renton000 さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
なめてた、すまんかった
第1期13話、第2期13話。
オススメされて見ることにしたんですが、変な誤解をしていたせいか、当初はあまり乗り気ではありませんでした。でも、今では見て良かったと思っています。正直かなり面白かったです。歌だけで数分間釘付けにできるというのは、素直にすごいですよね。
で、変な誤解というのは、「アイドルもの」という紹介のされ方です。この薦め方のせいで食指が動かなかったというのが多分にありました。で、いつも通りの細かい描写の話とか全体の構成の話とかをしようかとも考えたのですが、今回は少し目線を変えて、この辺のジャンル絡みのことについて触れていきたいと思います。
アイドルもの?:{netabare}
ラブライブには「アイドルもの」というイメージが広まっているのかもしれませんが、個人的には「青春もの」という括りの方が良いと思います。「アイドルもの」ではない、と言いたいのではなくて、切り方の問題ですね。縦から切るか横から切るかを考えたときに、「アイドルもの」よりは「青春もの」で切った方がしっくり来るのではないかってことです。言い換えれば、ラブライブという作品はキャラで切るべきなのかストーリーで切るべきなのか、という話。
例えば、ワンピースは「海賊もの」ですが、「冒険もの」でもありますよね。ワンピースが「海賊を描きたいキャラもの」なのか「海賊を使った冒険もの」なのかと問われれば、もちろん後者です。ワンピースは冒険を描こうとしているのであって、海賊を描こうとしているわけではないはずです。「冒険もの」というストーリーが主であり、「海賊もの」というキャラクターは従である、ということです。ですから、ワンピースを紹介するのなら、「冒険もの」か「海賊ものの冒険もの」というのが相応しいと思います。単独で「海賊もの」とすると、個人的にはちょっとおさまりが悪い。
ラブライブには魅力的なキャラクターがたくさん出てきますが、私はキャラクターを描くことに注力した「キャラもの」であるという感覚は受けませんでした。あくまでも「アイドルを目指す少女たちの青春」というストーリーを描こうというのが主眼にあったのだと感じました。ですから、ラブライブも、「青春もの」というストーリーが主であり、「アイドルもの」というキャラクターは従であろう、ということですね。
そのため、ラブライブを真っ先に「アイドルもの」と評するのは、果たしてその魅力を伝えるに適しているのかなぁ、なんて訝しんでしまいます。まず「青春もの」であって、中でも「部活もの」であって、さらに「アイドル部」である、という限定の後に「アイドルもの」というのを付与するくらいのが丁度良いんじゃないでしょうか。まぁ「アイドルもの」であること自体は間違っていないんですけどね。
で、ラブライブのストーリーは?というと、超が付くほど王道の「青春もの」です。
{/netabare}
青春もの:{netabare}
「青春もの」の題材には、恋愛やスポーツなど様々ありますが、概ね中心とされるのは「思春期の少年少女たちの成長が描かれる」ことなんだと思います。そして、この成長を描くための必要悪としてストーリー上に「挫折」が用意されます。作劇上は、「挫折」なくして「成長」なしなのでしょう。
で、この「挫折」というのは、「心理上の挫折」であることが必要です。何らかのチャレンジが成功であろうが失敗であろうが、心的に「挫折」を感じたのなら、それは「挫折」になります。例えば、試験に合格したとしても、満足を得られてないのであれば、それは「挫折」ですよね。心の成長と心の挫折が対になる。
「バトルもの」では、この「心理上の挫折」が簡略化されてしまいます。
「バトルもの」は、「苦戦or敗北→心的変化→勝利」という構造の繰り返しですが、心の成長が肉体的な強さと強く結びついています。そのため、「勝利できる力を獲得できれば、心も成長している」という逆読みが可能になり、勝ち方を見せるのが中心になってしまいます。また、ただ単に苦戦か敗北をすれば「挫折」になってしまいます。
このように心的変化を別の方法で簡略化出来てしまうために、攻撃力や必殺技の勝負になりがちになり、その結果としてインフレを起こすんだと思います。「バトルもの」の宿命ですね。
これに鑑みるに、バトルなどに頼らずに「心理上の挫折」をきちんと描くことが、「青春もの」を「青春もの」足らしめるために必要なんだと思えます。「挫折」を丁寧に描ければ、その後の「成長」は連鎖的に起こりますからね。
この点では、ラブライブの「挫折」の描き方は、非常に良かったと思います。
「挫折」は基本的に各キャラ回で描かれていましたが、そのどれもが自分の内面と向き合うことに集約されていました。学校の都合や運営側の意向などの外的圧力のようなものはほとんど描かれず、常に身近なトラブルの中から自身を見つめ直すきっかけを得ていました。
ちょっとだけ自覚をして、ちょっとだけ挫折をして、ちょっとだけ成長する。ドラマチックで劇的な成長に頼らずに、小さな感情の機微を丁寧に描けていたと思います。
キャラの掘り下げが甘いなんてことも聞いていたんですけど、その指摘は相応しくないと感じました。
{/netabare}
ザ・王道への批判:{netabare}
ラブライブは、前述したとおり、超王道の青春ものです。
王道の作品に対しては、「王道過ぎてつまらん」みたいな意見が出てくるのですが、私はこの意見はあまり好きではありません。少なくとも、「王道だからダメ」なんてことはあり得ないと思っています。
最近の話題作・ヒット作を見るに、「設定大勝利!」というものが散見されます。これらの作品は、その多くが王道に対するアンチテーゼとして成立しています。少し前の作品では「アンチ魔法少女もの」である「まどマギ」や、現在の作品では「アンチ日常もの」である「がっこうぐらし」なんかがこれに当たります。
もちろんこれらの作品が設定だけの作品だなんて言うつもりはありません。「がっこうぐらし」はまだ未完のため分かりませんが、「まどマギ」は極めていい作品でしたからね。とはいえ、設定で話題をさらい、その後の評価が付いて来ない作品が多いのも確かだと思います。王道ではないことが、一時的とはいえ評価につながってしまいます。
で、これらのアンチ王道作品というのは、裏を返せば「王道がなけれ成立し得ない」というのも捨て置けません。王道があるからこそのアンチ王道であり、王道作品がなくなればアンチ王道作品も寄る辺を失ってしまいます。ですから、王道作品というのは存在そのものに価値がある、とも言えるのです。もちろん、王道であることに胡坐をかいた駄作というのはいただけませんが、良質の王道は常に必要なものであるはずです。
そして、私が思う良質の王道とは、「ちょっとだけ良い」です。「かなり良い」とか「滅茶苦茶良い」というのは、想定自体をしていません。なぜなら、そのような作品は王道から逸脱してしまうからです。王道が王道であるためには、イノベーションが邪魔にすら思えます。
この点に鑑みれば、ラブライブというのは、ザ・王道に恥じない作品です。キャラクターの掘り下げ方も、挫折から成長への転換も、構成も構図も、すこぶる「ちょっとだけ良い」。こういう評価をするとバカにしていると思われるかもしれませんが、王道というのは競争自体が激しいですからね。層が厚く、ボーダー自体が非常に高い。この高いボーダーの中で全般的に「ちょっとだけ良い」にするのは、非常に大変なことだと思います。
ラブライブはベタなストーリー展開でしたけど、ベタに徹した上でこの出来ですからね。私は好感を持ちました。
{/netabare}
私が1期と2期を通して見た、というのもあるのですが、これから見る方にも通しで見ることをオススメしたいです。別個に評価するなら、1期よりも2期の方が良かったと思います。