KazuHiroくん さんの感想・評価
4.6
物語 : 4.5
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:今観てる
作画と作風は他を逸する
アニメというと萌えアニメがはびこっている今の世の中。
とりあえず、”萌”そうな作風が多すぎるような気もするが、このバケモノが祟りというアニメは、”一般人 ”からすると、「萌」に属してしまうであろう萌の作風であるが、アニメをよく見るプレイヤーからすると、萌えアニメからの作風とは違うものであることが分かる。
作品の内容は、アニメらしい面白みを出したものというよりは、文学作品を映像化したというような気がする。それは、アニメ映像に中に、特殊な方法で文字を登場させているからであると推測する。
アニメなのに、文字を映像化しているのである。
文章の集合体である文学作品、小説を映像化している物がアニメなのに対して、この作品は、アニメなのに文字とは一切切り離せない、そんなアニメなのである。
映像の中に、明らかに読ませることをさせないと意図する大量の文字を使った映像部分が出てくる。
画面一杯に文字を短時間で登場させることで、何か難しいことを言っているのであるが、明らかに画面が切り替わるスピードが早すぎるがために、絶対的にその文字を解読どころか、読み切ることすら出来ない。
読めない文章をあえて登場させるこのアニメの作風はたとは逸している。
明らかに他とは違う。これは、誰が見ても明白である。
文字とは、読ませるためにあるのが一般的な考えである。
5~10文字を0.2秒で読むことはほとんど無理である。ましては、読もうと事前に告知すること無く、いきなりフラッシュ暗算のごとく、魅せられても見きれることは出来ない。
なのにこの作品には、このような映像が多々登場する。
パット画面が切替わり、赤背景に白抜きの文字が一瞬登場する。
アニメの字幕の代わりとしての文章の時もあれば、その時の雰囲気を出している場面もある。
読ませる気がないというのはわかるが、なんとなく、こう書いてあるだろうという憶測は出来るところが粋な計らいなのである。
100%の理解は出来ないが、60%程度の憶測は出来てしまう。しかしながら、アニメというのはそういうものなのかもしれない。
アニメ映像も含めた映像全般は作画を絵画のようにまじまじと見ることはあまりない事である。一部のオタクや一部の場面を繰り返し、一時停止をして見るということはあっても、すべてのフレームを事細かく見るということは、作者や学習という意味を持ってみている側以外、ほぼ行わないであろう。
何故ならば、単純に一つのアニメに使われるフレームは、43200枚もあることから明白であろう。
そして、このアニメに重要なのは、文学であるという話題であるが、このアニメには良く黑齣や赤齣という文字を中心に書き、背景はそれぞれの色に染まっている場面がある。
黑齣(クロコマ)や赤~は画面の切り替えや少しの間を埋めるための役割を果たす。単調な一枚絵をズームアップと移動を使って、映像化する手法はよく見るが、それに似ているかもしれない。ただの絵じゃなく、一瞬真っ黒な背景を入れたほうが違う印象を感じるのかもしれない。(赤も同様)
しかし、このアニメの場合は、黑齣という文字をそこに埋め込んでいる。
本来は黒のベタ塗りの絵なのであるが、このアニメは黑齣が黑齣であると自負しているのである。なんて自己主張の強い黑齣なのであろうか。
黑齣を知らないボクは、前後の話そっち抜けで黑齣が何なのであるかをググらずに入られない。そう、このアニメは、辞書orGoogleが欠かせないアニメなのである。あと一時停止も。
ボクがこのアニメが好きな理由はもうひとつある。いやたくさんあるけど。
1行で書くと
横顔担った時に、ほっぺたに口がない、ということ。
アニメは何故か横顔を書くときに、ほっぺたに穴を開けて、口が出現する現象が起こる。
しゃべっているところが見やすいというのがあるのかもしれないけれど、非現実的であるし、別にほっぺたに描かなくとも、本来の場所に口を避けるように書けばボクはいいと思ってしまう。それにそのほうが自然であるし。
しかし、そういうアニメは、ジブリや新海誠、サマーウォーズそういったリアル路線のアニメにしか多くない。そう、ボクはリアリティが大事であって、それが好きなのである。
だから、それに習っているこの化物語は、ボクにとってとても面白い。
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