退会済のユーザー さんの感想・評価
4.2
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 3.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
タイトルなし
三部作の完結編とあって、新規作画による力の入った戦闘シーンはかなりの見応え。
もちろん、物語としての面白さも充分。
数々の戦場を生き抜いてきたアムロは飛躍的にニュータイプとしての力に目覚めていくが、アムロ自身はその力について懐疑的だった。
アムロがニュータイプについて、あるいはニュータイプとして前向きに考え始めるのは、ララァとの邂逅がキッカケとなる。
同じニュータイプ同士、初めて互いの本質に触れて対話を行う機会が訪れ、その時、アムロはララァに問われる。
護るべきものが無いのに、貴方は何故戦うのか?
アムロは指摘されて初めて気付く。自分の為、WBのクルーの為に戦っていたつもりだった。でもそれは、戦争の中でしか存在しない仮初めの居場所でしかなく、自分が、戦争の後の未来のことを何も考えていないことに。
開き直りのつもりで彼は、護るべきものがないと戦ってはいけないのかと言い、それはおかしいことだとララァに諭される。
そこで初めて、アムロは自分の行動が無意味ではなかったと知る。
何故なら、ララァと出逢えたから。自分がこうして間違いに気付き、ニュータイプがなんなのかを理解できたのだから、決して今までの戦いは無意味ではなかったのだと悟ったのだ。
ララァと出逢えて良かったと、アムロは心の底からそう思う。この小さな奇跡が、アムロに未来を見据える力をくれたのだろう。そしてここで生まれたアムロの考えが、後に逆シャアまで続くアムロの人生での行動理念となっただろう。
と、まぁニュータイプという設定を全肯定すると結構入り込める物語なんだけど、これが正しいかどうかは分からない。
ただ面白いのが、この作品以降にも宇宙世紀のガンダム作品は作られているけど、結局のところ、人と人が運命的に分かり合えているのって、このアムロとララァを除くと、いないに等しいんだよね。
Zのカミーユとフォウは女と男として惹かれ合ったに過ぎないし、ジュドーとハマーンは解り合ってはいない。結局アムロとシャアも最期の最期まで平行線のままだから。
そう考えると、やはりアムロとララァの邂逅は運命であり、同時に奇跡でもある。そりゃあアムロがララァとの出逢いで抱いた感覚、気持ちを大事にするはずだ。
んで、このララァとの出逢いによってアムロとシャアの思想が対比関係に陥ったのも興味深いものがあった。
最後の、ア・バオア・クー戦にてアムロとシャアはララァを引き合いに出して互いの主張をぶつけ合うが、結果は決裂。その後、アムロは自分を温かく迎え入れてくれる光景に自分の還る場所を見出し、その喜びを噛み締めて現実へと帰還します。
一方でシャアはキシリアの暗殺を遂行したのち、その行方を眩ませることとなりました。
ララァという奇跡と出逢い、現実認知に至ったアムロと、
同じくララァという奇跡に出逢いながらも理想に走ることとなったシャア。
【逆襲のシャア】の根幹の部分がこの時点で存在しているということには、ひそかに驚きを禁じ得ない。