hikonoir さんの感想・評価
3.8
物語 : 4.0
作画 : 3.5
声優 : 4.0
音楽 : 3.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
モンタージュ理論
特に感想を書こうとは思ってなかったんだが…。とあるサイトでこのシリーズの有名な絶交シーンで、「バックの電車が邪魔」っていうコメントを読んだ。…まぁ、或る意味その書き込みのおかげで、ここにきて感想書こうという動機になったんだが。
セルゲイ・エイゼイシュタイン。ロシア革命頃に活躍した映画監督。「戦艦ポチョムキン」で実際に行われた映像演出を、モンタージュ理論という。映画黎明期よりそういう演出は不完全ながら、ちらほら思いつきでやられていた。だが、その演出はエイゼイシュタインで理論となり完全な形となった。
言葉で書くと何やら難しそうだが、何のことは無い。イメージの連想である。丸い皿を見たら、太陽や月を連想したり、タイヤを連想したり、あるいは腹がへってたらドーナツを連想したり…。それを、監督が強制的に圧倒的に連想させる…、それがモンタージュ理論。まさに監督冥利につきるという監督なら絶対やってみたくなる演出だ。
つまり、台詞なしで観客が勝手に連想してくれるというもの。まず、最初のシーン。兵隊が列をなして歩いている。次に、子供が大口をあけているシーン。時間も場所も別、兵隊の顔は見えないようにして、子供も、泣いているか笑っているか判断できない、ただ大口をあけているだけ。これを、映画のストーリーのなかで連続してカットをつなげると、観客は兵隊が子供や家族を武力で蹂躙して酷いことをしている、と連想して脳裏にあらたなイメージ映像が展開されるようになる。子供は泣き叫び、兵隊は冷酷非道な目をして暴力を振るう。
実際、演技などしなくても、観客は子供が泣き叫ぶ声を聞き、兵隊の乱暴な軍靴のおとを聞く。何を言おうとしているかお分かりだろう。
ナギサとホノカが喧嘩して「…友達じゃないんだから」っていうところで、「パーン…」ガタゴト…。電車のシルエット。まさにモンタージュ。この電車をふたりの絆を断ち切る刃物にたとえる、警笛を心の衝撃の音ととらえる…。まったく関係のない電車のカットを差し挿むことで、ふたりの関係が劇的にかわることを印象づけた。
モンタージュ理論がもてはやされた時期はとうの昔に過ぎた。しかし、それはいまでも映画に限らず、漫画やアニメ、小説などいたるところでみられる。かくいう自分も漫画を描くので、よく使う。すると、冒頭のコメントみたく、「意味の解らないコマがある」っていう書き込みがくるのだよ…。