「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(アニメ映画)」

総合得点
77.6
感想・評価
400
棚に入れた
1738
ランキング
611
★★★★★ 4.1 (400)
物語
4.3
作画
3.9
声優
4.1
音楽
3.9
キャラ
4.1

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ネタバレ

あにめじさん さんの感想・評価

★★★★★ 4.9
物語 : 4.5 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

現在のループものに多大な影響を与えた一作(長文レビュー)

※少々書き忘れていたことがあったのでネタバレ末尾に追記 8/2316:00
先日、STEINS;GATEのレビューの中で本作を取り上げたが、幸いにしてCS放送にて放映されたので、10何年ぶりに視聴。
冒頭の崩壊した世界で水遊びに興じるラムやメガネたち。日光浴をするサクラ先生。訳が分からないがぼろぼろになって旗を持ってふらふらと立つ諸星あたる。象徴的なシーンから始まる。
押井守氏の監督2作目であるが、圧倒的押井節で、高橋留美子の作風が好きで押井守が苦手な人は観ない方が良い。
この「ビューティフルドリーマーの一部評価に『押井版最終回』とあるのも納得できる。

さて本作はループものの原点に近い作品である。
STEINS;GATEのレビューでも述べたが、ループから抜け出す物語とは『日々を無為に過ごす「何者でもない自分=モラトリアム」から「自己を確定させた存在」への変化を描くもの』であるだろう。
それに当てはめてみると、このビューティフルドリーマーとは非常に良くできているといえる。

原作(高橋留美子)の設定では主人公である諸星あたるは決してヒロインであるラムを好きだということを表明しない。
端から見ていて明らかに両想いであるにもかかわらず、頑なにそれを有耶無耶にしている。
これは他の高橋留美子作品(らんま1/2、境界のRINNNEなど)にも取り入れられている手法であるが、それはそのまま高橋作品の根幹をなすものでもある。
押井守は今作において、それをあっさりと破り捨ててしまった。試写会で高橋留美子が怒るのも無理はないだろう。

個人的な見解ではあるが、押井守は恋愛に対し臆病ではあるが誠実な人間性を好むのだろう。
また物事は常に変化し続けているととらえているのではないだろうか。
それ故にいつまでも変化のない、言い換えると停滞しているラブコメを強制的に破壊してしまうのではないだろうか。

閑話休題。

前述のようにビューティフルドリーマーは高橋留美子作品としてではなく、押井守作品としてみるべきだが、それとは別に現代の作品へ多大な影響を与えた作品でもある。
まず多くの小ネタを含むこと。
これは現代のギャグやコメディアニメ作品では当たり前のようにされているが、この時代がスタート地点である。
次にサブカルチャー(アニメ含む)の中にループものというカテゴリーを確立させたこと。
これについては世界的には、ケン・グリムウッドの小説『リプレイ』がスタートであるとされる。
最後に物語の舞台装置を露見させてしまったこと。
となる。
つまり、ビューティフルドリーマーがあったからこそ後のクリエイターたちは積極的にループする世界を作れ、小ネタを挟み、視聴者も舞台装置ありきで物語を楽しめるようになっていったといえる。
さて、そこでこの物語の特徴の一つ、ループであるが、この作品から多くのループものが出来ていったと述べた。
だがそのすべてが正しくループものとしての『お約束』手順を踏んでいるかと言えば、そうではなく「涼宮ハルヒの憂鬱、エンドレスエイト」のようにループの手法だけを劣化コピーしたものも存在する。
それは作り手の理解不足でもあるし、ループものの本質を敢えて避けたという部分でもある。
ループものの本質は克己(堕落)であり、主人公を通しての自己投影である。
振り返ってビューティフルドリーマーではどうか。
物語の視点は様々な人物を通して語られていく。その度ごとに主人公が移動しているといえるかもしれない。
最初に登場人物全員が特に心理描写もなく状況に流される様が描かれる。この時点では全員が主人公であり、視聴者でもある。次に事態に気づく温泉マー{netabare}クの物語がはじまる。
彼は数日ぶりに帰った自宅アパートがまるで数年以上も留守にしていたかのような崩壊ぶりに愕然となり、その事実を養護教員であるサクラ先生に告げ、その後姿を消す。
世界が文化祭前日を繰り返していることを知ったとたん、劇中の言葉を借りれば「開き直ったかのように」メインメンバー以外を残し、世界は姿を変える。
次の主人公は千葉繁演じるメガネだ。
崩壊した世界で彼は仲間(チビ、カクガリ、リーゼント)とともにこの世界で生きていくことを受け入れる。その横ではメガネが「おかしくなった」とあきれる面堂終太郎が戦車砲をぶっ放している。
次の主人公はその面堂とサクラ先生になる。
二人はおかしくなったのではなく、世界を受け入れず、調査していた。
そして、その結果として世界を変えた存在を突き止め、相対する。
最後に諸星あたる。
現状に納得せず、しかし先に進むことも嫌う彼の口からは「お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたいのさ。…わかんねぇだろうな、お嬢ちゃんも、女だもんなぁ」と本質的な言葉がでる。
{/netabare}
さて、一連の主人公たちの行動から、このループする世界に対してどういうスタンスなのかがこの物語のキーワードになるだろう。
最初の温泉マークは拒絶。次の{netabare}メガネは享受、サクラ先生と面堂は否定、最後の諸星あたるはモラトリアム。何者かになることを拒否している。
結局物語は外部からの強制力が働き、終結するのだが、視聴されたかたは気づいていただろうか、前半、やたらと姿を見せていた(ヒロインなので当たり前だが)ラムが後半殆ど姿を見せず、終局を迎えたことを。
この物語は「みんなとずっと一緒にいたい。変わりたくない」というラムの無邪気な願いを叶えるために用意された世界をどうするか、というものだったはずである。
そこに当事者たるラムが介在しないことに一種のメッセージを感じる。

さて、どたばたしつつも物語は終わり、世界は繰り返しつつも変わっていく日常へと戻っていくわけだが、劇中にあるサクラ先生の言葉「木造モルタル三階建て」の校舎がエンディングでは二階建てになっていることに気づいただろうか。
{/netabare}
そして劇中では否定し、調査していたはずのサクラ先生と面堂が、冒頭シーンではなぜ受け入れてしまっていたのだろうか。諸星あたるがぼろぼろだった理由はなんだろうか。
{netabare}
8/2316:00追記
変化を肯定し、停滞や繰り返しを否定する押井守だからこそ虚構世界のさらに虚構である舞台装置を見せ、そのことによって、この作品を単なる繰り返し世界の批判ではなく、虚構だからこそ夢想することが出来る『永遠』のあり方を示せたのではないだろうか。
{/netabare}
そして物語はループする。

投稿 : 2015/08/23
閲覧 : 446
サンキュー:

8

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