字っていう上っ面からは受けるわけで、従って自分がどれだけ馬鹿でも多少の効率化は図れるかなと。
ただ、アニメばかり観ていてもパラダイムも効率化も無いわけで、その周辺メディアやユーザー、エンドユーザーなんかを観測する必要も生じるかなと。
そんなこんなで結論をまず挙げると、これかな?と思えるパラダイムを構築する要素のようなものが見えて来た気がする。
その一つが競争原理。
商品それ自体は競争原理に従って流通しているとは思うのだけれど、作品の中身については競争原理の何かしらが欠けている。これは前世紀も同様だったのだけれど、観測結果からその欠けている「何かしら」が増えた、またはシフトしたかなと(競争原理の欠落点のシフトは商品それ自体の販売戦略にも確認できる)。
欠けたものが増えるということは競争原理は崩壊に近づくわけで、幼少期にそんなバイアスにもろに影響を受け続けたなら現代の実社会に適合できなくなる人間は増加するわけで、それがアーキコックスが衰退し、他の脳を構成するモジュールが進化または発達することを示しているならば新しい文明の光明にもなろうと思えもするのだけれど、より原始的な事象が増加するに留まっているに過ぎないかなと。
また、欠けたものがシフトするということは競争原理の捉え方が変化するわけで、それは実社会へ適合しようとする試みが変化することを意味するわけで。
という感じで周辺メディアやユーザー、エンドユーザーの観測から一つの考えとして搾り出してみた。
ここから本作品の評価になるのだけれど、上のぼんやりとした考察で殆ど説明は終わってるかも。
つまるとこ、主人公たちを社会的競争原理の欠落した人間と設定することで21世紀アニメーションのパラダイムの一つの中心線に近い所に存在する作品かなと。
個人的にはニートで原始的な脳が活発な人間なんてアルカイック・ホモ・サピエンスよりも前時代的なのだから実験動物にしちまえなんて思ったりするのだけれど、その実験を作品の中でやってるような印象を受けるシーンがいくつかあった。
加えて、余暇を潰す娯楽としても有用だと思う。
主人公たちが学生時代の作品とは受ける印象は変わってしまったけれど、相変わらずパラダイムの中心に近い所に存在する作品なんじゃないかな。