ostrich さんの感想・評価
5.0
物語 : 5.0
作画 : 5.0
声優 : 5.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
世界をスケッチする
レギュラードラマ(1話完結モノ)なので、「続きが気になって一気に鑑賞」みたいな熱狂はない。
主人公は成長せず、大団円もない(むしろ、バッドエンドも少なくない)。
でも、そもそも、そういう作品ではない。
本作は非常に余白の多い物語だ。たぶん、言葉にすれば恐ろしく長くなる設定もあるのだが、それらの説明は非常にあっさりしている。そのかわり、キモ美しい画と動きで語っている。アニメーションらしいアニメーションといえるかもしれない。
私見だが、原作者を含めた本作の作り手たちは、われわれ視聴者と同じく、作品世界の全容を理解しているわけではない。
ただ、「この世界はおそらくこういうものだ」という解釈だけはあって、それを基に、世界で起こる現象をスケッチする、というスタンスで作品を構築している。
たとえば、{netabare}第1話が絵描きの物語だったことや、劇中に多くのスケッチが登場するのはとても示唆的だ。{/netabare}これらは単に物語のネタということ以上に、作品を物語っている。
そのことと呼応するように、本作には「作品世界内で」不可知な蟲、あるいは想像上の蟲のスケッチは登場しない。{netabare}正確に言うと第1話のみ、それを実行可能な人物が現れるのだが、彼の能力は世界の理を乱すものとして禁忌とされている。また、探幽が封じている「『禁種』の蟲」が(絵ではなく)文字で表現されているのも象徴的だ。{/netabare}
不可知なものを想像で描くことは禁忌なのだ。
この「想像(創造)上の何か」を禁忌とするというスタンスは、作り手たちの仕事が、まさに「何かを想像(創造)する仕事」であることを考えると逆説的で非常に面白い。
そういえば、本作は「原作に忠実である」ことを大いに評価されているのだけれど、それは、原作世界に存在しないことは描かない(描くことは禁忌である)、という原作世界のルールにも通じるストイックさだ。
(後に製作された作品には、アニメオリジナルのパートもごくわずかに存在する。ただ、それもごくごく控えめなファンサービスである)
おそらく作り手たちは作品世界のすべてを理解する存在──神になることを拒否しているのだろう。彼らはあくまで作品世界の語り部に過ぎず、多くの人には見えないものがほんの少しだけ見えるに過ぎない。本作の主人公ギンコと同じ立ち位置だ。そして、そのことによって生み出される物語の余白は、視聴者の想像力を刺激し、多様で豊かな世界をそれぞれの心のうちに現出させる。
加えて、そこに寓話的な教訓を見出すことも確かにできる。しかし、それがイコール作り手たちのメッセージではない、と私は思う。繰り返しになるが、彼らの役割は語り部に過ぎない。
もちろん、作り手たちの何らかの思いは載っているのだろうが、それは、メッセージというよりも、この世界に対する深い洞察(観察)とそれを掬い取り、スケッチする絵描きの矜持のようなものだ。そして、本作はそれだけでもう充分に饒舌で、これ以上の言葉は、それこそ作品世界を壊す「禁種の蟲」だ。
非常に個人的な話になるが、本作は、初見時より、蟲のようにつかず離れず、私の人生について回っていて、再見するたびにほんの少しづつだが形を変えている。次に観るときもきっと、ほんの少しだけ触角の向きが違っていたりするのだろう。豊かな作品であることの証左だ。