P_CUP さんの感想・評価
4.9
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
じっくり見てこそわかる、主筋以外の物語
この作品、よくよく見てみると、主筋としては語られていない側面が見えてくるものも多く、物語がとても立体的・複合的に構築されていることがわかります。
とても書ききれるものではないので、ここでは一例として、久美子と麻美子(姉)の件を挙げます。
作中、久美子はどうも姉のことを嫌っているように描かれていますね。
これ、思春期の少女の家族に対する態度としては充分リアルなので、普通に観ていると特に違和感も覚えずスルーしてしまう部分です。
が、久美子と麻美子が絡んだシーンをよくみれば、ちゃんと「黄前姉妹の物語」が語られていたことがわかります。
・久美子は姉の影響で楽器を始めた(1話で提示)
・姉と同じトロンボーンをやりたかった(2話で提示)
・その姉は受験を理由に楽器をやめた(4話と12話で提示)
・受験に専念したのに志望校には受からず滑り止めで妥協した(12話で提示)
・今では大学デビューしてギャルギャルしくなってる(見ればわかる)
これらのことから、かつて姉は久美子にとって憧れの存在だったことがわかります。
その姉が、いつの間にか、憧れからは程遠い存在になってしまった。
「なぜ、ずっと憧れの姿のままで居てくれなかったのか?」
そんな想いが、姉を嫌う理由の1つめでしょう。
また、姉というのは、妹である久美子にとって、常に自分の一歩前を歩く存在です。
久美子は姉の中に、未来の自分をどうしても見てしまう。そして、今の姉は、なりたくない自分の姿です。
この形を変えた自己嫌悪の念が、姉を嫌う理由の2つめです。
でもこれ、考えてみたら久美子から姉への、勝手な理想の押しつけでしかないんですね。
他人に自分を投影して、自分の代理として理想像になってくれることで、自己実現したかのような気分になりたい、という。
だいたい、久美子は久美子で、中学時代のコンクールはダメ金で妥協して、高校も制服と人間関係リセットだけで選んで、
吹奏楽もやめようとしてたのですから、ちっとも真剣に生きてなかったわけで、姉のことを悪く言う資格なんかありません。
しかし、久美子は、麗奈という存在に出会って、心を通わせることで変わって行きます。
今度は麗奈に理想を投影することなく、自分も麗奈と同じように「特別」になりたいと願い、また「私、ユーフォニアムが好きだ!」と自覚します。
かつて姉がやっていた、自分もやりたかったトロンボーンではなく、人数合わせ的にやりはじめたユーフォニアムを、です。
12話で、姉に対して「ユーフォが好きだもん!」と宣言する場面は、久美子が姉から卒業した瞬間なんですね。
姉に自分を重ねることはやめて、自分は自分として歩いて行くのだ、というね。
こうして久美子は姉の影響下を脱して自立しました。めでたしめでたし・・・ではなくて、
姉妹の物語にはまだエピローグが残されています。それが最終話の朝の場面です。
このとき、コンクールに向かうために家を出た久美子でしたが、定期を忘れて家に戻って来ます。
そこで姉と鉢合わせします。このとき、姉麻美子はとても気まずそうな表情を浮かべ、短く「おはよ」とだけ言います。
なんでもないような場面ですが、なぜこんなものをOPをカットしてまで描いたのかを考えると、重要度がわかります。
この朝、久美子が姉と顔をあわせたのは、定期を忘れたというアクシデントのためです。
つまり、姉は久美子が一旦玄関を出て行くまで、部屋から出てこなかったことになります。なぜか?妹と顔をあわせたくなかったからです。
つまり、妹久美子が、自分がかつてやめてしまった楽器に真剣になった姿を見て、引け目を覚えてしまったのです。
さて、この、真剣な姿を見せられて、自分に引け目を感じてしまい、その人物と顔を合わせにくくなる、という構図・・・もうお分かりですね?
かつて久美子が麗奈に対して引け目を感じていた構図と、ものの見事に重なるわけです。
とまあ、解説すると長くなってしまいましたが、上面をサラッとなでるような見かたでは勿体無いほど立体的なものになっています。
場面場面を見ても、暗喩的・象徴的に表現されているもの、映像に隠し味的に埋め込まれた情報も非常に多く、繰り返し観てこそ真価に気付ける、そんな作品だと思います。