「魔法少女まどか☆マギカ(TVアニメ動画)」

総合得点
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45
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 5.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

まどかママは正しきインキュベーター

 あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2週目の視聴済み。魔女っ娘SFにダークファンタジーの要素ありって感じですかね。

 まどマギの内容は、主に二つのアプローチから整理できると思います。キャラクターからアプローチする「まどかとほむらの齟齬」と、設定からアプローチする「魔法少女とキュウベエの齟齬」ですね。前者の方は映画版にも大きな影響を与える内容ですからそちらに譲るとして、このテレビ版レビューでは主に後者の方を取り上げていきます。
 キュウベエの主張はどこまで正しいのか、なぜキュウベエの主張が受け入れられないのか、という話です。


キュウベエの主張:{netabare}
 キュウベエはインキュベーターと呼ばれていましたが、インキュベーターというのは孵卵器・孵化器のことですね。魔法少女という卵を魔女に孵化する存在、といった意味合いが含まれているのだと思います。

 第9話にはキュウベエの主張がまとめられています。「宇宙全体の保持のためには莫大なエネルギーが必要だ」「宇宙全体の保持は人間にとっても意義のあるものだ」という前提を置いた上で、「そのエネルギーは少女の感情エネルギーによって確保するのが望ましい」と少女を魔法少女化する根拠を語っています。そして、「そのエネルギーを回収すること」がインキュベータの役割なのだそうです。
 また、「インキュベーターは感情を持ち合わせていない」ために、「人類に対して悪意を持っているわけではない」が、「単一個体にこだわる人間の価値基準が分からない」とも言っています。

 このキュウベエの考え方は、功利主義に該当するものだと思います。功利主義は、主に「帰結主義」「幸福」「最大多数の最大幸福」などを中心とする考え方です。
 何らかの行為をするときに、その正しさをその行為の帰結(結果)から見るのが「帰結主義」です。行為のスタートや過程を見るのではなく、その結果を重視しましょうよ、ということですね。
 そして、その行為の帰結には様々な要素があるわけですが、その中でも「幸福」を重視すべきだと考えます。
 また、一人の幸福よりも全体の幸福の追求するのが「最大多数の最大幸福」です。全体幸福の最大化を目指さずに、自分の幸福ばかりを追求していたらダメですよ、ということです。

 キュウベエの行為は、「魔法少女からエネルギーを回収する」というものです。この帰結は「宇宙全体の保持」であって、そこには「宇宙全体と人類のために意義のあるもの」という最大多数にとっての幸福が含まれています。キュウベエは利己的な幸福を追求していたのではなく、功利主義者としてこの行為の正当性を主張していたのです。

 ですが、多くの視聴者がキュウベエの主張には不快感を示したものと思います。ここからは、キュウベエの主張には本当に妥当性があるのか、また、妥当性があるとしたらその限界はどこなのか、というのを検討してみます。
{/netabare}

妥当性と限界:{netabare}
 五人が死ぬスイッチと一人が死ぬスイッチがある。あなたはどちらかを押さなければいけません。
 さて、どちらを押しますか?

 このような事例が与えられたとき、どちらを選択するべきなのでしょうか? 私なら一人が死ぬスイッチを選択すると思います。全員の救出が叶わない状況下で最大多数の最大幸福を求めるのならば、「五人が死ぬ」と「一人が死ぬ」では後者の方が幸福度が高い(不幸度が低い)と考えるからです。より幸福度の高い帰結をもたらすために、「一人が死ぬスイッチを押す」という行為を選択するのです。
 つまり、功利主義には妥当性が確かにあるのです。

 では、次の事例ではどうでしょうか?
 それぞれ別の臓器を疾患した五人の患者と、一人の健康な人がいます。五人の患者は、今すぐ臓器移植をしなければ死んでしまいます。健康な人を殺して5つの臓器を移植すれば、五人の患者は助かります。
 さて、五人の患者を救うために一人の健康な人を殺しますか?

 この事例でも「五人が死ぬ」と「一人が死ぬ」を天秤にかけているのは変わりません。最大多数の最大幸福を求めるのであれば、前例と同様の判断をして、「健康な人を殺して五人を救う」という帰結を選択をすべきなのだと思います。
 ですが、おそらく私なら「健康な人を殺す」という選択はしないと思います。その行為を正しいと言い切るには違和感があるからです。また、日本でもこのような行為は認められていないはずです。「ドナーが足りないから何人か殺そう」などという話は聞いたことがありません。
 つまり、「五人が死ぬ」と「一人が死ぬ」では後者の方が幸福度が高い、という前例での判断基準は、ここでは適用できないのです。功利主義には限界があるのだ、ということです。

 ここで言っている功利主義の限界というのは、帰結主義と最大多数の最大幸福が孕む問題のことです。
 私たちは多くの場合、帰結主義的な判断によって行為を決定しています。同じ商品を手に入れるのなら、千円で買うよりは百円で買った方が得だと考えるはずです。ですが、盗品と分かっているものを百円で買おうとは思いませんよね。帰結だけを見ているわけではないのです。
 また、私たちは最大多数の最大幸福を求めています。電車内で特定の人物だけが騒ぎ満足している状況よりは、みんなが快適に過ごせる電車内を求めるはずです。ですが、快適な電車内を実現するために、うるさいやつを殺してしまえ、と主張することはありません。
 つまり、「帰結主義からすれば望ましい行為」や「最大多数の最大幸福を達成できる行為」があったとしても、その行為自体の正しさは訴求できないのです。私たちは功利主義と同時に、その行為自体に付随する倫理や道徳の問題も考えているのです。
{/netabare}

魔法少女とキュウベエの齟齬:{netabare}
 私たちがキュウベエ的功利主義に不快感を感じてしまうのは、キュウベエが行動原理を功利主義にしか求めておらず、その限界を超えた適用をも目論んでいるからです。「結果はみんなにとって良いものだから、やってよね」と言っているわけですが、その行為自体の倫理性や道徳性を加味していないのです。
 このキュウベエの姿勢が、魔法少女たちとの間に二つの齟齬を生んでしまいました。

 その一つ目が、魂・肉体・感情などの扱い方です。キュウベエは、肉体から魂を分離させ、ソウルジェムとしました。これは、「魔女と安全に戦うため」という帰結に基づいた行為です。ですが、魔法少女たちはその行為自体が倫理的な問題を孕んでいるのだと反発しています。

 二つ目が、魔法少女の魔女化です。「魔法少女が魔女になる」というのは、おそらく「少女が女性になる」という正しい成長へのアンチテーゼになっているのだと思われます。そして、正しい成長への導き手として存在していたのがまどかママです。まどかママは、少女であるまどかに対して、正しい女性像や正しい大人としての規範を伝え続けていました。それは、寝坊や愚痴などに見られる行動規範ではなく、生き方や考え方などに関する倫理規範です。
 ですが、キュウベエはまどかが蓄積していく倫理規範を捨て置いてしまいました。キュウベエの望む帰結を導くために「魔法少女は呪いを蓄積して魔女になる」という歪んだ成長を強要したのです。

 「感情を持ち合わせていない」ために「単一個体にこだわる人間の価値基準が分からない」というキュウベエの宣言は、「帰結主義だけを重視する」「少数派をないがしろにする」という宣言でもあったのです。
 そのため、このような主張をするキュウベエと、少数派に属し行為自体の倫理性を求める魔法少女たちの間には、この二つの齟齬を起因として決定的な乖離が生じてしまったのです。
{/netabare}

まどかの答え:{netabare}
 まどかママの導きによりキュウベエとの乖離が決定的となったまどかは、一つの答えを出しました。それがルールの変更です。キュウベエ的功利主義のもとでは、ルールを変更する以外に少数派である魔法少女たちを救済する手段を獲得出来なかったのです。
 前掲の例に即せば、「どちらのスイッチを押すか」「健康な患者を殺すか否か」という選択を迫られる状況自体が間違っている、だからそんな前提を変えてしまえ、ってことです。

 新たに誕生したルールのもとにおいても、魔法少女たちは相変わらず少数派に属しています。ですが、このルール変更によって、彼女たちに内在していた倫理的な問題は解消されることになりました。
{/netabare}

補足:{netabare}
 一応誤解の無いように申し上げておきますけど、この作品は「功利主義はダメだ」という批判的視野に立っている、なんて話はしていませんからね。「功利主義をベースとしながらも、それだけだと限界があるから追加・修正は必要だよね」という話をしているんだってことです。もし、「功利主義はダメだ」という結論になるのだとしたら、まどかは新ルールのもとで功利主義の体現者であるキュウベエの存在を許さなかったはずです。

 まどかは魔法少女を多数派にすることで、その正当性を主張しようとしたのではありません。また、「宇宙全体の保持」という帰結や、「宇宙全体と人類のために意義のあるもの」という最大多数にとっての幸福を否定しようとしたわけでもありません。これらの必要性を理解しつつも、「少数派である魔法少女は倫理的な問題を抱えている。だからその問題を解決しなきゃダメなんだ」と言っていたのです。

 まどかの結論は、キュウベエ的功利主義の批判を主としていたではなく、キュウベエ的功利主義のもとで搾取される魔法少女たちの救済を主としていたんだと思います。{/netabare}

投稿 : 2015/12/06
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サンキュー:

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