ossan_2014 さんの感想・評価
3.1
物語 : 2.0
作画 : 2.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 4.0
状態:観終わった
バラエティの異世界
【2016/03/20少し追記】*誤字訂正
不慮の死を遂げ、女神の導きで異世界に転生した主人公が、魔王討伐を目指して苦闘する日々。
を、ギャグタッチで描く脱力系のアニメ。
異世界に持ち込まれた「お笑い」は、ギャグのテンポもセリフの切れも良く、今日的にアップトゥデイトな印象を与えているように見えるが、これは本作のギャグがTVのバラエティ番組の笑いと近しい構造であるからのように思える。
これを象徴しているのが、キャラ同士のコミュニケーションのベースに置かれている基調が、「軽蔑」や「侮蔑」である点だろう。
現代のバラエティの笑いの基本は、暗黙の雰囲気の共有を前提として、そこからはみ出した異物を「笑いもの」にすることであるように見える。
前提が「暗黙」であること自体がいかがわしいが、そこから誰かがはみだすように誘導していく素振りが「イジリ」や「ツッコミ」と呼ばれているわけだが、犯罪行為を「やんちゃ」と言い換えて無害であるように見せかける欺瞞と同型的に、イジメを言い換えているに過ぎないようにも見えるものだ。
バラエティの「雰囲気」の作法に価値を見いだせない視聴者には、登場する「芸人」が何の「芸」を持っているのかさっぱりわからないのと同様に、仲間内の内輪受けを見ている不可解さがある。
この「笑い」を分類するならば、基調が「嘲笑」である、という事になるだろうか。
本作のギャグがバラエティ的であることは、冒頭において、「無意味な死を死ぬ」という、観方によってはこれ以上の悲惨は無いという主人公の死が、まず「嘲笑」されるという導入に、象徴的に表れているようだ。
以降の主人公と女神の関係性が互いの「侮蔑」を基調として展開され、嘲笑をベースとしたギャグが他のキャラとのコミュニケーションへと波及していく流れを決定づけている。
自分の死という「取り返しようのない」絶対的な経験でさえ、単なる環境の転機としてこだわりを見せない主人公の描写は、ギャグのことごとくが、他者の事情への配慮や限度を一切考慮しない、無制限の「侮蔑」や「嘲笑」を基礎に構築されていることに対応したものだ。
この型の「笑い」を成立させるために、主人公が徹底して空虚である設定を作り上げたことには、緻密と言ってもいい一貫性がある。
ひとかどの人間として立脚する何かの「拠り所」や「こだわり」があれば、「全てを」見下す視点をもってあらゆるものを「侮蔑」することができない。自分の立つ足場の下にあるものだけは「嘲笑」できないからだ。
空虚な「何者でもない」を象徴する引きこもりニートの主人公は、逆説的に全てを嘲笑できる「無敵の人」としての必然でもある。
報酬の額を、成果の社会的価値ではなく、自分の苦労と比較して少なすぎると不平を言ったり、過酷な仕事に耐えた同僚に「辛かったのなら途中で投げ出せばよかったのに」と言ってのける、「仕事を舐めた」主人公の感覚はいかにもニートらしいもので、この「世界」を支える設定から導き出された巧妙な描写となっている。
現代の教室でのコミュニケーションは、バラエティ番組をロールモデルとしているという観察があるが、ほかにモデルが無ければ、これ以外のコミュニケーション作法は想像できないだろう。
ネット上で侮蔑的な一言を投げつけることが「批評的である」と思い込んだり、笑いの中に常に「侮蔑」が侵入することは自然に感じるだろうし、その感覚がアニメに流入してくるのも当然かもしれない。
いささか複雑な思いを抱かせるのは、モデルとなるバラエティ番組が、ある種の階級制と不可分の構造を持っていることだ。
TV創世記の興行界から派生した「芸能界」では、例えば映画の主演クラスの俳優を頂点に、俳優、歌手、芸人と続き、最下層に若手の芸人が置かれるような、一種の疑似カーストがある。
「カースト」の階級性は、バラエティ番組において、上位の者は下位のものをどのように扱っても構わないという「作法」としてもっとも顕著に表れてくるのだが、長い間、最下層である若手芸人の下には「一般人」という見えない最下層が置かれてきた。
若手芸人であっても、TVに出演している以上「一般人」よりは上というわけだが、こうして見えない形で視聴者を「カースト」に組み込むことが、バラエティ番組の「作法」に視聴者を引き込むノウハウなのだろう。
本作に複雑な思いを抱かせるのは、この15年ほどだろうか、この「カースト」の最下層、「一般人」の下に「オタク」が置かれるようになった、と思える事だ。
バラエティ的「作法」の文脈では、誰でも、「一般人」でさえ好きなように攻撃、嘲笑してかまわない(バラエティ用語では「イジって」構わない)、最底辺の「オタク」というイメージは、便利に使われているように見える。
(バラエティに声優やアニソン歌手が出演するとギクシャクした不自然感が漂うのは、オタク層に直結していながら「芸人」などより知名度も露出度もはるかに高い「芸能人」である彼らが、「カースト」の制度性を破壊してしまうためだろう)
「中二病」や「変態」は無条件で見下して「嘲笑」できるという本作の笑いの構造は、このバラエティの制度性の引き写しといえるだろう。
本作のようなアニメ作品が、このようなバラエティ番組の制度性から生まれる「笑い」の手法を屈託なく導入しているさまを見ると、視聴しながらあげる笑い声が、少しばかり屈折するのを感じる。
どうせならチャチな「嘲笑」の制度性など吹き飛ばして、全てを笑い飛ばす「哄笑」を期待していたのだが、最後まで「嘲笑」を発生させる制度性の箱庭から出ることなく、今一つ抑圧性を突き抜けた爽快は得られなかった。
(階級制の制度から生じる「嘲笑」を出発点として発生していながら、「制度性」それ自体を嘲笑して破壊してしまうギャグは、空想的な高望みではなく『監獄学園』という形で現に実現可能だと示されている)
まあ、逆から見れば、ステータスやポイントといった「制度」性が支配する中世ヨーロッパ的RPG世界を持ち込んだことが、バラエティ的笑いを生かす為には有効に作用した、とは言えるかもしれない。