renton000 さんの感想・評価
3.6
物語 : 3.5
作画 : 3.5
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
日常もの?
以前に別作品のレビューで、大して考えもせずに「がっこうぐらしはアンチ日常もの」と書いてしまったんですけど、なぜそう指摘したのか、その真意を整理してみました。
「日常もの」:{netabare}
私は、「日常もの」って「日常」を描いた作品ではないと思っているんですよ。
入学式や卒業式、冠婚葬祭や事故も含めて、こういう普段と違う日が「非日常」と呼ばれますよね。これを踏まえると、「日常」というのはいつも通りの日々、すなわち、「変化の乏しい日々」を言うと思うんですよ。
で、「日常もの」で描かれているのは、この「変化の乏しい日々」そのものではなくて、その中から最大限の変化をまとめ上げた「誇張された日常」だというのは、誰しもが感じるところだと思います。
例えば、電車での通勤や通学に際して、一日目は本を読み、二日目は音楽を聴き、三日目はニュースを読む、というのはまぎれもない「日常」なのですが、これをそのままアニメ化してしまっては、「日常」にはなっても「日常もの」にはなっていないですよね。これを「日常もの」にするためには、いつもと同じ日なのに、いつもとはちょっと違うって要素が必要になるはずです。
この「ちょっと違う」という部分をどこまで「日常」と乖離させるかは各「日常もの」によって異なるわけですが、現実的にはあり得ない事柄であっても、それが「日常」をベースとした誇張の枠内に収まっていれば、それは「日常もの」として成立するんだと思います。
そして、私たちが「日常もの」から感じるのは、「退屈な日常だと思っていたけど、ちょっと視点を変えればきらきらしいよね」という、プラスの側面から見た「日常」のような気がします。
{/netabare}
「がっこうぐらし」と「アンチ日常もの」:{netabare}
「がっこうぐらし」の特徴が一番出ているのって第一話だと思うんですけど、その核心というのはオチの部分ではないと思ったんですよ。核心となっているのは、その前の日常パートだと感じました。
この日常パートって、くっそつまらないですよね。第一話を完走できるかを怪しむぐらいにつまらない。大事な第一話の大半をつまらなくする理由なんてありませんから、意図的につまらなさを演出していたんだと思います。
で、なぜつまらなく感じるかというと、ここで描かれているのが「日常もの」ではなくて、単なる「日常」だからです。誇張されたものではなくて、私たちが普段生活している通りの「日常」だからつまらない。「日常もの」ではなく、「日常」を演出するためにつまらなくしたんだってことですね。
で、日常パートを「日常もの」ではなく「日常」としたことで、日常パートとオチの関係は「日常」と「崩壊した日常」として成立することになります。
「日常もの」が「誇張された日常」というプラスの側面を通して「日常」を捉えていたのとちょうど反対で、「がっこうぐらし」は「崩壊した日常」というマイナスの側面を通して「日常」を捉えていたということです。だから、「アンチ日常もの」になるのです。
そして、「日常もの」の「退屈な日常だと思っていたけど、ちょっと視点を変えればきらきらしいよね」というテーゼは、「アンチ日常もの」として「退屈な日常だと思っていたけど、失われてしまえばきらきらしく感じるよね」というアンチテーゼに変わることになります。
これを作中で最も体現しているのが主人公のユキちゃんです。ユキちゃんは、「崩壊した日常」という現実に耐えられず「過去あった日常」という虚構に逃げ込んでしまいました。マイナス局面におちいってしまうと、「変化の乏しい日常」というプラマイゼロの地点すらも渇望してしまうのです。
これは、「風邪をひくと初めて健康の大切さが分かる」というのと同じで、「失って初めて分かる大切さ」の類型に入るものだと思われます。私たちが何気なく享受している「日常」も、いざ失われてしまえば求めてしまう。「日常もの」のようなプラス側の視点に頼らずとも、マイナス側からだって「日常」の大切さは分かるよね、というのを「アンチ日常もの」が見せてくれたんだと思います。
何話か忘れましたが、中盤に水着回がありますよね。あの回もつまらなかったんですけど、個人的には好意的に受け止めました。「崩壊した日常」に住まうキャラクターたちが、過去の日常を懐古渇望しているっていうのを改めて認識させてくれましたからね。
第二期はどうなるんですかね? 「アンチ日常もの」ではなく、「パニックもの」になりそうな気もしますけど…。
{/netabare}