「崖の上のポニョ(アニメ映画)」

総合得点
64.8
感想・評価
649
棚に入れた
3088
ランキング
3647
★★★★☆ 3.5 (649)
物語
3.3
作画
3.9
声優
3.3
音楽
3.6
キャラ
3.5

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ネタバレ

イシカワ(辻斬り) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.0 作画 : 4.5 声優 : 3.0 音楽 : 4.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

大人の事情をすべてを突き抜けてしまう、5歳児の純真な初恋物語

 記載されているレビューに対する反論・論戦を行いたい人は、メッセージ欄やメールで送りつけるのではなく、正しいと思う主張を自らのレビューに記載する形で行ってもらいたい。
 なおこれらのレビューは個人的推論に則ったものである。言い切っている表現も、独自の解釈の一環であり、一方的な決め付け・断定をしているのではないものだと思ってもらいたい。

 ポニョの元気で無邪気な自由意志と、まだ早いという父親のフジモトの束縛。幼い愛娘の自尊心を尊重したい思う父親としては葛藤がある。
 フジモトが口にするブリュンヒルデとは死の貴婦人という美しくも忌まわしい女性の名であるが……しかし実物を見るとどうみてもそんな名前ではないわけである。ソウスケはあっという間にポニョと名づけた。ネーミングセンスはソウスケに軍配が上がったといっていいのではないだろうか。
 海の底から抜け出した幼い娘が5歳児の男の子に出会ったとき、物語は始まった。
 船底からのアングルではゴミの残骸が溢れ、垂れ流される汚染物質が描写されている。
 人間が海洋汚染を引き起こしていることを嘆くフジモトは、海を太古の姿に戻すべく活動する魔法の研究者、アルケミストのようである。海側が見た人の具現化がフジモトなのだ。後半は、太古の海に生息していたと思われる原初の魚たちが活き活きと描かれている。この描写は子供にではなく、共に見ている大人たちに訴えるものだろう。
 破壊は一瞬だが、破壊された自然を再生させるのは不可能にも近い努力や歳月が必要だ。
 海の世界と陸の世界の二つを描写することで、自然との共存の難しさを表現しているのではないか。海の象徴がポニョであるのなら、陸の象徴がソウスケなのだ。
 人間と自然の共存の難しさをテーマにするジブリ。このあたりがディズニーの人魚姫とは一風違うところだ。
「住む世界が違うのだ」
 一度はフジモトによって引き離される二人。
 しかし……愛というには幼すぎるその感情の発露が炸裂したとき、あらゆる事象はポニョの魔法の前に飲み込まれていく。海は荒れ狂い、津波を引き起こし、恐ろしい勢いでソウスケの乗る車に迫る……その津波の上ではポニョが疾走しているのだ!
 元来子供は大人のいうことを聞かねばならず、いつでも拘束されている。その世間、世の中というものが怒涛の津波となって押し流されてしまう。海の圧倒的描写もさることながら、リサの運転テクニックの描写も捨てがたいみどころである。
 もうポニョは、ソウスケに逢いたくて、人間になりたくて、それだけで駆けてくる。このくらいの年代がもっとも感情をストレートに口にできる年頃ではないだろうか。保育士の女性に、結婚したいと言い出すのはこのくらいの歳である。
 大人の事情など、まったくもってどこへやら。純真な5歳児との初恋は、魔法の暴走となってすべてを不思議空間にしてしまう。CGではなく、鉛筆でやるという宮崎駿の筆力は凄まじい。
 世間の価値観だの、人間から見たポニョへの評価だのは、ポニョ自身まったくお構いなしに突き進む。このあたりも純真な5歳児くらいの年齢が強い想いを秘めているだろう。それを翁といってよい宮崎駿が描けるというのは、ある意味凄い。
 海と陸の融合。ありえないファンタジーの波が、文字通り現実を飲み込む。
 そこからが人魚姫とはまったく違うストーリー展開に発展していく。
 海の底に沈んだ町ではみんな人は息ができる。なんと、ソウスケの母親であるリサと、ポニョの母親が対面してしまう。フジモトも同席である。
 懐の深い愛を持つお互いの親の話し合いは、仰天するような結果を導き出した。ポニョの願いが叶うかどうか、幼いポニョとソウスケに試練を与えるというのである。常識的な考えではどうすることもできないことを敢えてやらせてみる。これはまさしく二人の自尊心の尊重だろう。予測のできないことをやってのける。
 不条理な場面であるにも関わらず、視聴者を引き込む力ともいえる。
 ラストでは、養老施設にいた婆さんまでもが登場。いじわるなことをいってたが、いざとなるとソウスケを抱きしめる。あの根の優しい登場人物たちはジブリらしさでもある。
 ポニョのお母さんが、「あなたはポニョがお魚だったのを知ってますか。ポニョの正体が半魚人でもいいですか」とソウスケにたずねる、
 ソウスケの言葉はまったく揺らがなかった。
「お魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも、みんな好き」
 人間と自然の共存の形が、このように結末を迎えるのだ。
 海の底に町が沈んだというのに、幸せそうに皆笑っているのである。
 壮大な物語、暖かい登場人物たち。大きく深い自然。素朴な暮らしの町の風景。研究したとも思える子供らしさや仕草。素晴らしく描ききったはずなのだが……
 大人からすると、ポニョがキモい。ストーリー展開が意味不明。子供はあまり喜んでくれなかった。子供が見たいアニメではなく、子供に見せたいアニメになってしまっていた。
 天才宮崎駿も、分析が今一つ足りなかったようだ……

 なぜポニョはうまくいかずトトロはよかったのか?
 子供、特に幼児に目を向けたが認識不足だった作品。きっと喜ぶだろうと思い監督が作ったらあまり幼児受けしなかったという話である。子供が大笑いするのを楽しみにしていた宮崎監督はがっかりだろう。ではなぜ受けなかったのかを検証していきたい。
 子供の、特に小学生低学年の文章などを笑いのネタにしていた雑誌で、こんな内容のものがあった。
「お姉ちゃんいじめる。漫画面白い。お姉ちゃんと読みたい。お姉ちゃん嫌い」
 大人にははっきりいって訳がわからない。完全に意味不明である。思考形態がぶつ切りになっていて、無理に一つにまとめようとすると、謎な文章ができあがる。なので、ストーリーまで子供向けに徹底しないでもよかったのだ。考えないのだから、ストーリーそのものはもっと対象年齢を高くしてもよかったというのが、筆者の見解である。
 つまり、おいてけぼりになってしまった人が多かったのである。お父さんお母さん、お姉ちゃんおにいちゃんは、小さな子供たちのために一緒になって見てあげる、面倒を見ることになってしまうのではないか?
 森という空間が不思議空間に繋がっている。子供しか行けない。だからよかった。海は誰でもいけてしまう。秘密基地感覚がないのがまずかった。大人が不思議空間に入ってしまった。
 では幼児そのものに受けが悪かった理由は何か。
 ぱっと見て、その場でわかる対象物のほうがいい。
 そして幼児自体は、「もんすたー」が好きだったのである。怪物ではなく、モンスターでもない。もんすたーなのだ。やわらかいのである。ふかふかである。ユーモラスである。ガオーではない。がおーである。にっと笑ったりする。だから好きなのだ。不思議系だ。ポニョは人間になってしまうので、不思議が普通になっていく。だから、波の上を走るより、見えている対象物そのもののほうが気になる。大人目線との違いはそこだろう。
 波の上を走るのも、もんすたーが登場するのも、大人からすればファンタジーで一緒だが、幼児はまるで違う。波の上で走ることは、別におかしくない。区別なんぞつかない。
 ねこバスが大好きで、トトロが大好きなのはそういうところなのだ。波の上を走ることは別に幼児にとって好きとはいえないわけである……というのが個人的な見解である。
 幼児の思考形態の、ぶつ切りを認知して、一発で面白いと思える形あるキャラクターものにすべきだった。ポニョは見た目もんすたーでもなかった。だから、幼児受けしなかったというのが筆者の見立てだ。
 一部の大人がポニョを受け付けない理由。それはキモいからであろう。人間になった女の子のポニョは可愛いが違和感がある。筆者とって、違和感の正体は別の監督作品によって顕在化した。
 作品名は……OVA『ギョ』だ。
 端的にいえば、多脚が生えて走り回るギョの大群が凄まじい勢いで人間を襲いまくるという……
 OVA『ギョ』のPVを視聴して、一撃でその苦手感覚を植えつけられた。生理的嫌悪感。
 多脚が生えて走り回るギョの中に、半漁人のポニョが一緒に混じっていてもまったく不思議でない。てっとり早く表現するならば、ポニョもギョである。それはもう、一部の大人にとっては、あのギョを受け入れて共存していくという宣言は試練である。というより、いつも喰ってる(汗)
 疾走しまくっている描写を想起したところでOUT。
 350件ほどあったとある巨大サイトで一番多かった意見。実はソウスケ男前論である。何があってもぶれない、かっこいいという話である。5歳児にかっこいいも何もない気がするが、おそらく女性たちの一部では確実にそういうイメージだったようだ。
 直感的に描きつつ、実はストーリーをちゃんと構築してある。ジブリの中でもかなり高度な技術なのだろう。しかし、うまく隠しすぎたストーリーを理解できる認識力の持ち主は、そういなかった。高度にしすぎて却って失敗した。もっと区切りをつけて解り易くしてもよかったのではないか?
 とある巨大サイトでレビューを350件程度確認したのだが……
 この物語が海と陸の対比で成り立っているといったレビューを書いた人はいなかった。フジモトが海側の人間であるといったレビューを見た試しがない。陸の上を歩くときでさえ、海の水を撒いて「私は海側の人間です」とやっているのに意味がわからない。変なおじさんくらいにしか思わない。
 汚染された海を見せ、フジモト自身に、海を蘇らせるとまで口に出させているのに、今回は環境問題などありませんでした、といいきったレビューも見かけた。
 大人の理屈などまったくなかった言い切るレビューもあった。
 ストーリーなどなかったという人もいる。他のレビューを350件くらい見て廻ったが、大詰めのところの試練の意味を書いた人は誰もいなかった。
 ちゃんとソウスケが〆の言葉をいって完結したのに、「おわり? おわり?」といってた幼児がいたらしい。おわりであるのかもわからないようだ。
 難解なストーリーは、ジブリファンの認識力を試すようなものだった。高度にしすぎて理解されず、まったく低レベル、もう駿は終わったといわれてしまうはめになったと思える。
 理解できないほど高度化しても視聴者がついてこない。それをもっと念頭に入れるべきだったのではないか?

投稿 : 2012/08/18
閲覧 : 830
サンキュー:

35

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