zu さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
ヒトでありながらヌシとして生まれた少女カヤの物語。
1期が2005年10月に始まった時から、リアルに視聴していて何とも言えない不思議で独特な世界感に魅了され原作漫画も読んでいたとても好きな作品です。
1期が終了してもう観られないんだろうなぁと諦めかけてた8年後に「特別篇 日蝕む翳」がやるのを知った時は、本当に嬉しかったし、分割2クールで「蟲師 続章」の制作発表があった時は嬉しくて泣きそうになったw
そんな蟲師の劇場版で最終話になる「鈴の雫」
「昔、山で不思議な音を聞いた。りんりんりんとおびただし数の鈴の音がこだまして山じゅうが何かを祝っているような音だった。葦朗(よしろう)の妹のカヤが生まれたのはその十月(とつき)後、生まれた時から体に草が生えていた」から物語が始まります。
今までの蟲師を観てきた方には解ると思いますが、山をつかさどる「ヌシ」の体には草が生えているのが目印。今までに出てきたヌシ(イノシシ、ナマズ、カメ)にも草が生えてましたよね!
ヌシとは、山の生命のすべての均衡を保つモノでいわば山の礎でヒトの心は、長い間に山の重みに少しづつ押しつぶされ、個としての生は失われていく。
ヌシとして山に呼ばれ突然居なくなってしまったカヤを探す葦朗にギンコは「気の毒だがあんたの妹はもう里には戻れない」と言うと葦朗はカヤは「ただの人の子だよと言った。」「ヌシに近づき過ぎると山全体が崩れる。そうすればあんたらも生きられなくなるぞ」
とギンコは葦朗に妹を諦めるように言うが…
偶然にも葦朗はカヤを見つけ山から連れ戻してしまう。
カヤもヒトとしての意識を失いつつありましたが、徐々にヒトとしての意識を取り戻すが、ヌシを失った山には異変が起こる。
そして山が絶えてしまわないように、光の輪(理「ことわり」)に呼ばれカヤが山に戻った時にギンコがカヤに対して言った
「あんたには何の慰めにもならないかもしれないが、俺はあんたに会えて嬉しかったよ。ずっと昔から草木も蟲もけものもヒトも命の理の許に生きてる。きっとこれからもそうだろう。ヌシはその約束の現れ。それがヒトの形をしている事が俺には無性に嬉しかった」の言葉にも山のヌシに選ばれたカヤがヒトと蟲側の間で思い悩んでいることに対しての優しさだと感じた。
ギンコはカヤが山に戻る事を葦朗に伝える「里心が強くなれば、あいつが苦しむだけだ。もう会わないほうがいい、それが互のためだ」と言うが、
葦朗の「俺には出来ない、あいつを忘れることなんて…」
「忘れる事はない。いつも思っててやれ。ヌシは山と共にあって、常にお前達を守っている。どんな草木の中にもみ虫や獣の中にもカヤの目や耳がある。その事を忘れずにいてやれ」と必要最低限の言葉で葦朗を思いやるギンコの優しさだと思った。
しかし、カヤは山に戻るが人間としての意識を取り戻したためヌシとしての力を失ってしまっていた。
その後に葦朗が山に行こうとした時に、木の上でカヤが姿を見せほんの少し微笑んで消えていくシーンは、さよならに来たんだなと思い涙が…
もうカヤには、山の声が分からない、山とひとつになれない、どうすればやまを元に戻せるのかが分からない、だからもうじき、次のヌシが決められる。山の理(ことわり)により、古いヌシは次のヌシに力を渡すため、山に食われる。と聞いたギンコは人として当たり前の家族を恋しく思っただけで、カヤも人として生きて行けるかもしれないと提案する。
そして、「理」に話をつけに行くギンコがたどり着いたのが、光の輪の中、これって原作漫画1話と1期の1話(緑の座)で出てきた蟲の宴を最終話で使ってくるとは、原作者の「漆原友紀さん」ってやっぱりいいなぁと感動してしまった!!
その蟲の宴をとうしてギンコは自分自身を身代わりに「理」にカヤの命乞いをするが、あるべき姿に戻されかけた時にお待ちくださいとカヤが現れ
「これは私と山の話、誰にも身代わりはさせない。」
「私はずっとこの山と一緒だった。私は草木で虫で魚でけもので、数えきれない生死を味わった。最期にヒトとしても生きられた。」
だからって死ぬことはないと言うギンコ「死ぬわけじゃない、私でなくなるだけ、山と命と理の間を流れる約束の中に還るだけ。」とあるべき姿に戻って行くカヤの場面では、ギンコとカヤ、そして大いなる存在である「理」と三者三様の立場の考え方のどれに共感するか、またどう理解するかで、かなり違った印象になると思います。
自分は、何度も蟲に食われそうになっても、ひょうひょうとしていて無気力そうでいながらも、心の奥には信念を持ち、蟲とヒトの事を考える芯の強さを感じさせるギンコの考え方が、とても好きなんですけどね!
本作でも、命がけでカヤをヒトに戻そうとした事も、カヤの最後の事も葦朗には特に話さなかったのもギンコらしかった。
最後にまた、山じゅうに鳴り響く鈴の音。
子供の頃、胸躍らせた鈴の音が、ひどく物悲しく聞こえた。
身を切られるような、美しく悲しい音だった。と感じた葦朗が見るのは一面に零(こぼ)れ落ちる鈴の玉。
それが散るときになるリンという儚い音。
その光景に昔とは違うと葦朗は感じます。
それが、「次なるヌシの決定を知らせる音」であることを葦朗は知らないはずなんですが、どこかでカヤと繋がっている事が感じられるんだなぁとおもいました。
また、カヤがヌシの座を降りたことが、解っていても葦朗は、カヤが好きだったおもちを、ちょっと成長した弟と一緒にいつまでも山にお供えに行きます。(あのおもちをもらって微笑むカヤの顔を思い出すと、本当に切なくなるよなぁ)
本当に最後まで観られて良かったなと思えた作品でした。
2005年10月~長く見続けてきましたが本シリーズも印象深い最終エピソード「鈴の雫」で終わりとなってしまいますが、この作品のように原作49話を全てアニメ化されたものは、少ないのではないのかと…(自分が知らないだけなのかもしれませんが)
今考えると原作のヒトコマが忠実に再現されて驚いた事もしばしばあったし、今観ても古さを感じない1期からの風景の作画やBGM、特にEDの入り方や毎回違う曲と背景などが、初めから凄くクオリティーの高い作品だったんだなぁと改めて感じました。
また、台詞の行間や間の使い方がとても素晴らしく、この作品には無くてはならない雰囲気と余韻を作り出していたのだと思います。
本当にいろんな解釈や感想があっていい作品だと思います。
そしてエンドロール後にギンコが遠くを見つめながら、最後につぶやく「さて、行くかね」には、これからも「蟲師」ギンコの物語が続くことを期待せずにいられません(^^♪
余談です!
2015年6月19日に蟲師画集が発売されていたのを、7月の終わりに知り、まだ本屋で注文すれば買えるだろうと思い注文したところ、在庫なしで、増版の予定も無しで買えなかったので、アマゾンを覗いたら、定価が約5000円なのに中古品扱いで7000円になっていたので、即購入して届いた本の中身を観て(・∀・)ニヤニヤが止まりません状態ですw
イラストだけではなく、ラフ画(初公開らしい)と作品の参考にしたおまけまんが「ちょと昔の咄(はなし)」とまえがき、あとがきなどを読んでいると「漆原友紀さん」の人柄も分かるような気がして、手に入って本当に良かったなと思いますww